正論ムカつくッ!

 天才魔法使いジーニアス・ナレッジの資格

 

 

 

 王都パルティーダ随一の人気カフェ・オイシーゼのテラス席に座ったプエルは、昼下がりの陽光に包まれながら、色とりどりのパフェを手に笑顔で頬張っていた。その瞳には、甘美なスイーツと穏やかな午後のひとときから生まれる喜びが宿っている。道ゆく人々の賑やかな雑踏に取り囲まれながらも、プエルは自分だけの幸せな世界に身を委ねていた。

 

「んーおいしぃ〜! 学校帰りに一人で食べるパフェは最高だなぁ」

 

 プエルが昼間からカフェでのんびり出来ているのは、今日が護人ガード認定資格試験日であり、試験を受けない者は午前で授業が終了するからだった。試験会場は等級によってそれぞれ違い、E級とD級は学校内、C級はセロスの森と決まっているが、B級から上は行き先がその時々で決定し、ほとんどの場合で遠征することになっている。なお、ブレイカーズ大学校に入学した時に授与される護人ガード認定証兼学生証は、この正式な資格証とは違うものの、通常の護人ガードと同じように活動できるうえ、依頼などの活動実績を積めば、試験をパスして等級そのままの資格を手に入れることができる。


「ジーニアスさん、今ごろ試験管相手にすごい魔法見せつけてるのかなぁ」

 

 パフェの乗ったスプーンをぱくりと頬張り、ほうと空を見上げた。ジーニアスが向かったのは、ここ王都パルティーダから南西の方角に位置する、ヒガンテ大湿地といわれるB級討伐対象以上の魔物で溢れかえるような恐ろしく危険な場所である。マスタッシュから推薦を受けて最難関であるS級の資格を取るというので、ジーニアスについていって是非とも見物したいと思ったプエルだったが、試験会場がヒガンテ大湿地と聞いてすぐさま辞退した。怖いからである。怖いといえば、カフェ・オイシーゼの大きく迫り出した軒先を支える太い柱の陰からじっと静かに覗き続けている女の子も怖いな、とプエルは背筋に氷水を垂らされたような気分になりながら思った。

 

「あの!」と、思い切って勢いよく振り返る。「なんでずっと見てるの……?」

 

 そこにいたのは、天才魔法少女と名高いマホ・マギアだった。彼女はぎくりとした顔で、しかし観念したのか姿を現し、腕組みをしながらつかつかと歩いてきてプエルを見下ろした。

 

「何してんのよ」


「えっ? こっちのセリフなんだけど……」


「あ?」と、マホは眉間に皺を寄せる。

 

「あっ、はい。僕はパフェ食べてました。美味しいんだよ、ここのね、あの」

 

「あんた、あたしのことバカにしてるでしょ」

 

「してないよ! なんでそうなるの⁉︎」

 

「あっそう。とことん隠すってわけね」


「隠すって何……? ごめん、ほんとに何もわからないんだけど」

 

「ふん。あんたが何をするのか監視してたのよ。そしたら、単にだらだらパフェ食べてるだけだし、そもそもずっとあたしの存在に気づいてたみたいだし……これじゃただあたしのお腹が空いてきちゃっただけじゃない! しかもそれ新作のパフェだし! あたしより先に食べるなんて! ムカつく! イチゴいっぱい! クリームふわふわ! ふざけないでよ!」

 

 ふざけているのはおまえである。と言いたくなったのを堪え、プエルは手元のパフェを差し出した。たっぷりのクリームの下から存在感のある大粒のイチゴが覗いている。

 

「一緒に食べる? なんなら奢るけど……」

 

「えっいいの⁉︎ ありがと」と、はにかみながらいそいそと向かいの席に座ろうとしたマホは、ぴたりと手を止めて顔を真っ赤にした。「って違う! バカにしないでっ!」

 

「忙しい人だなぁ」と言ってパフェを頬張ると、マホはじっとそれを見ながら喉をごくりと鳴らした。顔は食べたいと悲鳴を上げているが、「くぅっ」とだけ呟いた。

 

「もういい。最初から調査なんかめんどくさいことする必要なかったんだわ。あんた、あたしと勝負しなさいよ。どっちが強いかはっきりさせるわよ」


「え、いやだよ。勝ち負けが分かりきった勝負なんてやる意味ある……?」


「はぁ⁉︎ 勝負にならないほど差があるって言いたいわけ⁉︎ ほんっとムカつく!」

 

