なめ茸みてえなツラしやがって!

 資格④

 

 

 

「えっ、全力を出していいのか⁉︎」

 

 天才魔法使いジーニアス・ナレッジは、王都の南西にあるヒガンテ大湿地と呼ばれる湿地帯に来ていた。ほとんどの時期で湿潤しており、泥濘に足を取られやすいほか、時間帯によっては地表が冠水する場所も点在している。そのため希少なものも含め様々な動植物が生息しているが、それらを狙う強力な魔物も多く棲み着いている。今回ジーニアスがここに来たのは、その魔物を倒すためだった。それも、S級護人ガード資格取得試験のためである。

 

「ああ、たくさん倒せ……おかわりもいいぞ。キミが倒せる討伐数次第で合否を決定する」

 

 試験管の特別魔法使いマジク・マギアは深く頷いた。本来S級の試験を受けるためには、すでにA級として活動実績を積んだ者でなければ許可されない。それでもジーニアスが特例で試験を受けることになったのは、かのブレイカーズ大学校の特別指導顧問であるマスタッシュ・ビアードの推薦状があったからだ。マスタッシュは引退こそすれど元はS級護人ガードを務め、過去には眷属デーモンとも戦いを繰り広げて首級を上げたこともあり、その実力は折り紙付きである。そのマスタッシュが直々に推薦状を書いたとなれば、協会も特例として動かざるを得なかった。とはいえ、マジクはジーニアスの実力には懐疑的だった。なぜなら、目の前の男はチャラチャラとした長髪を後ろに流し、いかにも遊んでいそうな雰囲気が漂っていたうえ、たいした魔力も感じなかったからだ。

 

「じゃあ、少しだけな。手っ取り早く行く」

 

 おもむろに足元の蔓を拾い、ちょうどいい長さにへし折ると、ジーニアスは上空に移動した。空を飛ぶ魔法を使える時点でも高位の魔法使いであることは確定したが、さらにマジクは観測したこともないような特大の魔力がその身から放たれるのを目視した。その後、何かをつぶやいたかと思えば、次に天空から夜が降りてきた。否、暗闇そのものが訪れたかのように感じたが、それはあまりに荒唐無稽。なぜなら、その正体はジーニアスの魔力に包み込まれ吸い寄せられるようにして落ちてくる隕石だった。人の身でそれを行うには無理がある。いくら膨大な魔力があれど、宇宙から隕石を呼び込むことなどあり得ないが、空からは紛れもない流星が接近してきていた。

 

「待て待て待て待て! そんなの私たち自体も……!」

  

「飛べるだろ? そら逃げろ!」

 

 一足先に逃げ出したジーニアスを追うようにして、マジクは駆け抜けた。

 血の気が引いた。こいつ、自分を基準にしていて他人のことを考えていない……と。マジクは飛べない。ひたすらにぬかるむ足を必死に動かしてヒガンテ大湿地の外を目指した。周りにはA級やB級に指定された魔物たちがゴロゴロといて、普段は凶悪な顔で襲いかかってくるものだが、このときばかりは魔物たちも決死の形相で逃げ出していた。ジーニアスの膨大な魔力と繋がった隕石の存在が、肌がひりつくような感覚でわかるのだろう。マジクもわかる。だからこそ並んで走った。普段は敵同士だが、今このときだけは同じ目的に向かって駆け抜ける一体感があった。

 

 湿地帯の外に出ても、隕石の脅威から少しでも逃れようと魔物たちは変わらないスピードで走り続けたが、やがて体力の尽きたマジクは過呼吸を起こした。それでも魔物は走る。立ち止まった者などに構っていられるはずもなく、雪崩のように押し出されたことで、魔物たちの背で波乗りしたようだった。まるで疲れた私を魔物たちが助けてくれたようにも感じた、とマジクはのちに語る。

 

 しかるのちに、隕石は湿地帯に衝突した。目に見えるほどの凄まじい衝撃波が駆け抜ける。目の前で爆発が起きたかの如く、体感温度が上がり、服は破け、マジクの無造作ヘアは天然のパーマがかかった。ただ、その衝撃は一瞬でしかなかった。マジクの頭上にはジーニアスが降り立っていて、魔法で必要以上のダメージが来ないようにしていたからだ。そんなにあっさり防げるなら最初から守ってくれ、と己のボロボロになった一張羅のスーツを見てマジクは涙した。


「どうよ? 加減はしたけど、これくらいやれば十分だろ?」

 

「うん、まあ、合格でいいけど、うん。ね。これなんて言われるかな」

 

 ヒガンテ大湿地――があった場所には、ただただ巨大なクレーターが出来ていた。ここに生息していた魔物は、隕石を察知して逃走できたもの以外は全て死滅しただろう。魔物だけでなく、貴重な動植物もそうでないものも、何かしらの素材になるものもたくさんあったが、それら全部が失われた。死の大地と言われても違和感のない地形に変わっている。報告書になんて書こう、とマジクはしばらく固まっていた。この大穴は、のちにヒガンテの足跡と呼ばれるようになる――。

 

