第5話 "好きだから":小野寺陽葵


 今頃、翔は一人でうなぎを頬張っているのだろうか。

 良ければ一切れだけ貰いたかったのだが、生憎と碧斗はそれどころの状況では無かった。


「――やっほ、碧斗」

「……」


 碧斗に声をかけたのは、元カノである小野寺陽葵だ。

 元カノによる、初めての接触に碧斗は言葉を失った。


「ちょと、無視しないでくれる!?」


 若干頬を赤らめながら、陽葵は性格の如く元気に振舞っている。

 そんな陽葵に答えるように、碧斗も「あ……ごめん」と返事をした。


「んや、でもまだわかんないから最終確認タイムにする!」

「え?」

「流川碧斗くんですか?君は」

「え、うん。そうだけど」

「本物の?」

「偽物だったら怖いだろ……」


 全く気まずさなども無く、知り合いのように会話を進めていく。

 周りに人がいないことを確認した陽葵は、若干前に踏み出ながら言った。


「――私の元カレの!?」


 恥ずかしさを声で誤魔化す陽葵。


「そ、そうだって!」

「やっぱりそうだったんだ……。もう、こんなとこで会えるなんてね」

「俺だってびっくりだよ……」

「なんで話しかけてくれないの!陽葵ちゃんはずっと待ってたんですけど!?」

「いや、さすがにレベル高すぎるそれは」

 

 トイレの前で、話す男女二人。

 しかし、周りに人はおらず、誰にも聞かれていない。

 すると、陽葵はある提案をした。


「んもう。てか、碧斗、このあと時間空いてたりする?」


 昼休みは、他の授業間の休み時間とは違い、一時間程ある。

 まだ残り50分程残っているので、碧斗は「あるよ」と答えた。

 翔には、後で謝っておこう。


「じゃあちょっと私についてきて! 行くよ!」

「んえ、どこ行くんだよ」

「いいから! いちにーいちに!」


 言われるがままに、陽葵に手を引っ張られる。

 到着した先は、人の気配が全く無い教室だった。


「何する気?」

「なんでしょー。勝手に消えてったからビンタとかしちゃおうかなー」


 自然消滅した関係に対して言及する陽葵。

 やはり、陽葵もそれに対しては少しだけ思う所があったようだ。

 

「ちょっと本気っぽいの怖いな」

「えへへ、うそうそ。そんな怖い女の子じゃないもん私」

「そうだよな、いつも通りの陽葵で良かったよ」


 中学校の頃から、陽葵は明るくて、周りを笑顔にしていた。

 それは人を選ばず、本当に誰とでも仲良しで、太陽のような存在だった。


「てか、碧斗自己紹介の時緊張しすぎでしょ」

「そりゃーするだろ!」

「私たちがいたから?えー?」

「……まあ、それもある」

「えへへ、でも碧斗らしくていいと思うよ。自分らしさが一番だし!」


 否定のしようが無い事実を叩きつける陽葵。

 私たちとは、間違いなく元カノ達のことだろう。


「にしても、久しぶりに見る顔だなあ」

「こっちのセリフでもあるぞそれ」

「何年振り……って言ってもそこまでかな?」

「ん、まあ。中学校で会ってたしな」

「全然話しかけてくれないんだもん」

「いや、それはまじでごめん」


 陽葵とは、中学一年生の頃に付き合っていた。

 同じクラスになり、校外学習で一緒の班になってから距離が近くなり、仲良くなった。

 それから、連絡を取るのも、"たまに"から"常に"になって、付き合ったのだ。

 だが、中学二年生の終わりの頃、お互いに本格的に受験勉強を始めた影響で、一切連絡を取らなくなってしまった。

 そのせいか、会うことも、遊ぶことも無くなり、気付けば、学校で会っても会話すら交わさなかった。


「……私たち、別れてる、よね?」


 普段、元気な陽葵が見せないような顔で、碧斗に問う。

 だが、曖昧にしてはいけない。


「……そう、だな」


 碧斗は、そう答えるしか無かった。

「付き合ってる」なんて答えれば、それこそ最低だ。

 だが、若干重くなりかけた空気を、陽葵は持ち前の性格で軌道修正した。


「ん、だよねー! 仕方ないことなんだけどさ!」

「そ、そうだな」

「てか聞いて、その時碧斗のことばっかり考えてたから第一志望校落ちたの」

「え、そうなの?」

「そうだよ! 全然勉強手につかなかったんだから!」

「いやー、ほんとにごめん」

「全然いいよ。実際この学校も楽しいし!」


 二人きりの教室で、二人だけの声が響く。

 普通なら気まずくなる空間、関係なのだが、やはり陽葵は「妖精」のように空気を明るくしていた。

 それは、碧斗との間だけでなく、二人だけの教室全体の空気を変えるように。


「――でも、あの二人がいると思わなかったなあ」


 陽葵は、碧斗の元カノの存在を知っていた。

 そのせいで、仲が悪くなっているという訳なのだが。


「ほんとな、俺もびっくりしたよ」

「話したの?乃愛と小春とは」

「いーや。さすがに話せてない。というか怖い」

「やっぱ陽葵ちゃんは雰囲気が明るいから接しやすいですよねー?」

「まあ、それはそうかもね」

「えへへー、ありがと〜」

「まだあの二人とは仲悪い、の?」


 若干聞き辛そうにしながら、碧斗はそう質問をした。


「うん、元々バッチバチだったけど、碧斗が来たからもっとバッチバチのメッタメタになるっぽい!」


 何故か少し嬉しそうな陽葵。

 とはいえ、本当は三人とも幼なじみなのだ。

 幼稚園の頃から一緒であり、小学校、中学校は義務教育的に同じ学校に通った。

 だからこそ、お互いが元カノであることも知っているし、昔は仲だって良かった。

 

