六の眷属《セクスト》


 

 

 その屋敷の客間は、暗く重厚な雰囲気に包まれていた。古びた木造の壁には、薄暗い灯りが幽かに揺らめいている。床は古びた畳で覆われ、その上には唐草模様の美しい絨毯が敷かれている。一角には書棚があり、その上には戦術書などの書物が整然と並べられている。

 

 客間には客人が坐るための椅子もあるが、その配置は決して屋敷の主の座る場所に届かない距離を意識したものと思われた。窓からは外の庭園の様子が朧げに見え、ときおり風に揺れる木々の葉が部屋に影を落とす。息苦しい静寂が、この不穏な空間に広がっていた。

 

「――そろそろ始めましょうか」

 

 頭領の座に鎮座していた初老の女が立ち上がると、お付きの者が意を汲んで準備のために退室した。室内に二人を除いて誰もいなくなり、彼女の向かい側に立って窓の外を見ていた客分は視線を落として、彼女を睨め付けるようにじろりと見つめた。

 

 客分の男は顔から体まで全てを包帯で巻いていた。怪我をしているというふうではなく、何かから身を隠すためにそうしているようでもある。包帯の巻かれていない部位として、臀部からは尻尾がひょろりと伸びていた。先端に向かうにつれてフサフサとした獣毛が塊のようになっており、牛の尻尾によく似ている。彼の頭には四本のねじれたツノが生えていて、一部に六という数字が刻まれていた。これは魔王の十ある魂の一つを受け継いだ眷属デーモンの証である。

 

「カイツール、貴方と同盟を組んで一年が経つのね。貴方の言う通りにしたらイーガの里は一つにまとめ上げることができた。感謝しているわ」

 

「気にするな。オレにはオレの目的がある。そういう意味ではこちらも感謝している。ミノ、キサマに手を貸せば食うものに困らない。若いニンゲンは美味だが、調達が難しいのが難点だった」

 

 カイツールが包帯の下で牙を剥き出しにしながら言うと、ミノは不敵にほくそ笑んだ。

 

「さて、此度の狙いを再確認しましょう。やるべき事はわかっているわね?」

 

「ああ、誰もいない里に行ってオレが頭領を潰せば終わりなんだろう」

 

「そうね。頭領任命の儀を狙えば頭領候補となるほどの実力者は里から軒並みいなくなる。里の戦力といえばせいぜいが老いぼれたマスラオくらいなもの。そこに貴方が赴けば壊滅必至というわけよ」


「それはもちろんだが……しかしキサマ、わざわざ時期を待たなくても、オレならいつでも潰せると進言しただろう。なぜ頭領任命の儀を狙う?」

 

「イーガの連中には知性が足りない。脳まで筋肉で出来ているようなバカばかり……! そう、力! 力その一点のみで、新しい技術や知恵を取り入れてきたコーガと対等でいるのが気に食わないのよっ! だから奴らにとって一番大事な頭領任命の儀をめちゃくちゃにしてやるの」

 

「だが水晶魔法スマホというものがある。異変にはすぐに気づかれるだろう?」

 

「いいえ、それについては策があるわ。とはいえ、長くは持たない。だから頭領は殺さないでおいて。新頭領になるはずの誰かが駆けつけた時。その時にたっぷりと痛めつけ、そのうえで新頭領候補を殺し、マスラオに絶望を与えたあとで殺しなさい」


「悪趣味なヤツだ」


 二人の間には何か特別な諍いがあるのだろうと窺えたが、カイツールにとってそれはどうでもよい事だ。人間とはかくも醜い生き方をするものだと、カイツールは包帯の下で嗤う。


「人を食らう悪魔が何か言ったかしら?」

 

「同じ穴の狢か」

 

 ふふ、と二人して笑った。それから里に放った諜報員からの報告書を眺め、ふと手が止まる。そこには王都からの観光客リストが載っていた。その中には、C級の護人ガードや魔法使いも存在しているようだ。現状最強とされる眷属デーモンであるカイツールにとって、S級未満の護人ガードなど何の障害にもなり得ないが、どこか気にかかる何かを感じ取り、じっとその名を見つめた。

