第25話 かつての仲間

 歩美は朝、起きてから嫌な予感がずっとしていた。

 朝食を食べているときも、生きている心地がしなかった。

 今日は、四六時中悪いことが重なるような気がしてならない。

 この日は、約束の土曜日だった。

 非常に天気が悪く、春の空とは思えない暗さに、思わずため息が漏れる。

 駅にたどり着いた時、雪が右手を挙げて「よっ」と近づいてきた。そんな彼女の隣を困ったような笑顔で景音が歩く。

 雪はレザージャケットの下に白いタンクトップ、下にはジーパンをはいていた。

 景音は青いシャツの下に黒いズボンをはいているシンプルな格好だった。


「おはよう」

「おはよ。その……今日は、大丈夫なの?」


 歩美がおそるおそる二人に尋ねる。二人は顔を見合わせると言った。


「何がだよ。紗季も来るんだろ?」

「うん。もうすぐ着くはずだよ」


 歩美がそう言い腕時計を見る。


「……雪ちゃん、景音くん。もし、今日死ぬことになったらどうするの?」


 歩美は腕時計から顔を上げて言った。すると、景音は訝しげな顔で、歩美の顔を見つめる。その彼の姿を雪は少し斜め後ろから見る。


「俺は、まだ、死にたくないけど、死ぬわけには、いかないけど……もし、今日死ぬとなったら、潔く諦めるよ」


 雪は鼻で笑う。歩美は雪の方を見た。そんな彼女の姿を振り向き気味に見つめる。

 雪は誰かを馬鹿にするような顔で言った。


「あたしは死んでも良いよ。もうやりたいことも無いし。それに……死んだうみに会えるだろ……」


 雪の最初の死んでもいいという言動以外が歩美と景音に話しかけるようだった。

 雪の笑顔は不思議なもので、笑っているのに、何処か悲し気で、哀愁があり、暗い影が落ちている。

 彼女はなんで、こんな表情をするんだろうか。

 雪の顔に暗い影が落ちていることは、以前からずっとそうだった。

 歩美はふと、後ろから聞こえてきた足音に気が付き、後ろを振り向く。

 紗季が両手を顔の前に併せながら歩いてきていた。

 薄茶色のアウターシャツが慌ただしく揺れている。


「ごめん。待ったでしょ?早く行きましょう」


 紗季はそう言い、速やかにICカードを改札にかざす。


「うん。分かってるよ」


 歩美は紗季に続き、ICカードを改札にかざした。



 米秀学園の正面入り口の門の前にたどり着いた時、自由そうな雰囲気の放つ制カバンを背負ったユニフォーム姿の数人の生徒が四人の隣を通る。

 歩美が大きく息を吸い、足を踏み込もうとした瞬間、突然「早速来たのか」と言う声がした。

 聞き覚えのある声にハッとした歩美は目を凝らす。


「薬研憧だ。覚えてるか?」


 紗季は両腕を組み、威圧的な雰囲気を出す。

 憧はふっと笑顔になると、二人の後ろにいる雪と景音に目を向ける。

 しかし、憧が話しかけたのは、雪だけだった。


「お前も、来たのかよ」


 憧が無表情になり、そう冷たく言い放つと、雪は左手の親指の先を景音に向けて言った。


「奴らの目的はコイツだけじゃねえし、今回はCIAとFBIの共同作業だろ?あたしがいなくてどうする」


 雪の余裕そうな態度に苛立ったのか憧の顔が怪訝さを帯びていく。

 憧はため息を一つ吐くと、歩美たちに背中を向けた。


「ついて来い。もう、そろっている」


 歩美たち四人は憧の後ろを歩き始めた。

 そんな時でも雪の顔色は全く変わらず、景音は彼女の顔を斜め上から見下ろしていた。



 憧の後ろをついてきて五分ほどたった頃、ようやく階段のような場所にたどり着いた。


「各国の捜査局や、諜報機関の本部は大体が、こういう階段横の倉庫の中に隠し扉があり、教師にも、他の生徒にもバレないように隠されているが、日秀小学校・日秀学園日本はまた違うのか」


 憧がドアノブに手をかけた瞬間歩美に質問した。

 歩美は少し上を向いて、公安警察の事を思い出した。


「まあ、何でもいいが」


 憧は厳しそうな顔のまま、部屋倉庫の扉を開けた。

 倉庫の中は散らかっており、バスケットボールがカゴている。歩美の視界の右端にはアイスホッケーのゴールとスティックが置かれており、奥の方にはアメフトのボールが転がっていた。

