第28話:たぎる心

 亮介りょうすけは商談を終え、皇都の片隅にある宿に戻ってきた。

 ずきんと背中の傷が痛み、反射的に顔をしかめる。


「くそっ、くそっ!」


 いくら医師に診てもらっても、塗り薬を試してみても、一向に痛みは収まらない。

 やはり妖魔の傷は、呪術でないと治せないのだ。


 六花がいなくなり、治癒の呪符が手に入らなくなった。

 里にはめぼしい治癒師はおらず、皇都のツテを辿っても、呪符一枚を手に入れるのに一ヶ月以上待つという。

 これまでは当たり前に呪符を手に入れていたので、これほど治癒師がひっぱりだことは知らなかった。


(やっぱり……手放すんじゃなかった!)

(妾ではなく、正妻にするべきだったか。でも、里では有名な日陰者を伯爵家の跡取りがめとるわけには……!)


 亮介は痛みを紛らわせようと酒をあおった。


「ふう……」


 今日偶然、新橋で出会った六花は驚くほど様変わりをしていた。

 貧相で暗い女だったというのに、ぱっと明るく輝くような令嬢へと変貌へんぼうしていた。

 レースをあしらったワンピースもよく似合っていて、目が離せなかった。


(くそっ……あの次期公爵とかいう男……!)


 横からかっさわれたという思いでいっぱいだった。

 そして来週、正式に婚約を披露するためのパーティーを開くらしい。


 名だたる公爵家が六花を花嫁として迎え入れると決定したのだ。

 ならば――伯爵家の自分が妻にしてもよかったのではないか?


 ――貴族の令嬢でなくとも治癒の力のある女性は、今やひっぱりだこですよ。親族になれば、治癒の力を独占できますし。


 紅茶の商談のとき、相談に乗ってくれた古賀一哉の言葉を思い出す。


 ――僕ですか? 僕は呪術の力とは相性が良くないみたいなので別に。でも、あんなに可憐な女性が妻になってくれるなら嬉しいですね。


 一哉はへらへらと笑ってはいたが、六花を気に入っているのは伝わってきた。

 皇都でも指折りの豪商、古賀商会の跡取りの男ですら六花を評価している。

 もし、自分が六花を手に入れていたら、どんなに鼻高々だっただろう、と亮介は歯がみをした。


(こんなに貴重な存在だとわかっていれば手放さなかった!)


 六花はきっと打ち出の小槌のように金を生んでくれていただろう。

 このわずらわしい背中の痛みも消えていたに違いない。

 何より、手折たおりたくなるほど美しい令嬢になっていた。


(あいつ……僕の申し出を断りやがって……!)


 痛みや妬み、屈辱がないまぜになり、怒りの矛先は六花と瑛人に向かった。


(あいつの意志なんかどうでもいい)

(日陰者は僕の言うことを聞いていればいいんだ!)

(取り戻す。もともと僕のものだ)


 そのためにはあの憎らしい白狐憑きの男を排除せねばならない。

 皇都最強と言われる軍人――だが、亮介には勝算があった。

 ちらりと持ってきた荷物に目をやる。

 例のあれがきっと役に立つだろう。


      ※


 数日後、春美はるみは実家からおくられてきた手紙を手にしていた。

 何度見ても、そこには六花と瑛人の婚約パーティーに招かれたと書かれている。


「嘘でしょ……」


 日陰者とバラしてやった。

 姑息こそくにも、素性すじょうを隠して結婚しようとしていたと、瑛人にはっきり伝えたはずだ。

 なのに、しれっと正式に婚約しようとしている。


「どういうことよ……」


 春美はビリビリと手紙を引き裂いた。

 親は結納金が入ると、単純に喜んでいる。


 確かに婚約によって金銭的にうるおった分は、春美の生活費にも当てられる。

 だが、そんなことはこの屈辱の前では些細ささいなことだった。


「あの子が……私より先に婚約して……しかも相手が……」


 誰もが羨む皇都を守る軍人で、公爵という地位をもつ美麗な白銀の貴公子。


「あり得ないでしょ、そんなの間違っている……!」


 暗い炎が春美の胸に燃えさかる。


「ぶち壊してやる……」


 いつも自分より下でなくてはならない六花が、誰もが羨む結婚をするなど到底許しがたい。

 春美はそっと机の引き出しを開けた。

 そこには実家から密かに持ち出したあるものが入っている。

 役に立ちそうだと思って持ってきていてよかった。


 春美はほくそ笑んだ。

 仄暗ほのぐらい笑みだった。

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