 

「――外部の者が紛れ込んでいるそうだが、それはいいのか?」

 

「あぁ、観光客? 立会人の事なら――」と、ミノは小さく手を挙げた。すると天井から何かが転がり落ちて、ミノの背後に降り立つ。それは忍び装束を身に纏った女性のニンジャだった。


「このヘッドが候補者もろとも片付けて回ることになっているわ。頼めるわね?」


「承知しています。イーガの男どもなど駆逐してみせましょう」

 

「――フン、見たところ貧相な体をしているが?」

 

 カイツールは上から下まで彼女を舐め回すように眺めたあと、吐き捨てるように言った。彼女は華奢で、とてもイーガの屈強な男たちに敵うような人間には見えない。人よりもずっと敏感に魔力を感じ取れるカイツールに気取られることなく気配を消してこの場に現れたあたりからして、技巧は優れているのだろうが、カイツールの目から見て〝強さ〟は感じなかった。

 

「オマエ、ミノ様の客分だからと調子に乗ってるんじゃないだろうね。ミノ様と違ってアタシは男なんか信用しちゃいないんだ。オマエみたいなのが偉そうにしてるのを見るだけで虫唾が走る。言っておくけどオマエの出番はないよ。全部アタシが始末をつけてやる」

 

 カイツールが何かを言う前にキッと睨みを効かせると、ヘッドは今一度天井に向かって姿を消すようにしていなくなった。後に残るのは微かな魔力の匂いのみである。

  

「――そういうことだから、貴方は予定通りマスラオの屋敷に向かってもらって大丈夫よ。それより。悪いわね、カイツール。あの子は色々あって男嫌いなの、許してやっておくれ」

 

眷属デーモンのオレを〝男〟か。そんなくだらない括りには興味がない。それより、オレが言いたかったのはそういうことではない。コイツだ、王都の護人ガードが来ていることだ」 


 トントン、と報告書の名簿一覧に指を置く。そこにはC級護人ガードのプエル・アドラブルとそのお付きのジーニアス・ナレッジの名があった。プエルの活動実績を確認してみても、王都で起きた百鬼夜行スタンピードの対処に参加した程度で、これといった活躍はしていない。お付きのジーニアスに至っては魔法使いであることだけはわかっているが、実績が存在しない。つまりはただの見習いだ。

 

「どうでもいいでしょう。王都の護人ガードなど里のニンジャと比べても取るに足らないもの」

 

「そういう考え方をしているといつか足元を掬われるぞ」

 

「貴方、弱いのね。眷属デーモンのくせに自分が負けると思っているだなんて」

 

「――ふざけるなッ!」カイツールは突如として声を荒らげて机を叩いた。「オレは六の眷属セクストのカイツール! 六の眷属セクストとは魔王様に選ばれた眷属デーモンの中で六番目に強いという意味だッ! 魔王様手ずからオレの魂に刻み付けていただいた称号だッ! オレは強いッ!」

 

「……ごめんなさい、軽率だったわ。私は貴方の強さを信用しているのよ」

 

 ふうふうと興奮状態のカイツールを宥めるように、ミノはむしろ落ち着き払った様子で接した。カイツールの包帯が一部解け、その吊り上がった目が露出していたからだ。それも、一つや二つではない。カイツールの目は身体中から覗かせていた。顔の包帯から覗く八つの目から睨みつけられれば、誰でも身の危険を感じて逆上させすぎないように落ち着かせるのが第一と判断するだろう。

 

「わかればいい。ともかく言われた通りにはしてやる……」

 

 カイツールは手元の地図を頭に叩き込み、屋敷を後にした。道中、最後に目を通した名簿にあったジーニアス・ナレッジという、どこか記憶を刺激する名前がなかなか頭から離れなかった。

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