第五章 引き裂かれた悲しき主従

(1)

「よし、出来た!」

 焼き上がった月餅を竈から取り出して、お皿の上に並べていく。模様は潰れてしまった部分もあるが、慣れていったら大丈夫だろう。

「美味しそうですね」

「味は大丈夫だと思う。後は、見た目を綺麗に出来ればって感じかしら」

「そうですね。時間が時間ですし、今回はもう少し簡単な模様にした方が良いと思いますよ」

「……やっぱりそうよね。お義母さまに渡す物だから、とは思うけれど」

「見た目の出来如きでお怒りになる方とは思えませんので大丈夫では? まずは基礎的な模様をマスターする方が上達も早いでしょうし……綺麗に作れたら、都度お贈りすれば宜しいかと」

「そうか、別に今回限りにしなければならないって訳でも無いのだものね。何度だってお贈りすれば良いんだわ」

「ええ、そうです。では、次行きますか」

「そうね。今回の分は冷めたら女官の皆で分けて」

「ありがとうございます。配っておきますね」

 にっこり笑ったベリルがしれっと一つ頬張っているのを横目に、次の分の材料の準備を始めた。さっきの月餅の模様の中では葉の模様が上手くいったので、次はそれを中心に描いた物にしよう。お渡しするのは明日だから、今日作って一晩寝かせれば味が馴染んで良くなる筈だ。

「味見の程は?」

「美味しいです。ナッツのざくざく感も楽しいですし……レモンの砂糖煮がもう少し多いと、よりさっぱり食べられるかなって気はします」

「そう? それなら、もうちょっと増やそうかしら」

「でも、皇后陛下は甘い物がお好きという話を聞いた事がありますし、今のままでも大丈夫かと。私はマリガーネット様の月餅作りの練習にお付き合いして何十個と食べているので、舌が酸味を求めているのでしょうから」

「味見以上に食べてたのはベリルでしょ……と思うけど、それなら餡を二種類作って食べ比べられるようにしても良いかもしれないわね。見た目がシンプルな分、そっちで差をつけましょう」

「そうしましょう。砂糖煮作り足しておきますか?」

「お願い出来る? 私は次の餡を作るわ」

 かつてエスメラルダで一緒にお菓子を作っていたように、二人で段取りしながら月餅を作っていく。最初の方こそ甘党のベリルに教わってばっかりだったが、数年経って私の方も随分とお菓子作りが板についてきた。皇太子妃に必要な技量なのかと言われると謎だが、出来る事が多いに越した事はない。

「ああ、マリガーネット達だったか」

 鍋でこし餡を練っていると、来訪者が現れた。手が離せないので顔だけ向けると、予想通りのお方がいらっしゃる。

「蒼玉様、どうしたの?」

「公務がひと段落したから休憩がてら散策していたんだ。そしたら、厨房から良い香りが漂ってきたものだから」

「甘い香りに誘われてきた?」

「まぁ、そうとも言うな。何を作っているんだ?」

 そう尋ねる蒼玉様が、私の手元を覗き込んだ。そんな仕草に懐かしさを覚えながら、木べらを動かしつつ月餅だと答える。

「そう言えば、珊瑚妃に貰ったと言っていたな。気に入ったのか?」

「それもあるけど……お菓子なら、お義母さまも食べやすいのかなって思って」

「母上?」

「うん。ここ一か月くらいずっと臥せってらっしゃって、食事量も減ってしまったって聞いたから。甘い物なら少量でもエネルギー取れるし、差し入れるのに丁度良いかなと」

 今までは、大幅にセーブしつつも公務自体は行ってらっしゃったお義母さまだが、一か月前辺りから完全に床に臥せってしまったらしい。宮廷医はお疲れが出たのだろうと言っていたらしいが、それにしては長引いているので心配だ。

「そうだな。母上は甘い物が好きで月餅は好物だし、きっと喜ばれるだろう」

「それなら良いけど……」

「何か心配事でも?」

「月餅を作るの、今回が初めてだから。お義母さまの事だから何であれ喜んでは下さりそうだけど、それなら猶更心から喜んでもらいたいもの」

「母上の事だから、何でも心から喜ばれるとは思うが」

「そうだけどそうじゃないの。お姉さまだって、エメ兄さまから贈り物された時はいつでも嬉しそうだったけれど、手製の毒薬を貰った時と最高級馬用ブラシを貰った時じゃ明らかに笑顔の質が違ったもの。ううん、お姉さまの笑顔はいつだって何だって女神様も真っ青なレベルで美しいけれど!」

