第20話「黒熊侯爵、灰狼侯爵領を訪問する」
──数日後、
「
先頭の兵士が
旗はマジックアイテムだ。
一行が
やがて
『不死兵』は反応しない。10体とも灰狼領の方を向いたままだ。
黒熊候の一行は、灰狼侯爵領を自由に出入りできる。
あの旗を持つ者たちを攻撃しないように、『不死兵』が設定されているからだ。
王家の者は『不死兵』の管理権限を持つ。
誰を攻撃して、誰を攻撃しないのかを設定できる。
『不死兵』に対して、『このアイテムを持つ者に従え』という指示もできるのだ。
そんな『不死兵』を
そうして黒熊侯爵領の一行は、なにごともなく灰狼領に入り──
街道の先で待っていたアリシア、それと灰狼の兵士たちと、顔を合わせたのだった。
「お待ちしておりました。ゼネルス候」
「久しいな。アリシア=グレイウルフ」
屋敷の応接間で、アリシアとゼネルスは向かい合っていた。
ゼネルスは中年の男性だ。
身体は筋肉質でかなりの長身。
顔の下半分には、黒々とした
ふたりの他に、部屋にはそれぞれの護衛がいる。
黒熊候の護衛は、
灰狼候の護衛は、
その答えにゼネルスは、満足そうにうなずく。
黒熊侯爵家は強く、灰狼侯爵家は弱い。
アリシアも彼女の護衛の兵士も、それがわかっているのだろう。
「また美しくなられたようだな。北方の
ゼネルスは重々しい口調で告げる。
「灰狼領を訪れるのは、貴女が16歳になってからにするつもりだったが、待つ必要もなかったかもしれぬ。また美しくなられたようだ。貴女の夫となる者はしあわせだな」
「過分なお言葉に感謝申し上げます。ゼネルス
アリシアはゼネルスの言葉を受け流し、一礼する、
「父レイソンは病のため、わたくしが灰狼候を代行しております。今日は、いかなるご用でいらしたのでしょう」
「
「と、おっしゃいますと?」
「わが黒熊候領に、魔物が出没しているのだ」
「そうですか。ここ灰狼でも、魔物には常に悩まされておりますよ」
アリシアはティーカップを手に、ほほえむ。
「もしかして、魔物への対策についてご相談にいらしたのでしょうか? でしたら、担当の兵士をお呼びいたします。当家のものは魔物との戦いを数多く経験しております。彼らの意見は参考になりましょう」
「灰狼領に魔物が多く出没するのは知っておる」
ゼネルスは皮肉っぽい表情で、
「だが、わが領内……特に北の山岳地帯に魔物が現れるのは珍しいことなのだ」
「魔物が出現するのが
アリシアは笑みを絶やさずに、
「魔物を避けるための秘策がおありなら、ご教示いただきたいものです」
「王家の許可があればな」
「王家の?」
「我らに領地を与えてくださったのは、初代王のアルケイン陛下だ。王しか知らぬ魔物避けの方法があるのだろう。それよりも」
ゼネルスは探るような視線で、
「我が領内に魔物が現れたことについて、なにか心当たりはないのか?」
「わたくしどもは、普通に魔物対策をしているだけですが……」
「本当か?」
「よろしければ、担当の兵士に説明をさせましょうか?」
「いや、自分で確認する。まずは、
ゼネルスは
「『ランドフィア王家の名のもとに、ゼネルス=ブラックベアが命じる。
彼はペンダントを窓の外に向けて、宣言する。
やがて、規則正しい足音が聞こえてくる。
灰狼の者たちのおびえる声も。
足音は徐々に近づき、やがて、応接間の扉が開いた。
部屋に入ってきたのは10体の『
彼らは横一列になり、
「黒熊候の権利として、『不死兵』をわが
ゼネルスは肩を揺らして、笑った。
「黒熊侯爵家は王家より『不死兵』に対する命令権を与えられている。偉大なるランドフィア王家はマジックアイテムの管理権限により、そのように設定してくださったのだ」
「ええ。存じ上げております」
「灰狼の者たちには自分たちの立場と、黒熊侯爵領が上位者であることを思い出してもらわねばならぬ。『不死兵』はいつでも灰狼領を滅ぼせること。お前たちは、王家と我らによって、生きることを許されているのだということをな!」
「存じ上げていると申し上げました」
護衛の兵士の隣で、アリシアが答える。
兵士がなにかつぶやいているが、ゼネルスには聞こえない。
アリシアは兵士の側に立ち、落ち着いた口調で、
「ゼネルスさま。ひとつうかがってもいいでしょうか?」
「許す」
「ゼネルスさまは、『
「……なにを言うかと思えば!」
笑い声をあげるゼネルス。
「わしに『不死兵』を恐れる理由があるものか!」
「『不死兵』が作られたのは、今から200年前と聞いております。古いものは、予期せぬ動きをすることもありましょう」
「王家のマジックアイテムを疑うことは
ゼネルスは『不死兵』の肩に手を乗せ、その槍に首を近づける。
『不死兵』に急所をさらしながら、ゼネルスは笑みを浮かべている。
「王家のマジックアイテムは正しい! 王家のマジックアイテムは間違わぬ!
