僕は生霊

佐々井 サイジ

第1話

 床に膝をついたとき、課長の怒鳴り声がかすんで聞こえなくなった。代わりにもう死にたいという言葉が瞼の裏に無数に刻まれて体内にも駆け巡った。でも結局自分には死ぬ勇気がない。そう認識すると消えていた課長の怒鳴り声がまた大音量で轟き始めた。手のひらを床につけて、最後に頭を下げた。ひんやりとした温度が額に伝わるが頭は冷静にならない。

「土下座したら許されると思ってんのか? ああ? 毎日毎日毎日毎日よお。同じミスばっかりしやがって」

「大変申し訳ございませんでした」

「謝って済む問題かよ」

 じゃあどうすればいい。今すぐ立ち上がってお前の机をひっくり返して、驚いている隙にお前の目玉を抉り取って「見えないのでもう僕がミスしたかどうかわからないから解決ですね」と言いながらその目玉でお手玉すれば良いのだろうか。もちろんそんなことをする勇気も胆力もなく、床に額をこすりつけたまま動けない。動いてもいいタイミングもわからない。

 課長が僕に暴言を浴びせる隙間に、背後の同僚たちの囁く声が聞こえる。景色が見えるわけじゃないけど、その声色からは口元を歪ませて嗤っていることが想像できる。

「なんであいつ、辞めねえのかな?」

「存在がキモイんだけど」

「臭くね? うんこ食べたのかな?」

「ウケる、止めろって。課長に笑ってるの見つかったら飛び火するだろ」

 床に付いた手が拳をつくった。好き勝手言いやがって。殺してやる。このビルに火をつけてやろうか。でもわかる。僕にはそんな勇気がない。

 入社前の研修最終日、帰り際に雨が降っていた。ビルの前で立つ人は同期の香西さんだった。傘がなかったらしく僕は駅まで傘入りますか? と尋ねた。そこからだと思う、僕に対するいじめが始まったのは。香西さんは美人で優しく男性社員のあこがれだった。

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