「事実を言っただけなんだけど⁉︎ 僕とマホちゃんじゃ勝負になんかならないよ!」


「うぅーッ! ムカつく! ムカつく! ムカつくーッ!」


 怒りで茹で上がったマホは両手に魔力を集中させた。右手に炎が渦巻き、左手には水流が渦を巻きはじめる。威力のことは考えず連射することに特化した火弾魔法ゲーラと、それの水版となる水砲魔法コリエンテだ。術者次第ではあるが、どちらも魔力が尽きるまで撃ち出すことができるうえ、A級魔法使いであるマホの魔力でそれを行えばカフェ・オイシーゼが壊滅するどころの騒ぎでは済まない。


「待って待って待って! こんなとこで魔法使うの規定違反だよ⁉︎」

 

「うるっさい! 正論ムカつくッ!」


 キレ散らかしながらも、プエルの言葉にマホは少しずつ両手の魔力を収めていく。

 護人ガードはその職務からして人々の暮らしを守ることを第一とするものであるため、護人ガード同士の対立は禁じられているし、街中で勝手に攻撃的な魔法を使うことも禁じられている。人々を守る存在が、人々を脅かしてはならないからだ。護人ガードは世に安寧をもたらし、人々に敬われる存在でなければならない。そのことはマホも重々承知だが、彼女がいくら天才魔法少女と云われようと、プエルと同じ十四歳の子供に過ぎない。言葉では説明できない怒りの正体をうまく口にはできなかった。


 そんな時、地面が少し揺れた。マホの溢れ出る魔力による余波かと思われたが、そうではなく、揺れは次第に強くなった。かといって地震ではない。地震であれば、水晶魔法スマホには地震を察知した国からの警報が鳴るはずだが、それは全くの無反応だ。それに、自然な地震とは違って断続的に起こるのではなく、じわじわと大きくなる揺れが持続した。だが、立っていられないわけではない。まるで何か巨大な生物が王都へと駆けつけているようだった。

 

「何なんだろ……この地震……?」

 

「家屋が倒壊するほどじゃあないみたいね。だけど、この感じ……もしかして」

 

 マホは自身のこめかみに人差し指を当てて瞑目する。感知魔法ペルシヴィルを可能な限りの広大な範囲に展開すると、ようやくその正体が分かり、肩を震わせた。それと同時に、二人の水晶魔法スマホにけたたましいアラートと共に強制通達が届いた。それはブレイカーズ協会からの要請である。

 

『王都パルティーダにいる全護人ガードに通達します! これは緊急依頼です! 南西方面より王都パルティーダの方へ魔物の群れが押し寄せてきている模様! 魔物の目的は現在不明ですが、後方には眷属デーモンがいる可能性の指摘あり! ブレイカーズ協会ではこれを眷属百鬼夜行デーモン・スタンピードと認定しました! 戦える護人ガードは王都を護り抜いてください! 繰り返します――!』

 

 慌てた様子の受付嬢の声が鳴り響く水晶魔法スマホを切断し、プエルとマホは顔を見合わせる。

 

「ピンチだ」

「チャンスね」


 二人は互いに真逆のことを発言したことに首を傾げた。

 

「あんたバカ? これなら討伐数であたしたちのどっちが強いのかハッキリさせられるじゃないのよ。ついでに戦功を挙げられて一石二鳥でしょうが!」

 

「いやいや! さっきの聞いてた⁉︎ 眷属デーモンがいるかもしれないんだよ⁉︎ 分かってる⁉︎」

 

 眷属デーモンとは、魔王の魂を宿す魔物のことである。魔王は間違いなく勇者の手によって百年前に斃されたが、魂までをも完全に消滅させることはできず、十の魂に分かれて散り散りになった。各地で魔王に寵愛を受けていた知性ある魔物がその魂の欠片を受け継ぎ、人間はそれらを眷属デーモンと呼ぶようになった。通常の魔物と比べて極めて強力な眷属デーモンたちは、眷属デーモン以外には指定されることのないS級討伐対象に指定され、今もS級護人ガードと熾烈な争いを繰り広げている。


 ゆえにS級護人ガードは基本的に街にとどまることはなく、一般の依頼を受けることもない。つまり、いま王都にいるのは試験を受けに行かなかったA級以下の護人ガードと、ブレイカーズ大学校の先生たちだけである。だがそれも試験のため多くが出払っている。いくらマホの素質が高くとも実戦経験は乏しく、危険を回避できない可能性がある。プエルはそれを危惧していた。