「さようでございますか」
「わしと『不死兵』を引き離すつもりだったのだろう? だから『不死兵』が誤動作を起こすと言ったのだな? いやはや、灰狼の者にふさわしい浅知恵だな」
「いえ。そのようなことは……」
「初代王アルカインのマジックアイテムは絶対だ。ひとつの間違いも犯さぬ」
黒熊候ゼネルスは高らかに声をあげた。
「では、アリシア=グレイウルフよ。わしを山岳地帯の近くへと案内するがいい。黒熊侯爵が、
それぞれの馬車に乗り、アリシアと黒熊候は南の山岳地帯に向かった。
ゼネルスは護衛の兵士と、10体の『不死兵』を引き連れて。
アリシアの側には
黒熊候の馬車からはゼネルスの笑い声が
ときおり『槍を振り回せ』『灰狼の兵士を
『不死兵』はそれに答えるように槍を振り回し、灰狼の兵士の前で足を踏みならす。
灰狼の兵士は『不死兵』を遠巻きにするばかり。
その反応が面白いのか、ゼネルスはまた、笑う。
そうして、アリシアとゼネルスの馬車は、南の山に向かって進んでいき──
数十分後、山のふもとにある
「なんだこれは!? いつのまにこんなものを!?」
巨大な石壁を前に、黒熊候ゼネルスは目を見開いた。
「こんな巨大な防壁を……どうやって……」
「
アリシアが答える。
「また、これは魔王への対策も
「……な、なんと」
「石壁を作ってから、魔物の被害は
「いや、灰狼侯爵領にこんなものは必要ない!」
ゼネルスは
彼は、
魔物は生存本能で動いている。守りの
そして、この防壁は遠くからでも見える。
魔物からも、灰狼侯爵領の守りが堅いことは一目でわかる。
だから魔物たちは灰狼侯爵領を避け、黒熊侯爵領へ向かうようになったのだろう。
「黒熊候の名において命ずる。灰狼の者たちよ。防壁を破壊せよ」
「ゼネルスさま!?」
「お前たちは、捨てられた者たちだ」
ゼネルスはアリシアを
「捨てられた者たちが、どうして自分の頭で考えるのだ? 魔王が復活したときの備えだと? 余計な真似をするな!! 生意気な!!」
「魔物や魔王への対策が余計なことでしょうか?」
「ああ、余計なことだ。これまでのやり方でなんの問題もなかったのだからな。変わったことをすれば変化が起こる。変化が起これば、他領の者が迷惑する!!」
ゼネルスは地面を踏みならした。
「なにもするな。お前たちはただ、死ぬまで生きていればいい……いや、お前にはして欲しいことがひとつあったな」
「わたくしに、して欲しいこと?」
「我が子息のもとで、子供を産んでもらう」
「────!?」
アリシアが青ざめる。
両腕で自分を抱くようにして、ゼネルスから距離を取る。
「すでにお前の父には通告してあるのだがな。聞いておらぬのか? それだけでも灰狼侯爵領を裁く理由になるぞ」
ゼネルスは
「灰狼の者に価値はない。だが、アリシア=グレイウルフには商品価値がある。その血を当家に取り込めば、それなりに
「お断りいたします!!」
アリシアは叫んだ。
「父上がわたくしにその話を伝えなかったのは、断るつもりだったからでしょう! 黒熊候の一族の子を産めなどと……まして、その子を政略結婚の道具にするなど、受け入れられるわけがありません!!」
アリシアは嫌悪に満ちた表情でゼネルスを見返す。
そんな彼女を見ながら、ゼネルスは、
「次の灰狼侯爵は必要だ。それが我が血を引く子どもであれば、黒熊候領は灰狼候領に
「……便宜ですか」
「そうだ」
「それを信じろとおっしゃるのですか?」
「なにを言いたい?」
「あなたは、灰狼領の者との約束を守ったことがありますか?」
「失礼なことを言う」
「灰狼の兵士たちには、黒熊候領に働きに出た者が多くおります。兵士として黒熊領のために戦い、
「さぁ。なんと言ったのだろうな」
「『思い上がるな。人としてあつかってもらえると思うな』です」
アリシアは黒熊候ゼネルスをにらみつける。
「灰狼の民にそのような言葉を投げつける人間を、信じられるわけがありません!」
「ああ……おそらくあれは行き違いだな。正せばよかろう」
「では、今すぐ、民にあのときの報酬を支払っていただけますか?」
「すぐにとはいかぬ。貴女の父上にも、そう返答したはずだが」
「…………5年前のお話ですよ?」
「そうだな。時の経つのは早いものだ。幼かった貴女が、このように美しくなったのだからな」
ゼネルスは一歩、アリシアに近づく。
護衛の兵士がアリシアを守るように前に出る。
その姿を見ながら、ゼネルスは、
「北の果ての地に、貴女のような美姫が生まれるとは意外だ。我が子にくれてやるのが惜しくなってきたな。いっそ我が子を産むつもりはないか?」
「……お断りします」
「むろん、その子には黒熊候は継がせぬ。次期灰狼候として、黒熊候の
