第3話

『トリあえずラルじのかンケさうらクしいらさケししをがーゆおみしスうりてて』


 呪文のような文字を、五つで区切って縦に並べてみる。


トリあえず

ラルじのか

ンケさうら

クしいらさ

ケししをが

ーゆおみし

スうりてて


「なるほど」


 美咲は一人頷いた。

 並べた文字を縦に読むと、五つの言葉になる。

『トランクケース』

『リルケししゅう』

『あじさいしおり』

『えのうらをみて』

『ずからさがして』


 トランクケースは佳祐の部屋のクローゼットにあるはず。リルケの詩集も佳祐の本棚。あじさいのしおりは分からないけど、詩集に挟んであるのかな。絵の裏と図からは後で考えよう。

 とりあえずトランクケースをとりに佳祐の部屋のドアを開ける。


「え……」


 ドアを開けた瞬間、美咲は目を疑った。


「どういうこと?」


 佳祐の部屋は、トランクケースが一つぽつんと置いてあるだけで、他の荷物が全部なくなっていた。


「いつの間に……」


 美咲が仕事でいない間に運び出したのだろうか。慌てて電話をかけても出ない。


 昨日までは普通にいたのに。今朝までいたんだよね? 何も言ってくれなかった……。


「違う。あたしが聞かなかったんだ」


 思い返してみると、昨日「僕の話を聞いてほしい』って言うもっと前から、何か話したそうにしていたかもしれない。


 昨日のは、最後通告だったの? あの呪文は、小説のアイデアじゃなくて、あたしに何か伝えたいことがあった?


 ふらふらとトランクケースに近寄る。リルケの詩集は……中だろうか?

 美咲は空っぽの部屋に座り、トランクケースを開いた。トランクケースと同じように一つだけ寂しそうに入っていたそれを手に取り、栞の挟んであるページを開く。


『あなたがこの世にいるという、ただそれだけで私は幸せなのです』


「それって、もう一緒にいなくてもいいっていうこと?」


 呟いた言葉は、がらんとした部屋に吸い込まれて消えた。膝の上に取り落としてしまった刺繍をもう一度手に取り、しおりに気づく。去年一緒に行った紫陽花寺の絵だ。


「あ、紫陽花」


 暗号の『絵の裏を見て』を思い出し、栞を裏返す。そこには、手描きでこの家の間取りが描かれていた。その一箇所に朱で星がつけられている。『図から探して』というからには、そこに何かがあるのだろう。

 美咲はふらりと立ち上がって、図の示すリビングのテレビ台へ向かった。星はテレビの右隣についているが、そこには何もない。

 何を探すのか分からないまま引き出しを開けてみた美咲は、一目でそれを見つけた。DVDケースの隙間にある見覚えのない小箱。深いブルーのベルベット素材のそれは、見ただけで中身の想像がつく。

 

「これを渡すつもりだった? もう渡すのをやめたから置いていった?」


 そっと箱を手に取っても開けるのが怖くてしばらく逡巡してしまう。それから、意を決して蓋に手をかける。

 中には小花のモチーフの指輪。花びら部分がルビーの可愛らしいデザイン。


「覚えてたんだ……」


 一緒にウインドウショッピングした時に美咲が気に入って眺めていたのは、随分前のことだ。誕生日に買ってねって約束した。


 これを置いていったのはどういう意味なんだろう。誕生日は、来月なのに。もう、会うつもりがないから? 


 不安になってもう一度電話をかけてもやっぱり出ない。途端に怖くなる。佳祐がどこに行ったのか、全く分からない。佳祐が拒否すれば、もう本当に会えないのだ。


 美咲はじわりと涙が浮かんできた涙を拭って、指輪を手に取った。


「……何これ?」


 つまみ上げた指輪に細いリボンが結ばれていて、ズルズルと引き出されてきた。よく見ると、小さく文字が書いてある。


『4773IMOZON71OYKOT1231』


 また暗号? なんのための? 何がなんだか分からないけど、これは解かないといけない気がする。


「もう! 何がしたいのよ」


 美咲は文句を言いながらリビングに戻って紙とシャーペンを用意し、リボンの小さな文字を書き写した。美咲に解ける暗号なんてしれてる。それを書いてきたってことは、そんなに難しくはないはずだ。

 スマホで簡単暗号を調べる。


「へぇ。暗号ってこんなにいろいろあるんだ」


 さらっと一通り目を通してからもう一度暗号を見る。


「あ、なるほど! って、今何時!?」


 時計を確認すると、美咲は家を飛び出した。パジャマのまま化粧もせずにだ。とりあえずパジャマはコートで、ボサボサの頭は帽子で隠しはしたけれど、いつもの美咲からは考えられない行動だ。

 でも今はそんなことにかまってはいられなかった。


 間に合って!

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