第5話・最初の谷

 一旦ルイは追い払ったが、扉が突破されたのか亡霊の衛兵の数がどんどん増えている。

 そしてルイの駆け巡る足音が聞こえては隠れてやり過ごすことが増えた。しかし、私としてはこの盤面の方が好ましい。ルイの注意が香蓮ではなく私に向いていることの何よりの証拠だ。そしてだが、まさか香蓮がこの建物の屋内に居ないとは思ってすらないだろう。

 しかし、今しがたルイとの逃走劇の中で気になることが1つ。それは、私の膂力が明らかに増していることだった。

 衛兵は最初出くわした時に見たように成人男性並みの力を持っているのにもかかわらず、さっきの私はその衛兵が数人束になってこじ開けようとしていた扉を無理やり閉じることができた。

 力が強くなるのはこの状況においては私のアドバンテージになるが、「今までの私でなくなっていく」という状況がひどく恐ろしい。

 私はこの力で何をさせられるのか、この力が何か悪いことに作用しないか、心の底から恐怖している。

 漫画やアニメの世界では、力を手にした主人公はすぐにその力に適応している。

 しかし、現実は違う。

 得体の知れないものに対してすぐに適応することなど不可能なのだ。

 できることは、その現実を受け入れ、迫りくる喫緊の課題に対して対策することだけだ。

 だから、弱音を吐いていても仕方ない。私は「得体の知れないものになっていく私」に恐怖しつつも、私の大切なものを守るためにこの力を振るっていくしかないのだ。

 またここ二時間ほどこの建物を探索した結果、私にはあのルイに対して1つ勝算ができた。今しがた屋上へ登る階段を探していたのは、その勝算を実行するためだ。

 そして、その屋上へ登る階段が私の目の前にある。

 それを実行する前に、自分のプランに穴が無いか頭の中でシュミレーションを繰り返す。

 抜け目がないことを確認すると、私は「細工」をするために屋上への階段を登った。


 「細工」が終わった後、もう一度四階へ戻る。結局、細工をしている間はルイは屋上へは登って来なかった。

 その細工は、私も、香蓮も。どちらともが助かるために必要な手段であった。その細工がきちんと機能すれば私は助かる。

 しかし、ルイの注意が私ではなく香蓮に向けば香蓮は助からないし、私が助かる可能性もぐっと下がる。

 そこで、四階に降りて細工の「最後の仕上げ」をする。

 すぅーと大きく息を吸い、思いっきり叫ぶ。

「おいこのクソチビ男!私は屋上で待っているぞ!いつまで待たせるんだ!」

 廊下にその音が響きわったった後、あちらから大声で返事が返ってくる。

「なんだとこのクソ女!首洗って待ってろ!」

 なんと。ルイはこんなに安っぽい挑発に乗ってくれた。

 そう、最後の仕上げというのは、屋上へルイを呼びつけてルイと戦闘をしながら時間を稼ぐ。これ以上でもこれ以下でもない。

 私が屋上へ上がってくると、ルイはその少し後を追って屋上へ上がってきた。

 そして、私が施した細工を見て思わず困惑する。

「……おいおい、楽しくマシュマロでも焼きながらお話しましょうってか?」

 屋上の中央には、コンクリートの上に廃材で作られた腰の高さほどあるキャンプファイヤーが燃え盛っていた。

 これこそが私が助かる最後の頼みの綱。

 あちらから見るといきなりキャンプファイヤーを炊きだした頭のおかしい女に見えるだろうが、私はこれでも至って真面目なのだ。

「で、最後に1度聞いておこう。ボクのことを手伝うつもり……。いや、こんな飾った言葉はよそう。ボクの軍門に下るつもりは無いってことでいいかい?」

 ルイは私に圧をかけている。ルイの後ろからは10人ほどの衛兵の亡霊がぞろぞろと出てきてルイのそばに侍っている。いつでも攻撃可能だと私を脅しているということは、おそらくサルであっても分かるだろう。

