Ep.306 アグニ
そして夜が明けて、僕は皆と合流した。
アズマ達が僕の状態を仲間に説明してくれていたようで、皆はそれに賛同してくれた。
もともとクサビの目的の為の旅だ。少しくらい内容が変わったくらいで気にはしないと、頭を下げる僕にシェーデは言ってくれた。
僕が火の祖精霊との試練で気を失った後に、僕が目覚めたら再度の訪問を告げられたらしく、僕達は再びオブリム火口の最奥へと向かった。
僕はその道中、歩く度に感じる不自然さを感じていた。
いつも当たり前にあったはずの物がない。それは思いのほか僕に強烈な違和感を植え付ける。
そして、無いはずの右腕が疼く感覚に苛まれる。
痛みは無いけれど、まるでそこに手が在るかのように感覚が残っているのだ。
その奇妙な感覚も、今は慣れるしかないのだろうか……。
そんな感情が渦巻きながらも、僕達は再び火の祖精霊がいる洞窟の最奥に辿り着いた。
昨日と同じ場所に光が集まって、それはやがて人の形を型取って、火の祖精霊が顕現した。
「――目覚めたようだな。クサビ・ヒモロギよ」
「……はい」
火の祖精霊の視線が、ふと僕の右腕のあたりに移り、そして僕の目に視線を戻す。
「……汝の覚悟、そして勇たる意志をしかと見せてもらったぞ。よくぞ試練を乗り越えた」
「ありがとうございます……!」
僕は心からの感謝の意で頭を下げる。
右腕を犠牲にして掴み取った結晶は、今も僕の左手に握りしめられていた。
僕はその紅き結晶を掲げる。
それは紅の輝きを放っており膨大な魔力を感じた。
「その結晶は、いずれ封印剣を生み出す際の触媒となろう。努努無くすでないぞ」
「はいっ!」
僕は火の祖精霊の厳かな言葉に頷き、改めて感謝の念を込めて頭を下げた。
そして再び顔を上げると、火の祖精霊は静かに口を開いた……。
「……時にクサビ・ヒモロギよ」
「……っ?」
火の祖精霊はその言葉を区切ると、静かに瞑目し、そして口を開いた……。
……火の精霊は静かに言葉を紡いだ……。
「単刀直入に汝に提案する。……我と契約する気はないか?」
「…………えっ?」
「ええっ!?」
「――――ッ!」
僕は突然の祖精霊の提案に驚き、サリアも同じように驚いて目を見開き、デインですら驚愕の反応を示していた。
「我は汝の覚悟に感銘を受けたのだ。時を越えてまで目的を果たさんとする意思、己の犠牲をも厭わぬ強き覚悟にな」
「……っ!」
僕は火の精霊の言葉に息を呑む。
……そして返答を躊躇していた。
精霊との契約には膨大な魔力が必要となるからだ。
以前、水の中位精霊のシズクとの契約の際にも僕は昏倒しかけたくらいだ。
それが、今回は中位精霊とは比べ物にもならない力を宿した祖精霊との契約となると……。
以前より僕の魔力は格段に上がっているとはいえ、それでも契約に足る魔力が、人一人で補える魔力量とは思えないのだ。
魔力が足りなければ、良くて魔力枯渇で昏倒し契約は失敗で、最悪な場合は死に至る危険な選択だった。
火の祖精霊の力を借りることが出来るというのは願ってもない事ではあるけど、それと同等にリスクの高い賭けでもあり、軽々しく即答できる話では無い。
出来ることなら提案を呑みたい……。しかし…………。
「クサビ。何を迷うことがあるんだい? ……受けるべきだ」
「えっ…………でもアズマっ……」
アズマが僕の躊躇いがちな態度を見透かしたように言った。
「……クサビはきっと魔力量の心配をしているんだろう?」
「…………」
図星を突かれて、僕は伏見がちに頷いて肯定した。
それをアズマは穏やかな笑みで両手を広げて仲間達を指し示して言葉を紡いだ。
「僕達が君に魔力を贈るよ。君は一人じゃないんだ。そうだろ?」
「…………っ!」
その言葉の重みに僕は息を呑んで立ち竦んだ。
そして仲間達を見渡す。
「……しゃーねぇな」
ウルグラムが不機嫌気味にそう吐き捨てる。
「無論、私も協力しよう。……ふっ。なんならフェンリルも呼んでコキ使ってやるか」
シェーデが腕を組みながらニヤリと笑って見せた。
「ふふふっ! フェンリルの扱いが雑ねっ! ……クサビ? 私達をもっと頼っていいのよ。やりましょうっ」
サリアが聖女と呼ばれるに相応しい微笑みが僕の背中を押してくれる。
「……祖精霊の契約……前代未聞……。試す価値はある…………」
表情からは感情は読み取れないが、デインも協力の意思を見せてくれていた。
「皆……!」
僕は感動で胸をいっぱいにしながら、拳を握りしめて迷いを振り払うように力強く頷き、火の祖精霊に振り返る。
そして僕は毅然とした態度で、火の祖精霊と向き合って言い放つ。
「……謹んで、火の祖精霊の提案をお受けしますッ!」
「…………うむ!」
火の祖精霊は満足そうに頷くと、その体を炎に変え、僕の周りを浮遊し始めた……!
