第9話 ストーカー(仮)の朝は早い




「ミスったな」


 翌朝の木曜日。電車を降りて学校に向かいながら、俺はそんな独り言を漏らした。

 周囲を見渡しても、同じ栄文高校の制服の生徒は見当たらない。それどころか、電車や駅のホームでも見かけなかった。


 別に今日が祝日で学校が休みなんてことではない。単に、俺が早すぎる時間に家を出たのが原因だ。現在の時刻、六時四十七分である。なにやってんだ俺は。


 いやね、自分でもわかってるよ?


 こんなに早く家を出たところで、ふーちゃんと顔を合わせることができないなんてことは、重々に承知している。だけどふーちゃんの遺書のことを考えると、家でじっとしていることが耐えられなかったのだ。


 そんなことはないはず――そう思いながらも、彼女が無事であるかどうかが心配でならないのだ。連絡先ぐらい、なんとか手に入れておけばよかった。


「このまま学校に行ってもなぁ……できれば、ふーちゃんの登校中も見守りたいところだけど、家に行くわけにもいかないし」


 それこそ、俺を信用して家に案内してくれたふーちゃんへの裏切り行為のようなものだ。絶対にそんなことはできない。昨日のうちに、その辺りを頼んでおけばよかったなぁ。


 まぁ妥協点として、途中で合流なんてことができればいいだろう。


 いやでも、本当にそれでいいのだろうか……その間に、ふーちゃんが事故に遭う確率だって、ゼロではないというのに。


 やはり嫌われてでも――たとえそれが裏切りとなっても、家に迎えに行くべきだろうか。


「…………はぁ、どうするかねぇ」


 ひとまず時間を潰すために、俺は陸上競技場がある方角に向かった。

 ふーちゃんの家に近いし、学校と彼女の家の中間地点ぐらいにあるし。


 この競技場の周囲には、公園にあるような遊具や、休憩するためのベンチがたくさん設置されてあって、緑も多い。年配の方がよくウォーキングとして使っていたりする場所だ。中学のころ、ここにある遊具で誠二や和斗と遊んだ記憶もある。


 ランニングコースっぽい場所の近くにあったベンチに腰を下ろし、ここからどうしようかと考えていると、


「……ふーちゃん?」


 少し離れたところから、えっほえっほとこちらに向かって走ってくる女子の姿を俺の目が捉えた。黒に白のラインの入ったジャージを身に着けており、胸に装備した推定Dの物質をゆっさゆっさと上下に揺らしながら、こちらに近づいてくる。


 遠目で見た感じだと九割五分という確信には至らないレベルだったけど、二十メートルほどの距離になったところで確信した。あれはふーちゃんだ。


 即座に立ち上がって、ランニングコースとなっている砂地の道に向かう。


「おはよ、ふーちゃん」


「――え、えぇえええ!? な、なんで邁原くんが!?」


 俺としても『なんでふーちゃんが!? こんな早くからなにしてんの!?』と叫びたい気分だったし、初めてみるジャージ姿に『可愛いぃいいよぉおおおおおお!』と言いたい衝動にも駆られていた。


 幸い、相殺する形になって落ち着いた声で話しかけることができた。


 ふーちゃんは俺の近くで足を止めると、恥ずかしそうに片手で顔を隠し、せっせと手櫛で髪の毛をセットしている。全然乱れてないし、乱れていたとしても彼女が可愛いことには変わりはないが。


 俺は驚き恥ずかしがるふーちゃんを前に、頭を掻いた。


「お恥ずかしいことに、家でじっとしてられなくてな……それで早く家を出たのはいいものの、特にすることもなくて、ここのベンチで時間を潰してたんだよ」


「……も、もしかして、私と一緒に行こうとしてくれてたの?」


 す、鋭い!? いやまぁ、昨日『家まで送り届けたい』とか言ったばかりだからなぁ。その発想に至るのは自然なのかもしれない。


「さすがに約束もしてなかったから、それは難しいだろうなと思ってたよ――ところで、ふーちゃんはこんな早くからどうしたの?」


 見たところ、ランニングをしていたようだけど。


 ダイエット――ではないだろうなぁ。ふーちゃん、どちらかというとほっそりとした体形だし。胸は平均以上だけども。


 俺の質問を受けると、彼女は顔を隠すのをやめて、両手で毛づくろいのように髪の毛をセットしたのち、両手をすり合わせる。


「あ、あの、私運動が得意じゃなくて」


「まぁ誰にでも得手不得手はあるよな」


「う、うん。で、でもね、ほら。私、この前体育祭の実行委員やりたいって言ったでしょ? せっかく実行委員をするなら、活躍とまでは行かなくても、みんなの足を引っ張りたくないなって思って」


 なにこの健気な子――そうです、彼女が俺の世界一大好きな人です。可愛いでしょう!


 脳内で好きな子自慢をし終えた俺は、ふむふむと首を縦に振った。


「あ、あとは、これは後付けになるんだけど、その――邁原くんと、いっぱい買い食いしたいなって」


「お、おぉおおおお」


 頭がクラクラした、あの破壊力たっぷりのセリフを聞いてよく倒れなかった俺。えらいぞ。褒めて遣わす。


 そんなフラフラの俺を見て「大丈夫!?」と駆け寄ってくるふーちゃんに死体打ちをされたが、なんどか再起動。


「そ、そうだったのか。今日から始めたの?」


「ううん、毎日じゃないけど、一か月前ぐらいから、かな? でも最近やっと慣れてきたから、これから毎日しようと思ってるの」


 ふーちゃんはどこか自慢げに、そう話した。ちょっとずつ体力がついてきて、自信につながっているのかもしれない。


「なるほどなるほど……ちなみにそれって、俺も一緒に走っていいの?」


 そう聞くと、彼女は「えっ!?」と驚きを隠せない様子だった。そこまで想定外だっただろうか? 誠二と和斗なら『まぁそうなるよな』と言いそうだけど。


「それはすごく嬉しいんだけど……で、でも邁原くんのおうちって舞宮だよね? ここまで結構時間かかるでしょ? 私は五分ぐらいだから平気なんだけど……」


「へーきへーき。俺っていつも早寝早起きだし。それで、ふーちゃんはいつもどれぐらい走ってるんだ?」


「え、えっと――七時から、三、四十分ぐらいかな? 帰ってから汗を拭いて、着替えてから学校に行ってるの」


 なるほど、つまり今日と同じ電車に乗れば彼女の安全を確保できるってことか。余裕だな。


「よし! じゃあ明日の朝からふーちゃんを家まで迎えに行こう! 六時五十五分ぐらいに行けばいいよな? あ、もちろんふーちゃんがちょっとでも嫌だなって思えば我慢するけど」


 彼女は俺の言葉を聞いて、むすっとした表情を浮かべる。とても可愛い。


「ず、ずるいよ、その言い方は」


 たしかに、卑怯な言い方だった自覚はある。ごめんよふーちゃん。


「ということはつまり、嫌ではないと」


「…………嫌なわけ、ないよ」


 むー、という声が聞こえてきそうな顔だ。だけど、ちょっと嬉しそうにも見える。俺の希望的観測でなければの話だが。





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