 憧が目の前の野球ボールとバットを除けると下の方に電卓のようなパネルが現れた。

 憧がそこでポケットからカードを取り出す。それを数字の書かれたキーパッドの上で光っている緑色の画面にかざすと、パネルから「承認」と言う音声が聞こえ、目の前の壁にくぼみができた。


 憧の後ろ姿の向こう側には、暗く長い廊下が続いていたが、次第に遠くからウェーブするように照明が点いていった。


「もう着いたも同然だ。監視カメラがある、怪しい動きをすれば、俺の仲間が飛んでくるから気をつけろ」


 憧がそう言うと、雪は嘘の無い笑顔になり、倉庫の天井の端に光るカメラに向かってピースをした。


「秋原、ふざけるなよ」

「ハイハイ」


 憧が振り向き際に言った。雪は分かり切ったような返事をした。


「雪、ちゃんとしてくれよ」

「分かってるっつーの」


 景音に咎められ、雪は不満そうな顔をする。

 先に進んだ憧たちを追いかけるように、二人は早歩きで歩き始めた。二人が廊下に入ると、扉がスーッと閉まった。



 廊下を歩いた先には黒で縁取られたガラスの透明なドアがあった。そのドアを開くと、そこには、白い机に両手を広げている一人の少年と同じくらいの年齢の少女が白い机の上に腰かけていた。

 少年の方は、つり目で憧の目元に少しだけ似ていた。少女の方は長い髪を下の方で一つのゴムで結んでいて、正面から見ると、ロングヘアをおろしているようだった。

 少年の履いている赤いブーツが歩美の目に入った。


「こんにちは局長。誰ですかその人たち」


 少年は憧の方を見て丁寧にあいさつすると歩美と紗季の姿を見て、顔を顰める。

 少女の方は表情を一切変えない。


「俺が以前に協力させた日秀学園の探偵だ。月城はまだか」

「まだ来ていません」

「探偵か。凄いですね。わざわざ日秀学園まで行ったんですか?」


 少女の方が冷笑を浮かべた。

 憧が彼女の顔を鋭い顔でねめつける。


「止せよ榎本。相変わらずだな」


 聞き覚えのある先輩の声を聞いた途端に、少女の視線は歩美たちの後ろへと移る。

 雪と景音は歩美たちの隣に立った。


「あ、秋原先輩……」

「中家さん?何しに来たんですか」


 少女は表情を一切変えずに景音の顔を見た。

 少年は驚いた顔で雪の方を見る。


「暑すぎだろ、この部屋。クーラーくらいつけろって」


 雪は少女の腰かける机まで歩き、上に置かれたエアコンのリモコンを取る。

 雪の背を追いかけた少年は雪の右肩を掴んだ。


「いっ……」


 さっきまで余裕そうだった雪の顔が一瞬険しくなった。


「あっ、すみません先輩」

逢零あお……あんま触んなよここ」


 雪は頬に汗を伝わせながら苦笑いを浮かべる。その表情を見た少年は焦り、思わず後退りした。

 雪がリモコンの電源ボタンを押すと、エアコンがピッと音を立て冷風を出した。


「あー……涼しいー」


 雪はエアコンの真ん前まで行くとレザージャケットを脱いだ。

 憧は怒った口調で雪に言う。


「秋原、お前マジでいい加減に……」

「おいおい、そんな怒んなって。あたしは、CIAなんだから、やっぱりほら、月城に怒ってもらう方が無難だろ?」


 雪は憧の右肩に左手を置く。

 憧は左手で雪の手を払う。


「月城はまだここにはいない。それにここはFBIの本部だ。俺が怒るのは当然だろ」


 憧は雪の手を払った手で流れるようにやけどの跡がある左目をさすった。


「不機嫌だと早死にしやすいらしいぞ薬研。部下くらい愛想よく接したらどうだ」


 雪は嘲笑し憧の顔を見る。憧の顔がさらに険しくなり、「お前は部下じゃない」と雪に向かって言い放った。

 雪はスッと左手をおろすと、ジーパンのポケットに左手を入れた。


「そうか」


 雪は皮肉気な笑みを一切変えず。憧に背を向けた。

 憧は歩美たちの方を見ると、憧は例の少女と少年に手の先を向けた。


「あの二人は俺の部下だ。CIAの枯山逢零かれやまあおと、榎本夏陽えのもとなつひだ。そして、CIAの局長の月城潤つきしろじゅん。前に、あったことあると聞いたが、そうなのか?」