「ふーん……それってつまり、あたしじゃ力不足だから引っ込んでろって、足手纏いだって言いたいんだ? どこまでもコケにする……っ!」

 

「言ってない言ってない」

 

「見てなさいよ。スタンピードなんかあたしが全部なんとかしてやるんだから」


 苦々しく言うと、マホは王都の門へと向かった。ひとり取り残されたプエルは、テーブルに座ってパフェの残りを急いで胃袋に押し込むと、荷物をまとめてから一呼吸した。

 

「よし、避難しよう」

 

 プエルはマホとは反対側へと駆け出した。まだそれほどの危機感を抱いていない人々はゆったりと歩いていたが、避難所へと急ぐ人々も点在している。彼ら彼女らに紛れながら、プエルの頭の中に響くのは『仕方ない』と言い聞かせる自分の声だった。

 

 まだ学生で正式な護人ガードではなく、実力も大したことはない。地元の村の期待を受けて上京したのは確かだが、何度も打ちのめされてきた。どう足掻いてもマホほどの力はない。一人で討伐依頼をこなそうとしても、うまく行かなかった。結局のところジーニアスがなんとかしてくれただけで、何度も死にかけたことが頭をよぎり、戦うよりも逃げる判断の方が早かった。

 

「ねえ、おかあさん。わたしたち死んじゃうの?」と、避難所の前まで来たところで、母と子の親子が話しているのを見かけた。母親は「大丈夫、護人ガードの人たちが守ってくれるからね」と笑顔で語りかけていた。不安げだった女の子はそれを聞いてホッと安堵していた。

 

(僕はちゃんとした護人ガードなんかじゃない、あれは僕に言ったものじゃないんだよ)

 

 それでも、心臓にグサリと刃を突き立てられたかのようだった。人々の護人ガードへの信頼が、今のプエルには痛かった。逃げることを選んでしまう、姑息な自分を責められているようだった。

 

 避難所の門扉が開放された時、カンカンカンカン――と幾度となく警鐘が打ち鳴らされた。それは簡単には追い払えないような魔物の群れが、王都の門にまで押し寄せてきた時に鳴らされる緊急警報だ。たとえ魔力が尽きて水晶魔法スマホも起動できない場合にもわかるようにしてある。だがそれも一長一短で、混乱を引き起こす場合もある。避難所の目の前にいるにもかかわらず、人々はその瞬間パニックになり、避難所の出入り口がごった返しになった。我先にと他人を押しのけて進もうとするからだ。ただ誰しも自分の命が最優先なのは当然であり、決して責められることではない。

 

 プエルの小さい体は簡単に弾き飛ばされ、人の波に入れず避難所への流れには乗れなかった。しかし自然と門の方へと視線が向いたとき、避難できなかったことへの後悔の念は吹き飛んだ。見え始めた魔物の群れに向かっていくサヤの後ろ姿が見えたからだ。史上最高の天才剣士、さらにはS級も夢ではないとも噂されるサヤが戦えば、被害は最小限に抑えられるかもしれない。

 

(でも、それでいいのか? 僕は……)

 

 サヤは剣士の家系であるブレイド家に生まれ、大きな期待を受けながらも臆することなく研鑽を続け、そして己の力を存分に活かせる場所を探し求めて護人ガードとなった。正式なA級護人ガードとなったあとも結果を出し続けている。プエルが幼馴染でありながら彼女よりも一年も後に村を出たのは、サヤへの劣等感があったからだった。同じ年で、同じ村の出身のサヤと比べられたくない。ただそれだけだった。サヤに並びたいという言葉は嘘ではなかったが、心の深層では敵うはずがないと決めつけている。立ちあがろうともしない自分に気がついたとき、反吐が出そうだった。


「あ〜〜もうっ! 僕だってサポートくらいなら……っ!」

 

 サヤの背中を追い、プエルは震える脚をなんとか前に進めた。途中、ジーニアスに水晶魔法スマホで連絡を取ろうとしたが、自分の力でなんとかするのだと心が叫び、どうにかその手を止めた。それに、S資格取得試験の内容は非公開となっているが、何体ものA級討伐対象を一人で倒さなければならないという噂があり、邪魔をしてはいけないと心にブレーキがかかった。でもやっぱり助けてほしい、とプエルは薄目で『たすけて』とメッセージを打ち込んだ。 

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