第11話

アンジェリカは万が一にが始まっても、ヒロインに協力して、みんなに幸せになってほしいと思っていた。

彼女にとってこの物語は大切なもので、幸せが詰まったものだったからだ。

生きている世界だと理解しているけれども、もし物語が始まるのであればアンジェリカは全員が幸せになれるようにできる限りのことをしたいと思っていたのである。

だからこそもし自分が婚約者である事が問題であるのなら、なんとかそれでも、キースとヒロインにとっての幸せの手伝いをしたいと決めて過ごしていた。

現実的に、アンジェリカとの婚約を白紙にした挙句婚約したい相手だと男爵令嬢を紹介なんてした日には、キースは王太子ではいられない。

王子であることも難しいだろうし、僻地を与えられて一代限りの爵位を得て残りの人生を送る可能性もある。もしかしたらもっとひどい場合も。

であればどんなことになったとしてもキースを愛し支えるだろうし、またキースもその愛に応えるだろう。

それがあの物語においての──アンジェリカにはであっても──キースでありヒロインなのだ。

そのヒロインとキースであるのならば、アンジェリカは二人が幸せになれる様に自分の使えるものは全て使い二人が穏やかに暮らせる様にしようと思っていた。

しかし万が一ら。

一方で、この気持ちもアンジェリカは拭い去れなかった。

その結果が兄ジュードの留学につながる。物語が始まらなければわからない。けれどもし“そう”じゃなかったら兄も巻き込まれてしまう。

不安と恐怖に包まれたアンジェリカを見て、ジュードは今遠く離れた場所にいるのだ。


ヒロインが始めた物語はアンジェリカに

──────この子、そうではない子じゃない。この子は、子だ。

だから足掻いた。けれども強制力なのか、それとも彼女が“何か”をしたのか、ほとんどもう彼らに声が届かない。

──────彼らはみんなだったのに、どうして!どうして彼らはこんなふうになってしまったの!?

アンジェリカは何度もそう心で怒鳴って、それでもいつかは変わると信じていた。


のちにヒロインが『乙女の涙』を使用していたと知るのだが、アンジェリカはまさかそんなものを使っているとは考えもしなかった。もし気が付いていれば、可能性に至っていれば、また違った未来になっていただろう。

けれどアンジェリカはそれに気が付かなかったし、思い至ることもできなかった。

いくら前世の記憶があろうとも、にとって『乙女の涙』という物はで、今では作り方さえ知られていないだ。

まさかそれを誰かが使うなんて、いや、製造できるなんて、アンジェリカは想像だにしなかった。

アンジェリカ自身は確かに物語を知っているから、作り方を知っている。けれども、違法であるそれを作るなんて考えもしない。


だって、想像してほしい。


現代社会において──────

製造と使用を禁止されているような、すれば罰せられるようなものを作り、あまつさえ平然と使用するなんていう事を実行する。

例えば偶然隣に座った人がそんな事を当たり前のようにすると疑い考えることは、滅多にないのではなないだろうか?

彼女は今アンジェリカ。

対してヒロインは、前世に囚われたまま現実をわかっていないゲームだと思い込んでいる夢を見たままの少女。

そこまでの女だとは、今を生きるアンジェリカは考えもしなかったのである。

この世界がゲームかもしれないと思っても、人と接し生きていれば自ずと「この世界は現実で、生きている世界だ」と思うとアンジェリカは信じていたのだ。



「それで、なんだったかな」


思いに耽ってしまったアンジェリカにエイナルが聞く。

「キース殿下は王太子にはなれません。わたくしと関係を戻してももう……人がついてこないでしょう。きっとそれは、国王陛下もお父様もみなが気がついていると思います。だからこそ陛下がわたくしを、あれほど気になさるのでしょう」

はっきりと言い切ったアンジェリカはそれでも、婚約を破棄するとも白紙にするとも言わない。

「陛下はアーロン殿下を王太子に、ノアに王太子妃と考えているはずです。けれどわたくしがキース殿下をから踏み切れていないのかもしれません」

エイナルは肯定とも否定とも取れない表情だ。

けれどもアンジェリカにはそれで十分だった。

「お父様がもし、それでいいと、それで我が家に不利益が生じないのであれば、どうかアーロン殿下とノアのことをお願いいたします。今からならノアは間に合います。十分素質があります。わたくしと同じ様な王妃にはなれませんでしょう。けれどノアだからこそなれる王妃があります。きっと多くの人がノアという王妃を支えたいと思うでしょう」

エイナルもノアが王妃になったならば、そうなるだろうなと否定はせずに

「お前はそれでどうするんだい?」

とアンジェリカに聞いた。アンジェリカは瞬いて

「あら、昔から言ってますでしょう?わたくしがもし婚約を破棄される様な事があれば、マリアンヌに婚約を申し込んでくださいませ。と」

無理をしたような笑顔で言ったアンジェリカに、エイナルは大きな息を吐きながら頷く。

しかしこれもまた、肯定も否定もしていない、そういう行為だった。


確かに実際エイナルは、内密に国王陛下であるゲルトと話し合いを重ねていた。

今の状態でエイナルがアーロンを支持しノアの事についてをすれば、確実になるだろう。

もし障害があるとすれば、ノアの父親だろうか。


「ノアを半年、わたくしの卒業までの間、学園に登校しなくて済む様に、なんでも構いません、理由をつけて離してくださいませ」

「理由を聞いても良いかな?を」

エイナルとゲルトの話し合いが進めば、アーロンが王太子に、そしてノアは王太子妃になるだろう。

アーロンが王太子になってもノアが婚約者のままであることに変わりはない。彼の代わりは決して誰も務まらないからだ。

だからこそアーロンが王太子にそして国王になるべく受ける教育よりも前に、アンジェリカも受けた王太子妃になるために施された教育を──当人にさえ知らせず──ノアに詰め込む事になる。

半年間学園を休学する事については、それを理由に簡単に決定できるだろう。

けれどエイナルは本当の理由が知りたい。

娘が一人で戦わなくても良い様に。

アンジェリカはやはり逡巡して答えた。

「ノアとアーロン殿下が離れ離れになる可能性があるからです。お父様、もしこのまま悪い方へ進んでしまうと、ノアは精霊にしまいますの」

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