 対して、私の武器は鉄パイプ一本と秘策のキャンプファイヤーだけだ。

「……。」

 ルイは今か今かと答えを待ちわびているが、私の答えは1つであった。

「嫌だね。お前なんかの軍門に下るぐらいなら、今この火に飛び込んで焼かれる方がマシだね。」

「それが答えか。なら、力ずくで服従させるまでだ!」

 ルイが手を前方の方へ向けると、一斉攻撃が始まった。

 衛兵は一斉にこちらへ距離を詰めてくる。先ほどとは違い数で取り囲もうとしているようだ。

 しかし、一斉に距離を詰めたのは失敗であっただろう。

 側面から、鷹が彼らの横っ腹を貫く。これで残りの衛兵は三人。

 けれども油断してはならない。後ろではルイが数十個の光球を横並びにさせながら、攻撃の機会を伺っている。

「今だ!」

 ルイの合図で光球による一斉攻撃が始まる。

 軽い身のこなしで光線を避けながら、ルイを翻弄する。外れた光線は大空を突き抜け、一瞬、また一瞬と街を花火のように明るく照らす。

 光線はキャンプファイヤーを破壊し、崩れ落ちる。しかしそれでも火はその身を揺らすことを止めなかった。

 そしてちょうど遮蔽物となる場所にある室外機へと身を隠した。

 このままでは包囲されて終わりだが、これで終わるほど作戦を練っていないわけではない。

 私の方に興味が向いているうちに、大空の「伏兵」をもう一度向かわせる。

「クッソ!こうくるか!」

 ルイの後方に侍っていた衛兵や半数近くの光球は、先程衛兵数人を葬ったのち空に滞空していた鷹に貫かれ尽く消滅した。

 これでルイの残り残弾数は見えている限りでは二十発と少し。

 ここで油断してはさっきの二の舞いだ。二度もしてやられたルイは、今度は鷹の撃墜に動き始めた。

 光線は大空に羽ばたいている鷹めがけて何度も発射されたが、鷹の体色が闇夜に紛れて保護色になっていたこともあり、1度も被弾することなくルイの注意を引く。

 この隙に室外機の影から飛び出し、キャンプファイヤーの業火に紛れてルイへ接近する。ここからは読みが当たっていれば私の有利になるだろう。

「下ががら空きだよ!」

 私が振った鉄パイプの一閃で残りの衛兵はすべて消滅し、鷹を撃墜するのに浪費された残り数個の光球も3つを残して破壊した。

 破壊された光球は先刻のようにフラッシュとして目潰しの機能を果たすことはなく、大空に向けて光線を放った。

 そして、この瞬間私の読みは当たった。

 ルイのこの光球は確かに強力であるが、私の鷹のように自律的に攻撃をしてくれるというわけではなく方向や発射タイミングまですべて自分で決めねばならないのだろう。

 第一として光線が光の速さだと仮定すると、私に対して光線がここまで当たらないということは、自動で狙いを定めねばならないのではなく、自分で狙いを定めねばならないということは明白だ。

 そしてそのせいで光球の操作ばかりに気が取られ、他のところへの気配りがおざなりになる。

 更に、先程は大空の鷹の撃墜に躍起になっていたばかりに光球の光線発射方向が大空に向き、私が光球を破壊しても光線は大空を突き抜け、結果として私の目が閃光によって潰されることはなかった。

「くっそ!お前本当に素人かよ!」

「大丈夫、ちょっと頭がいいだけのド素人だよ。」

 残りの光球はルイの背後にある。咄嗟に出しても指向を設定して発射するまでの作業は間に合わないだろう。そして、衛兵は居ない。ルイも反撃を諦めたのか防御の体制をとっている。

「獲った……!」

 ルイの左脇腹に向けて、フルスイングで鉄パイプを振りかざす。しかし、それは私が思っていたほどの一撃とはならなかった。

 なんと私の怪力とルイの防御力に、鉄パイプ側が耐えきれなかったのだ。パイプはくしゃりと折れ曲がり、くの字型を形成していた。

 ルイは打撃が入った部分を右手で抑え、残りの光球で牽制しながら私を数歩後に退かせた。

 まさか、武器の方が耐えきれないとは全く考えていなかった。

 しかし、ルイ側の方には戦いに支障が出るほどの傷ができていた。防御に使われた左腕は関節が1つ増えてあらぬ方向に曲がり、ルイもその部分を右手で抑えながら苦悶の表情をしていた。