「はい」


 歩美が返事すると、景音が憧の方へ近づいた。


「局長、さっそく指示を……」

「お前に局長と呼ばれる筋合いは無いな」


 憧は雪を見るときの目より、軽蔑の要素が混じった目で景音の方を見た。

 景音は驚いた顔をすると、一瞬暗い顔に変わる。


「おい、お前マジで扱い酷いな」


 雪は眉を顰めた。憧は「俺の勝手だろ」と冷たく言った。雪の顔が無表情に変わると、凄い速さで憧の真正面に近づく。


「止せ、雪。お前らしくないな」

「……潤」


 歩美たちの後ろに紙カップに入ったコーヒーを飲みながら言う。

 潤はズレたモノクルをかけなおしながら雪に言った。


「目上の人間に敬語が使えないお前の態度も、いい加減直したらどうだ」

「年功序列の話か?残念ながらあたし、そういう系嫌いなんだよ。能力ならコイツよりあたしの方が上だろ?」


 潤は白い机の上にコーヒーを置くと、雪の顔を見据えた。


「少なくとも、相棒を見殺しにするような問題児じゃないのは確かだろ」

「…………」


 雪は不満げに口を噤んだ。


「遅いぞ潤」


 憧が言う。


「悪い。ちょっと色々あってな」

「それって、ここに来るより重要なこと?」

「榎本、敬語を使え」


 景音が言うと、夏陽は馬鹿にするように景音の顔を見た。


「……もう先輩でもないんだから黙っててくださいよ中家さん」


 潤は机の傍にあるガラスの椅子に腰かける。

 潤の制服のポケットに手を入れると、下から夏陽の顔を見る。


「だからそっちを優先したんだよ。ラトレイアーのメンバーの一人、フォリーがこっちに来ている」

「……へえ、もうそろそろタイムリミットか」


 雪は頬に汗を伝わせながら笑顔になる。

 景音は無表情のまま雪より多くの汗を伝わせる。


「なるほど。情報が盗まれていたか」

「まあ、おかしいと思ってたんだ。今日は五月一四日だからな」


 雪の言葉に逢零は不思議そうな顔をする。


「なんで、それがおかしいんですか」

「分からねえ?今日は土曜日、ってことは……」


 雪の言葉に続け、夏陽が続ける。


「昨日は一三日の金曜日。だよね?」

「ああ。不吉だろ?」


 逢零はコクッと頷いた。雪は笑うと、左手を逢零の右肩に置いた。


「相も変わらず、可愛いやつだな」


 逢零は俯くと、着ている皺のついた黒いシャツを手で伸ばす。赤いブーツを履いた自分の足元を眺める。


「良い部下を持ったのに、もったいないことしたよな、あたしって」


 雪は誰にも聞こえないくらいの音量でそう言った。雪の声が聞こえた瞬間、逢零は俯いていた顔を上げた。


「先輩?」

「いや、何でもない」


 雪は左手をゆっくりと下した。


「雪、今日はそこの景音と組んでくれ」

「榎本と枯山は変わらずバディな」


 憧がそう言った途端、景音の顔がうっとした表情に変わる。

 景音は俯いたまま。次第に頬を伝う汗が増え始め、床のカーペットに汗が落ちる。


「どうしたの?景音くん」


 彼の表情を見た歩美が景音の背をさする。


「い、いや、特に何も……」


 景音は顔色が悪くなり、憧の方を睨みつけた。


「潤は俺と、フォリーを探すぞ。枯山たちは、他のラトレイアーのメンバーを探し出し、拘束しろ。秋原と中家はここにとどまってろ」

「分かりました」


 夏陽がそう言うと、机から離れて立った。

 逢零は部屋の端にあるロッカーの中から黒い帽子を取り出すと、それを深く被り、拳銃をズボンのポケットに入れた。

 逢零は夏陽の手首を掴み歩美の横を通る。


「私達は何をすれば?」


 歩美が自分の顔を指さして言った。

 潤はモノクルを取り外し、机の上のティッシュで汚れを拭き取った。


「お前らには、もう一人のラトレイアーのメンバーを追いかけてくれ」

「もう一人?」


 歩美が潤に聞き返す。


「Aの幹部のカルムだ。アイツは、組織の優秀なメンバーの行くところすべてについていく。それが例え他の幹部のメンバでもな」

「待て、だったら、あたしも行く」


 雪が左手を小さく上げる。


「なんで秋原が?」

「カルムならBの奴らよりは弱いだろ?情報を盗むくらいならできる」

「だったら、俺もついてくさ。俺らのせいでもあるしな」


 景音もそう言いながら、目を瞑って俯いた。


「じゃあ、そうしよう」


 潤はそう言った。すると憧が景音の方へ近づき景音の耳元でささやいた。


「お前の命の保証は、俺とそこの女が必ずする」


 景音は訝しげな顔をして憧の目を見つめた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る