第13話   外郎売り

 高揚していた気分が一転。


 挑発とも取れる言動を放った奈津美に夜一は食いかかる。


「よし、いいだろう! やってやる! やってやるさ!」


 売り言葉に買い言葉とはまさにこのことだった。


 夜一は颯爽と立ち上がると、一人ずつ子供たちの持ち物を視認した。


 砂場で遊ぶために持参したのだろう。


 玩具のスコップやジュース入りのペットボトルを後生大事に持っている子供たちの中、夜一はピンクのワンピースを着た女の子に目線を固定する。


「お嬢ちゃん。悪いんだけど手に持っているお菓子を一つだけくれないかな?」


 女の子が持っていたのはコンビニやスーパーマーケットで買える錠菓のラムネだった。


 まだ封を開けて間もなかったのだろう。


 透明なプラスチックの容器には一口サイズのラムネがぎっしりと入っている。


「いいよ。一個だけなら分けてあげる」


 夜一は女の子からラムネを一個だけ受け取った。


「ありがとう。お嬢ちゃんのくれたラムネは無駄にしないからよく見ててね」


 すかさず夜一は履いていたスニーカーを脱いでベンチへ上がった。


 そうして子供たちの注目を浴びていることを確認しつつ、何度か咳払いをして喉の調子を整える。


 喉の調子を整えた後、夜一は完全にスイッチを切り替えて大きく拍手を鳴らした。


「さあさあ、寄ってらっしゃい。見てらっしゃい。これよりわたしくめが演じますのは、身体の臭いを打ち消す世にも珍しい薬にまつわる不思議なお話――外郎売りのお話だよ」


 背中が見えるほど深く一礼すると、夜一は得意だった外郎売りの口上を並べ立てる。


「拙者親方と申すは、お立合の内にご存知のお方もござりましょうが、お江戸をたって二十里上方、相州小田原一色町をお過ぎなれて、青物町を登りへおいでなさるれば、欄干橋虎屋藤衛門ただ今は剃髪いたして、円斎と名乗りまする」


 夜一は自分の頭を剃るような仕草をしつつ、全神経を口に集中させた。


「元朝より大晦日までお手に入れまするこの薬は、昔ちんの国の唐人、外郎という人、我が朝へ来たり、帝へ参内の折から、この薬を深く籠め置き、用ゆるときは一粒づつ、冠の隙間より取り出だす。よってその名を帝より「とうちんこう」とたまわる。すなわち文字には「頂き、透く、香い」と書いて「とうちんこう」と申す。ただ今はこの薬ことのほか世情に広まり、ほうぼうに偽看板を出だし、いや小田原の、灰俵の、さん俵の、炭俵のといろいろに申せども、平仮名をもって「ういろう」と記せしは、親方円斎ばかり。もしやお立合の内に熱海か塔の沢へ湯治においでなさるか、または伊勢参宮の折からは必ず門違いなされまするな。お登りならば右の方、お下りならば左側、八方が八つ棟おもてが三つ棟玉堂造、破風には菊に桐のとうの御紋をご赦免あって、系図正しき薬でござる」


 外郎の商売人に成りきっていた夜一は申し訳なさそうに表情を曇らせる。


「いや最前より家名の自慢ばかり申しても、ご存知ない方には正身の胡椒の丸呑、白河夜船、さらば一粒食べかけて、その気味合をお目にかけましょう。まず、この薬をかように一粒舌の上に乗せまして」


 ここで夜一は女の子にもらったラムネを口の中に放り込んだ。


「腹内へ納めますると、いやどうも癒えぬは、胃、心、肺、肝が健やかになって薫風喉より来たり、口中微涼を生ずるが如し。魚鳥、きのこ、麺類の食合わせ、そのほか万病即効あること神の如し。さて、この薬、第一の奇妙には舌の回ることが銭独楽が裸足で逃げる。ひょっと舌が回りだすと、矢も盾もたまらぬじゃ」