「お断りすると申し上げたはずです!」
「『首輪』のことを忘れたか?」
ゼネルスは、王家の紋章が
黒熊侯が灰狼候の上に立つことを示す、マジックアイテムだ。
「歴代の黒熊候は灰狼を管理することを認められている。逆らえばどうなるか、わかっているだろう?」
「わたくしを殺すのですか?」
「いいや。貴女の父、レイソン=グレイウルフを殺す」
「……あなたという人は!!」
「灰狼候に王家への
ゼネルスは歯をむき出して、笑った。
「我が意思は王家の意思だ。それに逆らうのは、王家に反乱を起こすのも同じ。その証拠に、これらの『不死兵』は黒熊候の命令を聞くように設定されているのだから!! さあ、黒熊候ゼネルスの命令だ。すべての『不死兵』よ、前に出ろ!!」
ゼネルスが手を振ると、10体の『不死兵』が前進する。
その『不死兵』の肩を叩きながら、ゼネルスは、
「これは
ペンダントを高らかに掲げて、宣言する
「だが、もう遅い! 悪いのは貴女だ! さぁ灰狼の民よ、あの防壁を破壊せよ。逆らうならば、『不死兵』が貴様たちを殺す! そしてアリシア=グレイウルフよ。父の命が惜しければ私のもとへ来るのだ!!」
南の山岳地帯に、黒熊候ゼネルスの声が
しばらくの間、誰も口を開かなかった。
怒りに満ちた目でゼネルスを見返すアリシアも。
彼女をかばうように立つ、護衛の兵士も。
フードで髪を隠した侍女も。そのほかの兵士たちも。
アリシアは深呼吸。
余裕の笑みを浮かべるゼネルスを
「お断りいたします」
「な、なに!?」
予想外の回答だったのだろう。
ゼネルスは目を見開き、あわてたように問い返す。
「なんだと!? 貴女は自分の言葉の意味がわかっているのか!?」
「ええ。その上でお答えしております」
アリシアはドレスの
「ゼネルス候。あなたのご提案はきっぱりとお断りいたします。わたくしは自分の命の使い方を決めております!!
「よくぞ申した! アリシア=グレイウルフ!!」
ゼネルスが紋章を突き出す。
「灰狼の兵たちも聞くがよい!! アリシア=グレイウルフは我が身かわいさに、父親を捨てたのだ!! 父の命よりも、自分の身が大切だと言ったのだ!! なんという
「わたくしが
アリシアは自分の首を飾る『首輪』に触れて、告げる。
「あなたに逆らったわたくしを殺しなさい!! あなたにはその権利があるのでしょう!?」
「……それは」
「歴代の黒熊候は『首輪』を口実に、灰狼候の一族をおどしてきました。ですが、誰ひとりとして『首輪』を起動して、灰狼候を焼き殺した者はいません」
「……う」
「あなたは本当に、わたくしたちを殺せるのですか?」
アリシアは怒りに満ちた表情で、ゼネルスをにらみつける。
「わたくしと父が死ねば、
アリシアは黒熊候ゼネルスを指さす。
黒熊候ゼネルスは歯噛みしながら、アリシアを見返すだけ。
「おどしには屈しません。わたくしを殺す覚悟がないなら、どうか、お帰りください」
アリシアはドレスの裾をつまんで、一礼した。
「わたくしたちは、ただ、放っておいていただきたいだけです。灰狼は黒熊に関わるつもりはないのです! どうか、このまま立ち去ってください。ゼネルス=ブラックベア侯爵!!」
「小娘が偉そうに!!」
黒熊候ゼネルスは、叫ぶ。
「立場をわきまえよ! 身分をわきまえよ!! 私は5大侯爵家の序列3位、黒熊候ゼネルス=ブラックベアだ!! 捨てられし土地の侯爵などに説教されるいわれはない!!」
「ならば『首輪』を発動いたしますか!?」
「そんな話はしていない! 立場をわきまえろと言っているのだ!!」
ゼネルスはペンダントを掲げた。
「ゼネルス=ブラックベアが命じる! 『不死兵』よ。灰狼の兵を攻撃せよ」
「黒熊候!? あなたはなにを!?」
「お前も、灰狼候レイソンも殺さぬ。代わりに、民を殺すとしよう。百人も殺せば、貴女も考えを変えるだろうよ。ああ、私が直接手を下すわけではない。手を下すのは『不死兵』だ」
10体の『不死兵』が動き出す。
その姿を見たゼネルスは、笑いながら、
「『不死兵』は間違わぬ。『不死兵』の行動を疑うことは、王家への
そうして『不死兵』は動き出す。
彼らは黒熊候ゼネルスの見ている前で、槍を構え──
「ひ、ひぃっ!? なんだ!? わしは黒熊候ゼネルス=ブラックベアだぞ!? どうしてわしに槍を向ける!?」
「「「な、なぜ、『
『不死兵』は槍の切っ先を、ゼネルスと
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次回、第21話は、明日の夕方くらいに更新します。
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