 が――、それが変わったのは、小学校の頃。

 今でも、完璧美少女の小春は、小学生の頃からその風貌があった。

 何をするにもお手本のような存在だった小春。

 そんな小春が、碧斗と付き合ったと知り、乃愛の嫉妬心が我慢できなくなってしまった。

 その影響で小春とは仲が悪くなり、会話も最低限のものに。

 この時はまだ、陽葵は中立的な立場であり、二人のどちらとも仲良くしていた。

 

 が、それは中学校の頃から変わり始めてしまう。

 実は裏で碧斗に惚れていた陽葵は、小春が自然消滅したことを知り、告白した。

 その結果、付き合ったのだが、案の定、乃愛と小春とは仲が悪くなってしまったのだ。

 三人のトークグループも、消えてはいないが、暫く稼働だってしていない。

 そして、今に至るのだ。


「そうか。余計に罪悪感が増すな」

「いいのいいの、女の子の喧嘩なんてこんなもんだから」

「喧嘩にしては長すぎる気が……」


 ただ、碧斗自身がはっきりと振らなかったからこそ、こうなっている部分もある。

 そんな自分に、碧斗は罪悪感を覚えた。


「んまあ、気にしないで? ――忘れてもらっていいから!」


 何となく切なさを孕んだ陽葵の顔。

 その顔が、より一層に罪悪感を生んでしまう。

 そんな陽葵に、碧斗は何も言えなかった。


「……本題、入ってもいい?」

「あ、いいよ」


 わざわざ人目のつかない場所へ連れて来た理由。

 それを明かすように、陽葵は口を開く。


「さっき忘れていいって言ったけど、それは乃愛と小春の事だから」

「と言うと?」

「……私のことは忘れないで」


 視線を逸らした陽葵の顔は、紅潮している。


「うん?」


 そして、その発言の真意を、陽葵は言った。


「私、まだ碧斗のこと――好きだから!大好きだし、全然忘れてない!だから、絶対負けない」


 陽葵が口にしたのは、「愛情」だった。

 大好きだった彼氏と、自然消滅してしまったもどかしさ。

 それを全て晴らすように、陽葵は声を大きくして碧斗に伝えた。

 そして、――二人に負けないと、そんな誓いも込めて。


「……」

「じゃ、私お腹空いたから帰るね! ばいばい碧斗!」


 唐突すぎた言葉に黙り込む碧斗を傍目に、陽葵は軽い足取りで教室を後にした。

 言いたいことを全て伝えて、まだ好きだと言った陽葵の顔には、何一つ悔いは無い。

 そこに気まずさなんてものも無く、あるのは、確かな希望だけだった。


 一人取り残された教室。

 陽葵からの発言を、冷静になって考える。


「……どうしたらいいんだ」


 考えても、答えは出てこなかった。

 元カノが三人いる状況、それも全て自然消滅で終わった。

 そう考えれば考えるほどに、碧斗の頭はパンクしていく。

 もう答えは出ないと確信した碧斗は、考えることをやめて、教室を後にした。


 昼休みの時間は、残り30分程。

 自分の席へと戻った碧斗に、翔は「おかえりー」と声をかける。


「どこ行ってたんだよ」

「トイレ」

「いや長すぎんだろ!まさか……」

「それ以上は言わせない」


 翔の言葉を制止するように、言い切る前に口を挟んだ碧斗。

 うなぎは、まだ残っていた。


「いいなー、俺の卵焼きあげるからうなぎ一つちょうだいよ」

「いやいや、対価になってなさすぎだろ」

「転校記念ってことでさ」

「……仕方ねーな」

「うお、ありがとう翔様」


 見てるだけでお腹が空くうなぎを、自分の弁当の白米の上に乗せた碧斗。

 そんな碧斗を見て、翔は負けじと卵焼きを箸でとる。


「……うますぎだろ、この卵焼き」

「ね? 俺のお母さんうまいでしょ?」


 想像以上の味に、翔は「うん」と返事をした。


「てか、なんか疲れた顔してんな碧斗」

「え、そ、そう?」


 急に、翔がそんなことを言ってきた。

 あまりにもタイムリーすぎる言葉に、碧斗は露骨に動揺を見せる。


「トイレで、長時間で、疲れる……ってお前、まさか」

「うなぎいただきまーす」


 またしても、良からぬ想像をしている翔を、制止するように言葉を挟む。

 短絡的に考える男で良かったと思いながら。

 ちなみにうなぎの味は、疲れを吹っ飛ばすくらいに美味しかった。

 それからは、普通の時間を過ごし、五限と六限も消化した。


「はい、さようなら」


 帰りのホームルームを終え、帰路に着く。

 歩いて10分程の場所にある自宅は、そう遠くない。


 ――まだ碧斗のこと、好きだから


 陽葵に言われた言葉。

 どうすればいいのかは全く分からない。

 多分、答えを求めようとすればするほど、分からなくなっていく。

 だから、碧斗はこれからの流れに任せて、自分の気持ちにも任せることにした。

 

 校門から見える夕焼け。

 街をオレンジ色に照らすその光は、碧斗の背中を押しているように輝いている。

 ――それはまるで、帰路の途中の出来事の前兆のように。


――――――――


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