第11話

 昔ながらの黒電話のベル音が鳴り、加奈は目覚めた。昨夜は事件の手掛かりになるかもと思い、以前の煙幕事件と、今回の煙幕の相違点を書き出したメモを、握りこんだまま寝落ちしていた。加奈の勤める、国内2番手の自動車メーカーの開発陣は、最先端を追い求める傾向が強いので、加奈のスマホの着信音は、あえて古い黒電話の音にしていた。入社したての頃の上司が、開発陣は温故知新を常に考えろ、それが今後のヒントになる、この言葉に感銘を受けた加奈は、温故知新をいつでも思い出せるように、との考えての着信音だった。寝起きの加奈の頭は働いていない。着信の番号も登録されていない番号、誰なの?と不機嫌になったが通話ボタンをタップした。

「おはようございます。警視庁の西です。森崎さんの携帯ですか?」

 加奈の寝起きの頭では、想定外だった声と相手で、ベッドから飛び起きた。時刻は午前九時だった。常識の時間ではあるが、加奈は昨夜、眠りが浅くて、何度も目覚めた。

「もしもし、森崎さんの携帯でしょうか?」

 西はもう一度聞いた。加奈はハッとしてようやく頭が動き出した。

「はい、森崎です。警視庁の西さんですね。北川君は大丈夫なんですか?」

「幸運と言って良いのかどうなのか、至近距離から撃たれたので、銃弾は二発とも身体を貫通していました。腹部に関しては内臓を傷つけることなく貫通していたのでそれが良かったのです」

「って事は、北川君は無事で良いんですね?」

「はい、森崎さん。絶対安静となっていますが、命に別状はないです。意識も戻って会話も出来ます」

 加奈は涙をポロポロと零し、身体の奥底から湧き上がる安堵感と、大粒の涙が同時にあふれ出た。

「面会は出来るのですか?着替えなど、届けたいものもあります」

「今は警察関係者と、事情聴取などで忙しいはずだけど、夕方になれば森崎さんの入院の届け物があるので、面会を出来るように言っておきます」

「ありがとうございます、ありがとうございます」

 松江市の病院名をメモして、午後四時に行けるようにしとく、と西は言ってくれた。加奈はホテルの部屋で、昨日の買い物に抜かりはないか、買い足すものはないか、を調べた。チェックアウトを済ませ、フロントで松江市の病院の場所を教えてもらった。タクシーで行けば1時間弱の距離、バスでゆっくり行っても早く着きすぎる時間だ。シトシトと降る雨のバスの車窓を眺めながら、晴れやかな気分で、加奈は松江市に向かった。松江市で昼食を食べ、病院食では飽きるだろうと、缶詰め等、小分けで保存出来る食品を買った。午後四時と決められた時間があると、その時間までは途方もない時間が続くように感じた。買い物をして、昼食を食べてもまだ午後二時過ぎだった。病院近くの喫茶店で時間まで待つことにした。アイスコーヒーを頼み、店内のテレビを見ていると、昨日の事件の久米容疑者の生い立ちを追っていた。島根出身だった事に加奈も、店内の他のお客たちもびっくりしていた。進学校から大学、警視庁進んだ経歴、次は家族構成になった。最近は事件があると、情報提供者が多いのか、細やかな事までニュースとネットに上げられる。久米の母は当時、専業主婦で父は島根で小規模の土木建設会社を営んでいた。営んでいたと過去形だった理由は、そのままテレビを見ていると判明した。久米の父親は、十五年以上前に亡くなっていた。高速道路の工事中の事故死だと報じられた。亡くなった後で、母方の性の久米に変更した。一人っ子だった久米は母に育てられた。加奈はお気の毒にと思う反面、北川に銃弾を撃ち放った久米に怒りが湧いてきた。母親も八年前に亡くなったと報道された。その後は、同級生や近所の人たちに久米がどんな人物像だったのインタビューをして、映像はスタジオに戻された。