「――ってとこで、なんか試験管の水晶魔法スマホがビービーうるせえし、おまえから『たすけて』なんてメッセも入ってたしよ。それで、あーあの湿地から逃げてきたやつが王都に行っちまったんだなって。だから始末を付けにきたってわけよ」

 

 かいつまんで語り終えたジーニアスがナハハと笑った。

 

「えっと……じゃあジーニアスさんのせいで? この騒動が起きたってこと?」

 

 ジーニアスの知り合いとして民衆の先頭に立って話を聞いていたプエルは、恐る恐る訊ねた。

 

「そうみたいだな!」と、ジーニアスが威勢よく応えると、先ほどまでジーニアスのことを王都を危機から救った英雄としてはしゃいでいた民衆の様子が一変した。

 

「あんたのせいかよ‼︎」

「勘弁してくれ‼︎」

「ふざけてんのか!」

「私の家を返して!」

「その長い髪ちぎってやろうか!」

「ハゲ!」

「爆発しろ!」

「肩にうんこ乗せるぞ!」

「ささくれヤロウ!」

「なめ茸みてえなツラしやがって!」

「もやし!」

 

 悲痛な声からただの悪口まで、さまざまな罵詈雑言が浴びせられた。騒動のために駆り出された護人ガードたちも、王都を守る騎士団員たちも、皆このときだけは一致団結した。


「なんだよ、俺がなんとかしてやったのに! なあ、プエル!」

 

「えっ、と……? どちら様ですか? 話しかけないでください」


「他人のフリやめろ!」


「いやぁ! 助けてぇ! このひと痴漢ですっ!」


「自分の見た目最大限に利用してんじゃねえよ!」


 プエルを追うジーニアスの前に、さっと何者かが割り込む。フルフェイスヘルムで顔を隠した騎士団員だ。彼を皮切りに、大勢の騎士団が各々の武器を構えながらわらわらと集まってきた。

 

「ブレイカーズ騎士団だ。無駄な抵抗はやめて投降しなさい」


「痴漢じゃねえ! そいつ男だよ!」

 

「こんな可憐な少女に向かってなんてことを……っ! 極悪人めッ! 逮捕するッ!」

 

 ――かくしてジーニアスは裁判にかけられることになった。罪状は強制猥褻罪の容疑と国家転覆を目論んだ内乱罪の容疑である。王都への甚大な被害を引き起こした張本人として極刑を求刑されるも、事態を収めたのもまたジーニアスであるとの弁護側の主張により、極刑は免れたものの、当日取得したS級護人ガード資格の永久剥奪を最終的な処分とされた。そして強制猥褻罪の方は、被害者に多額の慰謝料を支払うことで和解したのであった。

 

 

 

 ――――

 

 

 

「なんだ、これは……」

 

 そこには住処があったはずだった。この湿地帯には彼女の好物が多く住んでおり、空気もじめじめとしていて彼女にとってとても住みやすく、ひとり静かに暮らすには贅沢すぎる環境があった。それが見るも無惨な特大のクレーターと化している。湿地へ帰ってくる前に奇妙な魔力の高ぶりを感じて嫌な予感はしていたが、まさかこれほどの事態になっているなど露ほども思わず、彼女は膝を折ってぺたりと座り込んだ。額に生えた二本の短い角にポツリと雨が降る。

 

 ここまでしなくてもいいだろう。魔物を殺すのはいい。脅威を排除するのは生命あるものに備わる正常な行動だ。動物を狩るのもいい。他者を食物とするのは生きる上で大切なことだ。植物を採取するのもいい。薬草、栄養、魔道具の素材、さまざまな利用価値がある。土地を拓くのもいいだろう。勝手に権利を主張するのは考えものだが、領土という価値観は理解できる。しかし、土地一帯丸ごと潰すのはやりすぎている、と彼女は地面を叩くようにして両手を突いた。

 

残香感知魔法ペルシステンテ

 

 彼女は地面に這いつくばったまま魔法を唱えた。それから突き出た鼻をひくひくとさせる。

 やらねばならない。魔力のわずかな匂いが雨で流れてしまう前に。残香感知魔法ペルシステンテは魔力の残滓から何者の魔法かを嗅ぎ分け、それがどこへ向かうのかを探る魔法だ。

 ぼんやりと白い人型の影が現れて動き始め、王都の方へと向かっていくのがわかった。恐るべき速度で飛んでいったため、正確な位置まではわからなかったが、彼女は立ち上がった。

 

 魔王の死後に残された十の魂、その一つを彼女は持っていた。他の眷属デーモンは当時の勇者一行の死を待ち続け、世界が再び勇者の力を失うその機会を狙う狡賢い眷属デーモンばかりだったが、彼女は日々を平穏無事に過ごせればそれでよかった。それでもこの惨状を前にしては、死んでいった同胞たちが報われない。先に蹂躙したのはおまえたちだ、と彼女は心の奥底で憎悪を燃やした。仇敵を討つために、人間たちに眷属デーモンと呼ばれる彼女が、言葉通りの復讐心を抱いた。

 

 

 

 

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