第四十一話 対面






 美術準備室の奥から発見された学生時代の瀬河長幸の作品はいま、額縁に収められ、美術室内の壁に掛けられている。


 透明感のある絵である。


 キャンパスの中心に少年の姿が描かれ青空が夕暮れに変わる空の境目に立ち、その身体は風景に溶け合うように半透明で、背後の空の色が身体に映し出されているよう。

 喰い入るように見詰めてくる視線の先はキャンパスの向こうに居る鑑賞者の背後であり、恐らくキャンパスの外まで広がる空の景色に立ち竦む様子を描いている。


 そして空の色に照らされる無数の集合団地。

 地平線の果てまでそれらは広がり、広大な空間と閉塞感を同時に演出している。その描き込みは所々雑ではあるけれど、細かく書き込まれ景色に引き込まれる没入感を与えてくれる。


 冬の気配が近付き、空気が冷たく引き締まる平日の昼前、美術室に掲げられた長幸の絵に、約25年越しに長幸本人が向かい合っている。

 この絵の真贋を確かめるために瀬河長幸本人が来校したのだ。


 美術部の生徒が準備室の整頓中に瀬河長幸の絵を発見したという知らせに職員室はにわかにざわついた。


 瀬河長幸本人に確認を取るための連絡を美術の先生から任されてしまい(わたしが文化祭で長幸と模擬店で一緒にいた件が、何故か教師サイドにも知れ渡っていた)、撮影した画像を長幸に送った。

 自分が描いた絵で間違い無いと長幸から返事が来た。


 絵の処遇について改めて担当(美術の先生)が連絡すると伝えると「直接見に行っても構わないかな、その、ちゃんと確認もしたいし」と言われ、今日、来校し美術部に絵を見に来た。


 来校した長幸に付き添った人物は3人。


 一人は美術の先生。わたしより一回り年上で、長幸の絵を発見した生徒が所属する美術部の顧問でもある。


 もう一人は教頭先生。先程来校した長幸は出迎えを受けたとき、「数学の先生でしたよね? 覚えていますよ」と伝え、教頭先生は嬉しそうに照れ笑いした。

 本当、よく覚えてるなと感心させられる。


 そして3人目はわたしこと高津実莉。今回の絵画発見に(表面上は)関わっていないのだが美術の先生に頼まれて着いてきた。「教頭が席を外したら瀬河先生と二人きりになるし緊張して間が持たないよぉ」と泣き付かれてしまったので、まぁ来校予定の時間はわたしも暇があったので同行することにした。


 壁に掛けられた少年と空と街並みの絵に向かい合い、しばし真剣に見詰める長幸。付き添い3人はその様子を黙って見ているだけだった。


 長幸は小さく溜息を吐き、わたし達に向き直る。


「気恥ずかしいものですね、ずっと昔の自分の絵を眺める気分は。当時の筆使いの拙さが嫌に気になってしまいます」

 照れ笑いが含まれたその言葉に教頭と美術の先生は安堵を微かに含ませつつ小さく愛想笑いを返す。


「……存在自体すっかり忘れていましたよ。まさかまだ残っているなんて。玲に絵を見つけたって聞かされたとき本当に驚きました」

「いやぁ……、本当はもっと早く見つけてしかるべきだったのですけど、準備室の管理者引継ぎが重なったこととこちらの多忙を言い訳にしてしまって、恥ずかしながら生徒に片付けを任せるまで見つけられないでいました。その点はお詫びせねばなりません」


