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 春。あたしは大学生になった。

 そして初めて友達ができた。相沢あいざわみのりという。

 大学の専攻は理系の少人数コースで、女子はあたしと相沢さんしかいなかった。普通の女子なら同じコース同士で当たり前のように寄り集まり、自然に仲良くなるのだろう。だが対人スキルが皆無なあたしは、講堂でひとり能面のような顔でただ座っているしかなかった。

 そこに、にこにこと話しかけてきてくれたのが相沢さんだった。

「女子がいてよかったぁ。これからよろしくね」

 その屈託のない笑顔に、あたしは気後れしてしまう。

 相沢さんは小柄で、ショートカットの似合う快活な女の子だった。黒目がちのくりくりした瞳がよく動き、小動物のように可愛らしい。苦手なタイプなはずだった。いや、人間関係で得意なタイプなど自分には存在しないのだが――。

 なのに、あたしたちはたちどころに仲良しになった。

「詩織って、すごいきれいだけど男の影がないよね」

 講義前のちょっとした時間。相沢さんは紙パックのカフェオレを飲みながら、あたしをじっと見つめてきた。

 あたしは面食らったようにその大きな黒い瞳を見返し、苦笑した。

「あたし、男の人から嫌われやすいみたい」

 男だけでなく、女にもなのだが。

 相沢さんはすかさず「それは違うよ」と身を乗り出した。

「なんていうかさ。迫力美人っていうの? 近づきがたいんだよ。ほんとはこんなに可愛いのにねっ」

 突然抱きついてきた相沢さんに、あたしはびっくりして紙コップのコーヒーを取り落としそうになった。

 相沢さんはまるで息をするかのように自然にあたしに触れてくる。人と触れあう経験がほぼないあたしは、最初はものすごく戸惑った。だが、小柄でほっそりとしていて、いい香りがする彼女に触られるのはぜんぜん嫌じゃなかった。

 相沢さんは可愛いものが大好きで、あたしのことも可愛いだとかきれいだとか、しょっちゅうほめてくれる。いつもなら居心地が悪くなったり嫌悪感すらおぼえるのだが、不思議とそうはならなかった。むしろ「大好き」と言われているようで、照れくさくて嬉しかった。

 なんでこんな明るくて優しい子が、あたしなんかと仲良くしてくれるんだろう。同じコースだからという理由だけでは足りないとすら思う。

 彼女は性格がよいだけでなく、すごく賢くて努力家だった。講義後、まわりの男たちがへらへらとくだらない話に興じている中で、相沢さんはしょっちゅう教授に質問をしに行っている。そしてバッグの中には難解な専門誌が入っていることも知っている。

 あたしがつたない語彙で相沢さんを尊敬してると伝えると、彼女はうふふ、と可愛らしく笑った。

「あたしたち、お互いを尊敬してるところがあるから、一緒にいてこんなに楽しいんだよ」

 こんなあたしといて、楽しいと思ってくれているんだ――。驚きと共に、胸がじんと熱くなった。

 あたし自身も、相沢さんといると本当に楽しかった。カフェで他愛ない話をしたり、あてどもなくお店をひやかしたり。時間の無駄と小馬鹿にしていたことがこんなにも楽しい。そして、向こうも自分と同じように感じてくれているのがわかって、幸せだった。

「詩織、今日もお弁当でしょ? うち今日コンビニだから、テラスで食べようよ。唐揚げ分けたげる」

 一緒に太ろうぜ、となぜかガッツポーズをする相沢さんに、あたしは笑った。

 その視界の隅に黒い姿がうつりこんだ。悪魔だった。だだっ広い廊下の、張り出している柱の影にひっそりと佇立している。

 悪魔は大学にも必ずついてきた。大学は宗教色が皆無なので構内にもなんなく入ってこられるのだ。だが、以前のようにあたしにべったりとは寄らなくなった。いつも少し離れてじっと見ている。

 ――あたしが鬱陶しく思っていることに、気づいているのかもしれない。

三つ目の願いを言えば、悪魔の付きまといから解放される。だけれどそれは、あたしが死ぬまでの一時的なものだ。

 この魂と体が悪魔のものになってしまうことを思うと、ぞっとした。

厭だった。たとえそれが死んだ後だとしても。

 死後のことなんてどうでもいいと思っていた。この現世で生を終わりにできるならむしろ望ましいと思っていた。

 でも。

 人生はしんどいことだらけだけれど、楽しいことや、幸せを感じることもたくさんある。あたしは、やっとそのことに気付きつつあった。

(……終わりになんか、したくない)

 次の人生があるというなら、あたしは何度でも経験したい。

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