022: 勧誘 -- レーセネにて
データ処理を終え少し眠った後、『SoL』のログイン画面を訪れたセンリは、世界が始まる前の光景を眺めてしばらく動けなかった。
どこまでも続く水面と、透き通った空。その水平線の向こうからは、朝日がだんだんと差し込んでくる。
『SoL』の世界の始まりの景色だった。立つ場所と見上げる場所と、それらを照らす物体をただ配置しただけの、最初の場所だ。
AIによる世界の創造。それを成し遂げたときの達成感を、センリはこの景色を目にする度に思い出す。
センリとドクターが共創し神と呼ぶべきAIは生まれた。カーマが神話を記し、この世界の住民の情動の源泉とした。
そのときはただ、新しい実験場の誕生に高揚していただけだった。カナギという存在を知るまでは――
『SoL』の世界に入ると、最初に出迎えてくれるのは店の刀たちだ。いつもセンリはログアウトの際、隠れるようにこの店に来て眠った。
外に出ると眩しい日光がセンリの顔を照らした。レーセネの街並みはいつものように、賑やかで輝いている。
センリは目をそっと閉じ、瞼の下で瞳を巡らせた。足元の影が揺らめいて、黒い波が建物の影に伝播していった。
視界にはレーセネの街並みが隅から隅まで映っていた。複数の存在の見る景色が一気に脳になだれ込み、センリは車酔いのような吐き気を堪えた。
その情報の洪水の中にカナギの姿を見つけ、センリは考える前に駆け出した。
自分の走る姿が視界を横切った。風のように一瞬で通り過ぎたが、必死な顔をしていたような気がした。
カナギは噴水広場にいた。センリは駆け寄って声をかけようとしたが、彼が人と喋っているのを見てその足を止めた。
「……ってことでどう? 私のギルドに入らない? 好きなことを極めたい人大歓迎!」
明るい声で話しかけたのは、以前カナギと共闘していた魔術師だ。エルフらしい出で立ちで大人っぽい服装だったが、その表情は子供のように無邪気だ。
「俺のところもどうだ? カナギのような実力者が来てくれれば嬉しいのだが」
口を挟んだのは重厚な甲冑を着こんだ男だった。その兜は角のある特徴的な形をしており、恐らくエルダートレント戦で動けなくなっていた盾職だろうとセンリは見当付けた。
「いくらゴーズィでもカナギは渡さないわよ! スキル研究に欠かせない、希少なスキル発現者なんだから!」
「指導者としてもカナギは貴重な存在だ。スピネラ、お前も刀の振り方を教わったなら知っているだろう? それを踏まえると、俺のギルドのほうがカナギに合っているはずだ」
「確かにうちは魔法職に偏ってるけど、だからこそ前衛職も欲しいの!」
「うちで前衛職を育て、お前のところで魔法職を育てるほうが効率的だろう」
カナギを挟んだ二人は仲が良いのか悪いのか、自然な流れで言い合いを始めた。
居心地悪そうに視線を彷徨わせたカナギは、おずおずと二人を手で押しとどめるようにして言った。
「誘ってくれたところ悪いが、俺はもうギルドに入っているから……」
「PKギルドでしょ? 辞めた方がいいわよ」
すかさず魔術師がそう返した。甲冑も頷き、重々しく言った。
「人を殺める経験は、血のように染みつくぞ。お前の心に」
その言葉にカナギは思うところがあったのか、一瞬口を引き結んだ。しかし彼はゆっくりと首を振り、透き通った瞳を二人に向けた。
「俺の刀は俺の友のものだ。そいつを裏切るようなことはできない」
そう強く言い切られた二人は黙って顔を見合わせた。やがて魔術師は、快活な声でカナギに返した。
「それなら仕方ないか。代わりに有望そうな子がいたら言っておいて! “ゆきみの館”っていう最高のギルドがあるって!」
「“ヴァルハラ騎士団”も頼んだ」
盾職の方も続いてそう言った。カナギは柔らかく微笑んで口を開いた。
「分かった。ちょうど無所属の知り合いがいるから、今度声をかけてみる」
「やったー!」
「ありがとう、カナギ」
カナギの言葉に二人は喜びを露わにした。その素直さは、センリの目にも眩しく思えた。
「すまない。俺はそろそろ行かなくては」
盾職がそう言うと、魔術師ははっとして口を開いた。
「お! じゃあ私もギルメンのスカウトに戻ろうかな! 図書館にいる人に片っ端から声をかけちゃお」
「あんまり人の迷惑になるなよ」
そして二人はその場を立ち去り、残されたカナギは寂しそうにその背中を見送った後、すぐに踵を返してギルドホールの方へ歩いていった。
センリがその後姿を追いかけようとした瞬間、視界の端にメッセージ受信のアイコンが表示された。
『お兄ちゃん、ちょっとうちのアトリエに来てくんない? ちょうど今あたしの発明品使ってる人が来るからさ、紹介したいんだよね』
それはカーマからの連絡だった。
彼女のアトリエはレーセネではなくセペルフォネにある。歩いて行くとそれなりに時間がかかるが、一度訪れた街ならば転移魔法陣という施設ですぐに移動することができる。
センリは少し迷った後、ぐるりと反転して歩き始めた。
『分かった。すぐ行くわ』
真逆の道を進みながらも、センリの視界はずっとカナギの姿を捉えたままだった。裏路地を行く彼の足もとには、うごめく影がぴったりとついて離れようとはしなかった。
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