 美術の先生がちょっと気の毒に見えてしまうほど恐縮してそう言うと、「いえいえ、こちらもとっくに処分されていると思っていましたから」と笑顔で返す。


「いやぁ、しかしなんだね、絵のことはわからないんだけど、学生時代から才能の片鱗は既にあったんだね。絵の全体にひとつの纏まりを持たせているのが見て取れるよ」

 教頭は両手の平で絵の中の少年の肩に手を添えるように虚空を撫でる。


「いえ……、この絵の大部分は共同制作をした先輩の手によるものでして……」

 感心して見せる教頭に長幸は照れ臭そうに明かす。


「構図や少年の姿は全部当時の先輩の仕事で、僕が関わったのは一部色塗りと団地とか建物の部分だけなんです」


 感心したように頷く一同。


「落書きでノートに適当に描いてた建物の絵を見ていた先輩から、『上手いから自分の絵にもそれを描いて欲しい』って言われて、分業して描いたのがこの絵でして」

「なるほど……。その先輩が、君の才能を誰よりも早く見出したという訳だね」

 弾む調子でそんな風に言う教頭に、長幸は微かに引き攣ったような苦笑いを見せた。


 ……多分この話、この場に教頭先生と美術の先生だけしか居なかったのなら、ただのイチエピソードとしてするりと消費して終わりだったと思うのだけど、ここにわたしが居てしまっているせいで、下手に触れられない絶妙にデリケートな話題になってしまっている。


 美術部の先輩(女子)が長幸の落書きを見て褒めるなんてエピソード、奈智子は絶対に知らない。


 長幸とその先輩の関係、そしてそこに加わる奈智子の存在を知ってしまっている可能性の有るわたしの存在が、遠い思い出を語る長幸に嫌な汗をかかせてしまっている。


「それで……、この絵をこれからどうしていくかの話なんですが……」

 おずおずと切り出す美術の先生。


「勿論、このままお持ち帰りいただいても構わないのですが、もしよろしければ、高校に寄贈してはいただけないでしょうか? 瀬河さんの作品は、芸術に興味を持つ生徒達の良い刺激になると思います。なんでしたら、一時的に高校側に預ける、という形でも構いません。責任を以てこちらで管理しますので都合が変わり次第またお返しすることも可能です」

 美術の先生の言葉に、唇に手を当てしばし思案する長幸。


 ……絵画を引き取るかどうかに関しては、美術の先生が事前連絡した際に既に質問していたそうで、そのときは長幸は回答を保留していたらしい。

 いまもまだその結論を出せていないのか、あるいは結論は既に出ているが回答する前振りでよく考えているポーズを見せているのか、どちらとも取れそうな様子である。


「先週、この絵に関わったもう一方の元生徒、鮎川チハルさんと連絡を取りました」


 その名を聞き、長幸はハッとした表情で、弾かれたように美術の先生の顔を見る。


「連絡、取れたんですか?」

「ええまぁ、実家の方に取り次いで貰いまして。

 鮎川さんはいま、北海道の方にお住まいになられていて、絵の方の処遇は全て瀬河さんに任せるとのことです」

「北海道……」

「旦那さんの実家がそちらの方らしくて……、あ、いや、こういうのはあまり言っちゃいけない情報かな?」

「…………」

「鮎川さん、撮影した絵の画像を大変喜んでくれましたね。瀬河さんにもよろしくお伝えください、とのことです」


 そう聞くと、長幸は照れたティーンエージャーのように小さく笑った。


 ……先程から、絵の中の少年に見守られながらの長幸は、非常に居心地が悪そうな様子を見え隠れさせている。


 まぁわたしのせいである。


 もしわたしがこの場に居なければ、長幸はもっとリラックスした様子でこの絵についての思い出を披露していたのではないだろうか? 


 この絵の背景にある、大きな前提条件をわたしが知ってしまっているので、あまり迂闊なことを言えなくなってしまっているらしい。


 長幸には悪いけど、困っている長幸を見るのは少し愉しかった。


  お面を付けてわたしと長幸を接客していた奈智子の悪戯心を少し理解出来てしまった。


 ……その後、長幸はほぼ管理を任せる形で燐高にその絵画を貸し出した。

 近日中に、短い紹介文と共に生徒達にも公開されることだろう……。





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