そして火の祖精霊の声が響く。
「では契約者クサビ・ヒモロギよ。契約の証として我に名を授けよ」
「…………」
僕はその声に瞑目して思考を巡らす。そして目を開いて浮遊する炎へ向けてその名を呼んだ!
「――アグニ!」
「――心得た! これより我が名はアグニ! そして時を越えし勇者クサビとの契約をここに示さん!」
「――ッッ!」
僕の頭上を浮遊していた炎が赤い魔力へと変わり、僕の体の中に入り込んでいく。
と同時に魔力が急激に減少していき、僕は立ち眩んで地に膝をついた。
「皆! 魔力を贈るぞ!」
アズマの掛け声と共に仲間達の手から魔力が僕に注がれていく。
薄れゆく意識の中で、抜け出ていく自分の魔力と注ぎ込まれてくる皆の魔力を感じながら、火の祖精霊の魔力が僕に宿っていくのを感じていた…………。
「……コイツここに来るといつも倒れやがるな」
誰に頼まれた訳でもなく、そう言って魔力枯渇で昏倒したクサビを抱えあげるウルグラム。その表情に不快感は感じられない。
クサビと出会い行動を共にした日は浅いというのに、彼が急激な成長を遂げているのを僕は感じていた。
まさか祖精霊と契約してしまうなんてね。僕にも成せない事をやってのけるのだから、クサビは凄いな。
「ありがとう、ウル」
「……ふん」
照れ隠しか、ウルグラムは背を向いてしまった。
これ以上彼の不器用な優しさに触れるのはよしておこう。
「……契約は無事に成った。よもや、我が『主』と呼ぶ時が来るとはな」
そう言って契約により『アグニ』と名付けられた火の祖精霊は笑う。
僕らも魔力を半分以上持っていかれたようで身体に倦怠感を覚える。ひとまず無事に契約が済んで良かった。
「アグニ、ありがとう」
僕はアグニに向けて丁寧に礼をして感謝を示す。
きっと500年の時を越えてもクサビとの契約は切れることは無い。遠い未来でもきっとクサビの力になってくれるはずだ。
その事への感謝の礼だ。
「次の祖は何処へ向かうのだ?」
「次に向かいたいのは山々なんだが、まずはクサビの右腕をなんとかしてやらねばならないと思っているよ」
アグニの問いにシェーデが答える。
……クサビの右腕が失われた事に対する責任の一端は僕らにもある。
これもたらればな話かもしれないが……。
皆それぞれ心を痛めているのが分かるんだ。
「……そうか。それについては我は力になれぬな。……主の事を頼むぞ、勇者よ」
「もちろんさ。僕にとってもクサビは、血の繋がった遠い遠い孫みたいなものだからね」
そう微笑みかけると、アグニは静かに頷いたのだった。
「じゃあ皆、そろそろ戻りましょう? ……ではアグニ様、失礼致しますね」
サリアがアグニに向かって丁寧に頭を下げ、僕らは洞窟を後にした……。
ひとまず、右腕の代わりとなり得る『義手』なるものの情報を集めないといけないな。取って返す形になるが、帝都リムデルタに戻って情報を集めてみるのがいいかもしれない。
……きっとクサビの腕をなんとかしてみせるよ。
彼にも未来で待つ大切な人達がいるだろう。その人達に申し訳ないしね……。
ウルグラムに担がれて昏睡するクサビを見ながら、僕は決意を固めるのだった。
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