 ここからが外郎売りの本領発揮だ。夜一はテンポよく早口に切り替える。


「そりゃそりゃそらそりゃ、回ってきたわ回ってくるわ。アワヤ喉サタラナ舌にカ牙サ歯音。ハマの二つは唇の軽重、開合さわやかに。アカサタナハマヤワラワ、オコソトノホモヨロヲ、一つへぎへぎに、へぎほじかみ、盆豆、盆米、盆ごぼう、つみたで、つみ豆、つみ山椒、書写山の社僧正、粉米のなまがみ、粉米のなまがみ、こん粉米の小なまがみ、繻子ひじゅす、繻子、繻珍、親も嘉平、子も嘉平、親かへい子かへい、子かへい親かへい、ふる栗の木の古切口。雨合羽かばん合羽か、貴様の脚袢も皮脚袢、我らが脚袢も皮脚袢、しっかわ袴のしっぽころびを三針はりなかにちょっと縫うて、ぬうてちょっとぶんだせ、かわら撫子野石竹。のら如来、のら如来、三のら如来に六のら如来、一寸先のお小仏におけつまづきゃるな。細みぞにどじょにょろり、京の生鱈生まながつお、ちょっと四、五貫目。お茶立ちょ茶立ちょ、ちゃっと立ちょ茶立ちょ、青竹茶せんでお茶ちゃと立ちょ。来るわ来るわ何が来る、高野の山のおこけら小僧、たぬき百匹、箸百ぜん、天目百ぱい、棒八百本、武具馬具、武具馬具、三武具馬具。合わせて武具馬具六武具馬具。菊栗、菊栗、三菊栗、合わせて菊栗、六菊栗。麦ごみ麦ごみ三麦ごみ、合わせて麦ごみ六麦ごみ。あのなげしの長薙刀は誰がなげしの長薙刀ぞ。向こうの胡麻がらは荏の胡麻からか真胡麻がらか、あれこそほんの真胡麻がら。がらぴいがらぴい風車、おきゃがれこぼし、おきゃがれ小法師、ゆんべもこぼしてまたこぼした。たあぽぽたあぽぽ、ちりからちりからつったっぽ。たっぽたっぽ一丁だこ。落ちたら煮てくお、煮ても焼いても食われぬものは、五徳鉄きゅうかな熊どうじに石熊石持、虎熊、虎きす。中にも東寺の羅生門には茨木童子がうで栗五合つかんでおむしゃる、かの頼光のひざ元去らず」


 夜一は間を置かずに口上を捲くし立てる。


「鮒、きんかん、椎茸、定めてごだんな、そば切り、そうめん、うどんか、愚鈍な小新発地。小棚の、小下の、小桶に、小味噌がこあるぞ、こ杓子、こもって、こすくって、こよこせ、おっと合点だ、心得たんぼの川崎、神奈川、程ヶ谷、戸塚を走って行けば、やいとをすりむく、三里ばかりか、藤沢、平塚、大磯かしや、小磯の宿を七つ起きして、早天そうそう相州小田原とうちんこう、隠れござらぬ貴賎群衆の、花のお江戸の花ういろう、あれあの花を見て、お心おやわらぎやという。産子、這う子にいたるまで、このういろうのご評判、ご存知ないとは申されまいまいつぶり。角出せ、棒出せ、ぼうぼうまゆに、うす、杵、すりばち、ばちばちぐわらぐわらぐわらと羽目をはずして今日お出でのいずれも様に、上げねばならぬ、売らねばならぬと息せい引っ張り、東方世界の薬の元締め、薬師如来も照覧あれと、ほほ敬って――」


 夜一は最後の締めとばかりに拍手を二回打つ。


「ういろうは、いらっしゃりませぬか」


 そして夜一は、一言一句噛まずに外郎売りを演じ終えた。


 しばしの沈黙の後、堰を切ったように子供たちから歓声が沸き起こる。


 それは先ほどアメイジング・グレイスを歌った奈津美に対する賛辞に勝るとも劣らぬものだった。


「やるやん、夜一君。さすが声優を目指しているだけはあるわ」


 賞賛してくれたのは子供たちばかりではない。


 外郎売りを間近で聞いてくれた奈津美も満面の笑みで足をばしばしと叩いてくる。


「それほどでもないよ」


「謙遜すなって。あんな長い台詞を空で言えるなんて凄い。ごめんな。さっきうちが言ったことは取り消すわ。やっぱり夜一君は声優になるべきやで」


 奈津美に太鼓判を押された夜一は気恥ずかしそうに前髪を掻き毟る。


 そのとき、誰かにズボンの裾を引っ張られた。


「ねえねえ、お兄ちゃん。もっと何か見せて。ほら、もっとラムネあげるから」


 ふと顔を下に向けると、ラムネをくれた女の子が目を輝かせていた。


 そればかりかラムネが入ったプラスチックの容器を差し出してくる。


「ありがとう。でも、もうラムネはいらないよ」


「何で何で? もうお終いなの? もっと見たいよ」


「そう? じゃあ朗読劇でもしようかな」


 ベンチから降りた夜一はスニーカーを履き、深く背もたれに身体を預けた。


 役者魂に火が点いてしまったのだろう。


 もはや夜一の頭の中にデートの文字は綺麗に消え失せていた。


 秋彦から命じられた奈津美との親交を深めるということも。


 それでも隣にいた奈津美は嫌な顔一つ浮かべなかった。


 子供たち相手に朗読劇を始めた夜一をにこやかに見つめている。


 時折、公園と隣接していた竹林の中に目を投げながら――。

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