0430「ちーちゃん」(押見修造先生)

 漫画と映画のストーリーが異なる時間軸において繋がっていくという、おそらくそのようなコンセプトで、メディアミックス的な観点から、作品世界を構築している。


 そういった作品なんだろうか。


 ストーリーとしては、ほんとうに絵でモノを言わせるといったような、画力の高い人しかできないような漫画であったような気がしている。だから、セリフが少なくてもとても満足感のある漫画だったような気がしている。


 ちーちゃん、というキャラクターは、いわゆる放置されている悪環境において、幼少期のころより育ってきたというような設定だった。ちーちゃんが、環境によってそのような性質をもつようになったともいえるだろうし、もともとそのような特異な性質を兼ね備えていたということもできるだろうし。ただ、そのネグレクトだったり、親のほうにもかなりの問題があるといった、社会問題としての産物で描かれているという側面があるかもしれない。


 幼馴染として、再び、その関係性についての岐路に立たされているシーンが、最後にあったと思うのだが。あれは、おそらく、かなり重要なタイミングで、犬の散歩をしていた男性という都合のよい存在によって、阻止されてしまった。もともとの可能性のたかい方向へと、物語の軌道修正が露骨になされたといったような効果もあった気がしている。私はその物語上の都合というものに、物語の良さというもの、描けないものを描きうるという性質を見出しているし、その技巧の練習をしたいとも思っているので、そこらへんをまた繰り返し繰り返し読んでいきたいなんてことも考えている。


 好意を寄せていた男の子に関しても、親が表面上はよく見えても、かなりの異質さを持っているということが、あとあと分かるように描かれていた。ストーリーの前半で、その男の子の異質さというものが、ところどころに、彼女をとおして、周りの生徒、クラスメイトを通して、間接的に、感情に訴えかけるように描かれていたと思うが、その疑念は一度、家族とのやり取りで緩和されていたとも思う。でも、それが初期の予想通りに、軌道を修正していくような、そんなシーンの描写もあって。


 少しだけ読者を、良く、振り回すようなストーリー構成にもなっていた感じがする。この漫画の性質上、作画はうまいとはいっても、押見修造先生の過去作品とに比べれば、大きく手抜きのような、意味のある効率的な手抜きのようなものを感じたけれども、今回もとてもしっかりと押見修造先生を感じることができたと思う。


 ちーちゃんが、最後、我が道をゆく、というふうな描写もあって。なんだか、それもよかった。


 こんなに短い紙幅のなかに、いろいろな展開を織り込めるのは、本当にすごいなと思う。草の付着したお尻付近のスカートとか。そういった何があったか連想させる描写も、いたるところにあったし。目が、目元が強調されているところも、やはり押見修造先生の雰囲気をとても感じた。


 目がモノを言う、なんて言葉もあるくらいだし。(あったよね?)


 漫画と目の愛称はとてもいいんだなということを、実感した機会にもなった。また押見修造先生の作品を振り返って、繰り返し繰り返し読んでいこうかな。


 とにもかくにも、どんなかたちであれ、新作を読めてよかった。


 ありがとうございました!

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