 その一撃でルイが倒れることはなかったが、既に勝敗は決したように思えた。

「私もお前を傷つけたくはない。お願いだから、降伏してくれ。そうしてくれたら、今日のことはなかったことにしておく。」

 結局私の「秘策」を使うことはなかったが、これでルイが降伏してくれれば万事解決だ。

 結局ルイはそんなにも私の力を欲していた理由はわからずじまいだが、面倒事には巻き込まれないことこの上ないのだ。

 しかし、この状況においてもルイはその態度を改めなかった。

「……いいや、むしろ降伏するのは君の方だ。勝者はボクさ。」

 一体何を……。と思っているのも束の間。

 ルイの背後にある屋上へ登る階段の向こうから、2つの影が姿を見せた。

「……!めぐちゃん、ごめん、この人たちにみつかちゃって!」

 香蓮は乱暴に扱われたのか、その目尻に涙を浮かべていた。そして、ルイが行っていた「私への降伏勧告」の意味がやっと理解できた。

 その影からは、二人の衛兵……。そのうちの一人に首をがっちりと押さえつけられた香蓮の姿が目を見せた。もう一人は、香蓮の頭に銃を突きつけていた。

 そう。香蓮は逃げそびれたのか、衛兵に捕まってしまっていたのだ。

「……ふふふ、この女はやっぱり馬鹿だ。『たまたま会ったね』だなんて言ってボクにホイホイついて来るし、危険だと分かっていながらお前を助けに来たんだよ。」

「もちろんこのままキミ一人のままだったらボクの敗北だったさ。キミに逃げられるか、もしくは殺されていたかもな。けれど、まさかお前の勝利を台無しにするのが、お前が護りたくて仕方がなかった『お友達』だったとは、これ以上の笑い話なんてありゃしない。」

 ルイは一人で楽しそうにべらべらおしゃべりをしている。もう、この状況を解決するにはあれしか……。

 私は上空に滞空していた鷹に命じ、衛兵二人の頭を突き抜けるように指示した。この状況を解決する手段はこれしかない。

「キミ、同じことしかやらないね。」

 突如、ルイのフードの中から光球が浮上し、急降下して攻撃をしようとしている鷹めがけて光線を発射した。

 既に低空域に達していた鷹の右翼に命中し、ルイの足元にポトリと落ちた。

「それだけ同じことばかりやってたら、ボクでも対策は思いつくさ。その急降下からの攻撃は確かに強力だけど、軌道が読みやすい分対処する側からしたら初見じゃない限りありがたいことこの上ないよ。」

「……それよりも、キミはお友達のことを気にしたほうがいいんじゃないかな?」

 香蓮の左頬に、衛兵の銃の先端についているナイフの先端が刺さる。傷口からは血が薄く垂れたいた。

「ほら、早く降伏しろよ。それとも、お友達を殺してまでもボクと戦いたいのかい!?」

 いつの間にか、ルイの表情には苦悶の表情が混ざりつつも余裕が出てきていた。負傷した翼を引きずりながら私の方に近寄ってくる鷹を、ルイはこれでもかと踏みにじっていた。

 未だに燃え続けるキャンプファイヤーを挟んで私とルイは退治していたが、その情勢は先程とは全く異なり、体は万全の状態の私に対して満身創痍のルイの方が圧倒的に有利な盤面にあった。

 どうすれば、どうすればいい。もう服従の選択肢しかないのか……?

