007: 体温 -- セペルフォネにて

 また別の日。カナギを連れたセンリは珍しく城塞を抜けて、レーセネの外に広がる広大な草原を歩いていた。

 馬車がなんとか通れそうなほどの道をたどっていくと、左手に険しい山脈が見えてくる。吹き下ろしてくる冷たい風が、センリとカナギの長髪を弄ぶように揺らした。

 人の目を気にせず猫耳を震わせるセンリは、鼻歌を歌いだしそうなほど上機嫌な足取りだった。カナギもいつもよりは柔らかい表情で、陽の光に眩しそうに目を細めている。


「それにしても、何で急に他の街へ行ってみたいなんて言うたん? 他の種族でも気になった?」


 センリがのんびりとした口調でそう聞くと、カナギは伏し目になって言った。


「……いや、レーセネから離れたかっただけ」


 風に揺られる黒髪が、彼の表情の欠けた顔に暗い影を落としていた。

 先日マサから尾行がカナギに露見した旨を聞いたセンリは、彼の中で『仇花の宿』への不信感が芽生えたことを予感した。しかし今日の様子を見る限り、センリのことはまだ信頼してくれているようだった。

 自分のことも疑ってくれれば、どれほど気が楽になるか。センリはそう思いながらカナギの横を歩いた。

 白い山脈をしばらく過ぎると、ぽつんと離れた所にそびえる黒い山が目に入ってきた。


「あれはヴィルヤンド火山。中には刀の原料になる金属が生えとるけど、生息するモンスターが結構手強いから、俺もあんまり行きたくない場所や」

「そんなに強いのか?」


 センリの説明を聞いたカナギは、ちらりとセンリの顔を見てそう尋ねた。


「堅い鱗の蛇がおってな、少しの傷ならすぐに再生するから刀で削り切るのは難しい。魔法使いを連れていくか属性武器を持っていくかせんとあかんのや」


 その答えを聞いてもまだ、カナギはセンリの顔を見つめていた。センリが困惑して見つめ返すと、やがてカナギはゆっくりと口を開いた。


「センリ、お前ってそんなに刀を使わないだろ」


 センリはすぐに答えを返すことができなかった。糸目のまま困った顔をしたセンリは、少し考えて言った。


「実はその通りや。刀を作っとるけど職業は剣豪やない。……なんで分かったん?」


 『SoL』にはジョブシステムがあり、武器の装備制限は無いものの、武器の向き不向きがジョブによって異なっている。特に刀は剣豪という職業に合うように調整されている武器種で、剣豪でないと言うことは刀を使うことはないと言っているに等しい。

 そんなセンリが刀匠をやっていることにカナギは特に驚きもせず、ただ問いかけに応じて答えた。


「この前刀を見せてくれたとき、あの金の混じった刀を振っただろ。その動作が不慣れなだったから、なんとなくそうなんじゃないかと思っていた」

「おお、刀の振り方でいろいろ分かるもんなんやな」


 センリの言葉にカナギは頷いて、それで会話は終わった。センリは意外そうに眉を上げながら、おずおずとカナギに尋ねた。


「刀を作る理由とか本当の職業とか、聞かなくてええんか?」


 カナギは透き通る藤色の瞳をセンリに向け、どこか悟ったような顔で答えた。


「喋りたいなら聞くけど、喋りたくなさそうだし……俺にとってはセンリの理由や正体がなんであっても、センリはセンリのまま変わらないから」


 その言葉はまるでセンリに全幅の信頼を置いているようにも、はたまた端から無関心で興味が無いようにも聞こえた。

 彼の真意がどうであれ、センリはセンリのまま変わらないという言葉は、じわじわとセンリの心を溶かしていくように暖かかった。


「なあ、カナギ」


 センリは感謝を伝えるようにカナギに声をかけた。


「刀を振るうとき、一人じゃないってことを忘れんといてな。お前の刀には俺の信念が篭っとる。お前が背負っているものを、俺も背負う」


 カナギは目を見開いた。彼の表情がここまで動くのは初めてだった。その顔を隠すようにばっと顔を背けたカナギは、すたすたと早足になって歩いて行った。

 火山も通り過ぎた先に、また一段と大きな山がある。その山肌には数々の坑道が掘られており、そこから金属製の通路が張り巡らされていた。

 麓にはレーセネより一回り小さな街がある。金属の鈍い輝きを放つそれらの建物群からは、拍動のように一定の間隔で煙が噴き上げられていた。

 まるで生き物のように駆動するその街を見たカナギは、感嘆するように一つ息を吐いていた。


「あれがドワーフの都、鉱山都市セペルフォネや」


 センリがその横に並び立ってそう言った。目を輝かせるカナギを見て、今日だけでいろいろな表情を知ることができたと、センリはひっそり感傷に浸るような気持ちになった。

 その時、上空を甲高い音を立てて通過する物体があった。強い風が一瞬吹いて、センリとカナギの髪を空高く舞い上げた。

 空を飛び回っていたのは、ロボットとジェット機が合わさったような何かだった。それはやがてスピードを緩め、セペルフォネのどこかへ降りていった。


「おお、すごいな! たぶん鎧の作り方をアレンジして、ロボット風のアーマーにしたんやろな」


 そう言いながらセンリはカナギに視線を戻し、はっとした。あの甲高いモーター音がカナギにとってどういうものか、まだセンリは理解し切れていなかったのだ。

 カナギは顔を真っ青にして激しい呼吸を繰り返していた。その視線は虚空をふらふらとして定まらず、彼の心がどこか遠い場所に囚われてしまったことを示していた。

 機械の駆動音が、辛い記憶を呼び起こす引き金となってしまったのだろう。

 そのことに思い至らなかった自分に、センリは腹底から茨が伸びてくるような、混乱と自嘲の混ざった気持ちに殴られるほどの衝撃を受けた。


「カナギ!」

「だ、大丈夫……」


 センリが駆け寄るとカナギは苦しそうにそう返した。しかし彼が落ち着きを取り戻すことはなく、見かねたセンリはその震える背中に手を回し、そっと抱きしめた。

 彼の身体は思いの外暖かかった。一見無情な人間に見えて優しさも幼さも内包するその性格が、そのまま表れているかのようだった。

 これはゲームの世界であって現実のものではない。それなのにカナギは辛い記憶を掘り起こされ、自分は他人の体温を感じている。


「落ち着けそう?」


 センリは穏やかな声を意識してそう尋ねた。センリの腕の中で大きく息をしたカナギは、頭をセンリの肩にぐっと押し付けて、絞り出すような声で答えた。


「落ち着けるわけがないだろ、馬鹿……」


 彼の声がここまで感情を乗せているのも初めてだった。センリはただ彼の震えが収まるまで、ずっとその温もりを抱き留め続けた。

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