第16話

 


 ヒアミックの予想どおり夕方にはサコットが訪ねてきた。ヒアミックを夕食にさそうらしい。ヒアミックを持っている時間に、シキアは思い切って簡易包帯をサコットに渡した。

「あの、サコット様、よかったら、これ」

 サコットは最初首をかしげていたが、使い方を実践で見せると大きく瞬いてシキアをまっすぐに見つめてくる。

「これをシキアが考えて作ったの? 本当にすごいな」

「いや、少しでも、傷がへったらって思って」

「――君の手も小さな傷がたくさんあるね、俺達には当たり前の傷だ。どうにかしようとは、俺は思わなかったよ」

 だからいつも一人で温泉に行っているんだろう。

「あの、サコット様の、傷がへったらいいと、思って考えたんです」

 だから、使ってほしい。使いにくかったら、いくらでも改良する。

「俺の為に……? っ、まいったな、嬉しいね、ありがとう、必ず使わせてもらうよ」

 青い目が細められてまっすぐに笑いかけられて、三日間の睡眠不足がどこかへ飛んでいくかのようだ。「嬉しい」と思うことはたくさんあったけれど、こんなに嬉しいと思ったことはないかもしれない。

(サコット様の役にたった)

 それだけで世界が輝く気さえする。大げさだと思う心は遠くにあって、今ならどんなことだってできる気分になる。サコットがまるで子供でも相手にするみたいに頭を撫でてくれるのさえ、嬉しい。 

「この前は染髪剤、それから財布も作ってくれたね、俺のために――。こういうの、経験なくてね、本当に嬉しいよ」

 またまたそんな人を喜ばせるようなことを簡単に言う。サコットが贈り物されることを経験していないわけがない。なんなら、慣れているだろう。それを。

(あっ、でも、貧相な手作り品なんか貰ったことはないのかも)

 だとしたら、新鮮な気分で喜んでくれているのだろう。それでも嬉しい。

 サコットはまだシキアの髪を撫でている。撫でながらぼんやりとしたように呟いた。

「やっぱり髪、柔らかいな。俺もシキアに貰った洗髪剤使っているけど、やっぱり違うよ。綺麗な髪だ――」

 指先で前髪をすくわれて指の間を髪が逃げていく。それを追ってサコットの指がまたシキアの前髪をすくう。まるで恋人のような距離感に息が止まった。

(――いやいや恋人って、そんなの、想像でもおこがましいよな、恋人、なんて、そんな)

 だいたい、そんなこと望んでいるはずもない。そんな分不相応なこと、考えることも許されない。ちゃんと理性がそう言っているのに――高鳴る鼓動が不埒な妄想を追い立てる。

 ……だって、サコット様の手が、優しいから。

 このまま時間が止まればいいのに、なんて、浅ましい願いを冷静な声が断ち切った。

「動物のように気安く撫でるな」

 ヒアミックの声が響いて我に返ったようにサコットが手を離して、安堵すると同時に寂しくもなってしまった自分はあとからしっかり叱っておこう。

「あ、ごめんね、動物みたいに思ってないよ」

 律儀に謝ってくれるサコットに顔を覗き込まれて、顔が熱くなる。もう勘弁してほしい。

 サコット様は尊敬する、憧れの、手の届かない、存在で。

「あれ、顔赤い、熱あるんじゃないの? ヒアミック、家に送っていいか?」

「ちがいますねつなんてないです」

「でも顔が赤」

「だいじょうぶです、ひとりでかえります」

 いやだ、自覚したくない。絶対に敵わない想いを、自覚したくない。そんなの苦しすぎる。

「おつかれさまでした、さようなら!」

 態度悪いと思いながらも、たえきれず図書室を飛び出して振り返りもしないで家までの道を駆けた。

(サコット様、サコットさま)

 前髪を撫でてくれたあの指に、他の場所も触れて欲しいなんて、思っていない。金の髪に、また触れたいなんて。思っていない。

(思っていない、思って、ない)

 けれど。どれだけごまかしても、もう、手遅れの気がした。

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