 思い出の中のお姉さまの超美麗な微笑みを思い浮かべながら、こし餡の様子をチェックする。よし、もうそろそろナッツと砂糖煮を入れるとするか。そう判断し、近くに置いていた刻みナッツと檸檬の砂糖煮を纏めて鍋に加えた。ざらざらと鳴っている音が楽しい。

「……マリガーネット、一つ聞いても良いか?」

「良いわよ。何?」

「エメラルド王は、何故手製の毒薬なんて持っていたんだ?」

「自分で作ったんでしょ。エメ兄さまの書斎の鍵付き棚には、色々な種類の毒薬がコレクションしてあるもの」

「……彼は医者か薬師でもあるのか?」

「ううん、単なる植物研究オタク。愛馬にアコナイトって名前を付けるくらいには有毒植物の研究に傾倒しているわ。ご自身の研究用植物園も持ってるし、宮廷医や薬師達と夜通し実験してる姿も何度も見て来た」

 木べらでナッツを更に砕きながら、鍋の中の餡を混ぜていく。まだ水分が多いから、もう少し火にかけて飛ばしておくか。

「蒼玉様?」

 彼の声が途切れたので、ちらりと視線だけを向ける。蒼玉様は、何やら神妙なお顔をなさっていた。

「……失礼だが、とてもそんな風には見えなかったから驚いた」

「無理も無いわ。エメ兄さま、見た目だけなら歴戦の将軍だものね。でも、あの方は見た目以上にインテリよ。お姉さまが絡むと途端に思考が振り切れるけど」

 母国の王に対して中々失礼な物言いをしている自覚はあるが、事実なので仕方ない。彼の愛馬のアコナイトはアコナイトで、どう手を尽くしてもブランカ以外の牝馬に全く興味を示さなかったから種牡馬にするのは諦めたという逸話がある。見目も良いし良血だから沢山子孫を残したかったそうなのだが……人馬揃って筋金入りだ。

 救いは、お姉さまもブランカも健康で子宝に恵まれやすかった事だろうか。私の甥姪は三人いるし、マロンは五頭の全弟妹を持つお姉さんだ。多分、もっと増えるだろう。

「そう言えば、これが君の作った月餅か?」

 蒼玉様に尋ねられたので、そうだと返事をする。餡作りに区切りがついたのでもう一度彼の顔を確認すると、既に普通の表情に戻っていた。

「うん。見た目は良くないけど、味は大丈夫な筈」

「一つ頂いても?」

「大丈夫よ。ああ、さっき食べてたベリルがそこで問題なく砂糖煮作ってるから、毒見も済んでるわ」

「ベリルに先を越されていたか。マリガーネットが作った物なら、毒見なんて必要ないだろうに」

 さらりとそんな事を言われて、頬が熱くなった。つまり、彼はそれだけ私を信用してくれているという事である……それは、やっぱり嬉しいだろう。ぱたぱたと手の平で仰いで冷ましている間に、蒼玉様は月餅を口の中に入れて咀嚼を始めていた。

「ああ、美味しいな」

「ほんと? それなら良かった」

「胡桃と松の実と檸檬の砂糖煮か。母上が好きそうな具材だ」

「お義母さまが好きそうなら良かった。でも、良く分かったわね。流石」

「小さい頃、母上から頂く月餅は大体この組み合わせだったからな。砂糖煮は、檸檬だったり蜜柑だったりと変わる事もあったが」

「あら、そうなのね。そう言えば、月餅の中には茹で卵の黄味が入っていたり味付け肉が入っていたりする事があるって聞いたけど、本当なの?」

「本当だ。餡と具は作り手によってかなり差があるものだからな……地域ごとの傾向はあるが最近は交流も盛んだから、特に皇都だと何でもありだ」

「面白そうね。それじゃあ、今度城下町で月餅の食べ比べしようかしら」

「それなら俺もお供しよう」

 そんな風に言われて、思わず首をかしげてしまった。彼は、人酔いしてしまうくらいに人込みが苦手ではなかったか。この国に来てからも、公式の宴は早々に切り上げているのをよく見るが。

「城下町なんて人でごった返してると思うけど、大丈夫?」

「ああいう雑踏は案外大丈夫だ。それに……」

 そこで言葉を切った蒼玉様が、私の方に一歩近づいた。至近距離で見つめられて、だんだん鼓動が早くなってくる。

「マリガーネットが一緒にいてくれるなら、百人力だな」

 彼の右手が動いて、ぽんぽんと頭を撫でられた。次いで、その手が下りて来て頬をするすると撫でられる。

「……それなら、任せてくれて良いわよ」

 頬を滑る体温が、気恥ずかしいけど嬉しくて。精一杯の強がりを、口に乗せた。

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