 しかし天秤の上に鉄床が落ちるように、情勢は私が有利なようにまた動いた。

「……パタパタパタパタパタ――!」

 その時、私が今か今かと待ちわびた音が遠くから聞こえてきていた。やった!私の秘策がやっとのことで実ったのだ。

 その音は瞬く間に私達のもとに近づき、姿を表した。ヘリコプターだ。

 私が建物の中で香蓮を背負いながら逃げていた時から、外でヘリコプターの巡回する音がやけに多いことに気づいていた。

 通信手段を失っていたので、それが何なのかは正確なところはわからなかったが、私にはそれが今日の日中のことに関連していることは容易に想像できた。

 そして、外へ逃げる道がなかった場合は屋上へ出て助けを求めることも思い浮かんだが、それでは足りない。そこで、私は2つの信号を用意することにした。

 ひとつが、未だに煌々と燃え続けているキャンプファイヤーだ。まさか、屋上でキャンプファイヤーを炊く馬鹿はそうそう居ないだろう。

 そしてもう1つはルイ側がわざわざ提供してくれた。それは地面や目標に対して当たること無く霧散した光線の数々だ。

 ルイの光線は、暗がりではよく目立つ。

 そこで、これを利用して助け舟として利用しようという形になった。

 そして、ここに私の「秘策」は実ったのである。

 ヘリのドアが空き、真っ黒な制服に身を纏った乗員が私達のほうに声をかける。

「こちら国防軍。命が惜しくば、両手を上げて地面へ伏せろ。」

 よかった。消防ヘリとかではなくて警察の……。え?国防軍?私の想定では警察のヘリとかに発見される予定だったのだが、やけにスケールが大きい話になってきた。

 ルイの言う「ゲーム」とやらにも関与しているのだろうか。やはり、この話には深く関与しないほうが懸命だろう。ものすごい面倒そうな話の予感がする。

 ルイは従わず、ヘリの方をにらみ続けているが私は言う通りに両手を上げ、地に伏せようとする。

 報告を受けたのか、遠方からも二機のヘリコプターがこちらに近付いてきていた。

 しかし、私は違和感を受けた。

 ヘリコプターの方から聞こえてきていた降伏の勧告が突如止み、その体がふらつき始めた。

 私達のほうに姿を見せていた乗員は、振り返ったと思えば急に怖気づき出した。そして、ヘリの奥から姿を表したのは白い一枚布に身を纏った男が姿を現す。

 男は怖気づいていた乗員の胸を手刀で貫き、そのまま機外へ放り捨てた。

 その男の異常性については、私でも気がついた。いきなり機内に現れたと思えば、中の乗員を抹殺した。

 おそらく警告が止んで期待がふらつき始めたのも、この男が機内の人間を抹殺したからだろう。

 舵手を失ったヘリコプターはその姿勢にバランスを欠き、轟音を発しながらはるか遠くに墜落した。

 そして、気がつくと男は私とルイの間にあるキャンプファイヤーのすぐ真横に立っており、はるか遠くを飛んでいるヘリコプターを見ていた。

 男はところどころに装飾が施された一枚布を身に着けており、頭髪はきれいな茶髪であった。肌の色はかなり濃く、顔の彫りはかなり深く少しやつれているようにすら見えた。

「お、お前まさか……!ロムルスか!?」

 ルイが口を開くが、ロムルスは気にもとめない。

 むしろ、ロムルスの方から私へと話しかけてきた。

「お前が最後のイデオロジストの大和めぐみで間違いないか?」

 こいつ、私の名前を知っているのか。ここ最近、不気味なことが起こり過ぎだがいったいどうなっているのだろうか。混乱で言葉が出てこない。

「私は質問しているのだ。答えろ。」

 ロムルスは私にただ問いているだけだったが、その言葉にはものすごい気迫があった。逆らってはいけない。そう私の本能が訴えかけてくるような気迫であった。

「いでおろじすとというのが何かは分からないけど、私の名前は大和めぐみで合ってる。」

 気圧されて思わず言葉がカタコトになってしまった。相変わらず、ロムルスはもうすぐそこに迫ってきたヘリを見ていた。

 ロムルスは「そこから動くな」と私に一言残すと、飛び上がる姿勢をとったと思ったら次の瞬間にはそこから消えていた。

 ヘリは男に対して発砲を始めたが、しかし抵抗虚しくヘリは一機が先ほどと同じように操舵手を失いバランスを失い撃墜。もう一機は真っ2つに折れ、そのまま落下してしまった。

 その様子を、私とルイはただ見ていることしかできなかった。あの男に、軍のヘリ部隊が敗れたのだ。

 ロムルスは私たちの前にスタッと着地する。

 今、私が見極めなければならないことは1つ。香蓮のことは大丈夫だ。あの男に気圧されて、ルイは下手な行動をとることはできないだろう。

 見極めねばならないことというのは、この男が私の味方なのか否かだ。私を助けに来たのならヘリ部隊を片付けた意味がない。しかし、私を消しに来たのなら今まで私に一切の危害を加えないことが甚だ疑問だ。

「……お前、この私を見定めているつもりか。大層なご身分だな。」

 私の深層心理が、この男の顰蹙を買うことは避けるべきだと言っている。

 第一、いでおろじすととは何なのか。私にはさっぱりわからないし、聞いた覚えすら無い。

「まあ良い。どちらにしろ、今日の目的は1つのみだ。」

 そう言うと、ロムルスは確かな足取りで私の方に一歩、また一歩と近寄ってきた。

 どうする?逃げるか?それとも戦うか?しかしどの選択肢をとっても相手に先手をとられるような未来しか想像できない。

 ルイは逃げの一手をとった。香蓮を開放し、屋上の階段を勢いよく駆け下りていく後ろ姿を見た。香蓮は長い間首を圧迫されていたからかひどく咳き込んでいた。

 しかし、今の私にはどうすることもできない。

 今私は目の前に迫りくる、恐怖を具現化したような存在をどうにかしなければならない。

 そうこうしているうちにロムルスは私の目の前まで来た。終わりだ。

 ロムルスは私の目の前まで来て、私の額に右人差し指を突きつけて、こう言った。

「お前にはこれから私のために働いてもらう。せいぜい頑張れ。」

 そう言うと突きつけた人差し指で私の額を殴打し、私は気を失ってしまった。まったく、一日に何回意識が遠のく感覚を味わなければならないんだ。

 

 そして、私の「日常」は終わりを告げ、また新たな「日常」が始まるのであった。

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