 漠然とテレビを流し見していた加奈は、時計を見てハッとした。時刻は三時五十分になろうとしている。急いで荷物を抱え、病院へ駆けた。病院に着くと、どこで聞きつけたのか報道陣が外でたむろしていた。北川の件だろうと思い、一般の見舞いを装い病院の玄関ロビーに入った。

「森崎さん」

 西に話しかけられた加奈はホッとした。病院に来たものの、面会は受付で言えば通してくれるのか、警察が居て話をすれば良いのかを考えてなかった。

「あっ、西さん。わざわざ病院まで来てくれたんですね。ありがとうございます。私、どうやって北川君に面会出来るんだろうと不安だったんです」

「私こそ申し訳ない。面会の方法を、森崎さんにお伝えしてなかったのと、警官が一緒に居る部屋での面会も話しずらいと思い、私が来させていただきました」

 加奈の不安な部分を先にカバー出来るなんて、良くできた上司だ、と北川が言っていた気持ちが理解できた。五階までエレベーターで上がると、病室の前で警官が立っているのが見えた。誰もが判る、警察保護下の病室は、右奥の突き当り一つ手前の部屋だった。一命はとりとめた、とだけ聞いている加奈は不安だった。病室で北川が色々な機器に繋がれ、命を延長している風景が昨夜から数度、脳裏をよぎった。

「ここです」

 西が部屋をノックし、大きなスライドドアを開けてくれた。加奈の眼前に飛び込んできたのは、照明に照らされ、ベッドを少し起こして横たわっている北川だった。

「き……き、た、がわくん」

 加奈は涙で潤った声で、声を絞り出した。無事そうな北川を見て、張り詰めていた緊張が一気にほどけた。ベッドの横で良かった、良かったと加奈は北川に覆いかぶさった。その時、西はそっと病室を出た。

「加奈、痛い、加奈、痛いよ」

 撃たれた傷跡が痛み、北川は苦悶の表情と、喜びの表情をしていた。加奈が心配してくれていて、入院の用意を買って、島根に滞在してくれていると西から聞いていた。そんな加奈を北川は愛おしく思い、午後四時の面会を心待ちにしていた。落ち着きを取り戻した加奈は、北川に質問攻めを浴びせた。容体は?傷の具合は?何故撃たれたのか?どうしてSPの久米が撃ったのか?

「落ち着いて、落ち着いて加奈。事件の全容は俺もまだ知らされてないんだ。それに捜査機密もあるから今はまだ喋れないことが多いんだ。ごめん」

「北川君が無事だから良いよ、傷の具合ぐらいは聞いても良いよね?」

「ああ、弾は二発とも貫通したのが良かった。左肩は健を少し傷つけたとかで、今は動かせないんだ。脇腹は内臓に当たることなく貫通してくれたから助かった。どちらも縫い後が痛むけど大丈夫。ありがとう、加奈」

 落ち着きを取り戻した加奈は、入院に必要だと思って買ってきた用品を壁際に置いた。

「ありがとう、加奈。東京へは戻らなくて良かったのか?」

「北川君の様子を見て、無事そうだったら帰ろうと思ってたんだけど、まだ島根に残るね。北川君が心配だし、入院の付き添いも居たら良いでしょ。有休も使ってなくて、たっぷりあるから。何かあったら北川君に責任取ってもらうね」

 北川の顔を見た加奈は、明日からの仕事はどうでも良くなった。今はこの人の傍で、この人の為に過ごしたいと思えた。

「おいおい、大丈夫なのか?視察と打ち合わせで島根まで来たんだから、会社に戻ったら報告とかすることがあるんじゃないのか?俺は助かるけど」

 北川は加奈が、自分の為に会社を休んでまで看病してくれると言ってくれた事に感激していた。嬉しくて、嬉しくてたまらないのに表現の苦手な北川は『俺は助かるけど』の一言が精一杯の表現だった。

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