第8話 歪な愛でも愛は愛

 そうだけど、そうじゃない。とでも言えばいいのかしら? こうなった背景は理解したけれど、感情が着いてこない。だって、それってつまり……。


「私、利用されたの?」

「それは違う。君はただ、俺に愛されただけだ。俺が君を手に入れるためにフルーリア伯爵の復讐を利用したんだ」


 真顔で訂正する彼に、『どう違うのよ』と思ったけれど、色んなことが起きすぎて頭が疲れて、もう怒る気力も無い。

 確かに、アーサーと結婚できたし、ガードナー一味は捕まったし、悪事がバレてこれから世間に非難されるだろうお母様は当分娘を売ろうという気にはならないだろうし、イライザも無事に結婚できる……私の希望はほぼ叶ったと言ってもいいのかもしれない。でも、なんっっっか腑に落ちない。


 アーサーの言ったことを自分の記憶と照らし合わせてみれば、あの夜会の時にはもうガードナーを捕まえる準備が終わってたってことよね? あの時に計画を話してくれれば私、あんなに心配したり絶望しなくて良かったはずよね? しかも貴方、絶望する私を見て、愉悦してたよね!?


 セシル伯爵夫妻が『ああ言えば、こう言う』『貴方って人は……』と頭を抱えていた理由がようやく分かった気がする。

 ため息ついてる場合じゃないですよ。立派なサイコパスに育ったお宅の息子さんに愛されて、私の情緒がぶっ壊れそうなんですがどうしてくれるんですか? と問い詰めたい。


 なんだかドッと疲れが出ちゃって、私はアーサーの肩に顔を埋める。何も答えない私に焦ったのか、アーサーは急に早口になって捲し立てた。


「君は、シュセイル王国の貴族セシル伯爵家ではなく、ローズデイル大公国の貴族フルーリア伯爵家の花嫁になったので、セシル家の十三の注文のことは忘れていいんだ。君の名義でも俺の名義でも妹たちに援助できるし、イライザが結婚して家を出たら、会いに行ってもいいし、家に呼んでもいい。ただ、君の母上には反省してもらわないといけないからな。実家への連絡は控えて、つらく苦しい結婚生活を送ってると思わせてほしい」


 私の前ではいつも冷静だった彼が、私の機嫌を窺って狼狽しているのがおかしくて、ちょっとだけ意地悪してやろうかなって思った。いいように振り回されたんだもの。仕返しされても文句は言えないわよね?


「注文は忘れていいって言ったけど、私、どこ行くの? 誰と会うの? どんなお仕事? って毎日うざいぐらい訊いちゃうわよ?」

「ああー……それに関しては、申し訳ないが言えることと言えないことがある」


 いきなりだめじゃないの! と、顔に出てたのかしら、彼は言葉に詰まって「すまない」と溢した。


「セシル家は建国期から国王陛下の勅命を受けて諜報活動と暗殺、王家の護衛を担ってきた。第五騎士団の設立と運営にも携わっているし、比較的平和な現代でもセシル家は国王陛下の懐剣として密命を受けることがある。俺のことを気にしてくれるのは嬉しいが、君の身の安全のためにも、家業に関する質問には答えられない」

「ふぅん、そうなの」

「……嫌か?」


 私の髪を撫でて不安げに問うわりに、しっかり腰をホールドされてるのどうにかならないかしら? 嫌って言っても逃す気ないでしょこれ。まぁ、嫌というよりは、そんな仕事してて貴方は危なくないの? という心配の方が大きいのだけど。


「じゃあ……白い毛皮は?」


 一番気になってた注文について訊いてみると、今度はほっとした顔でアーサーは笑った。


「着たいのか? 俺は別に気にしないが、セシル家の領地に行く時はやめておいた方がいい」

「どうして?」

「領主一族や領民たちは、狼の姿をした月の夫婦神を信仰している。白い獣は月女神の御使いなんだ。だから白い毛皮を剥いで身につけると、月女神が悲しむ。妻を悲しませると、森神でもある月神が怒り狂って森を枯らすんだ。そうならないように、特別な祭典以外での着用は禁止されている」

「狼を大事にしろとか、白い毛皮はだめとか、ちゃんと意味があったのね。……言ってくれれば良かったのに」


 あの時に言ってくれたら、こんな遠回りをしなかったのに。けれど、私が遠回りしてる間、アーサーもまた私を手に入れるために策を巡らしてたと知って、失恋で泣いたあの頃の自分が、ちょっとだけ報われたような気がする。本当にちょっとだけね。

 結婚式の日ぐらい、私ってば愛されてるのねー! って頭の中のお花畑を全力で咲かせたいのに、夫の愛が重くて歪んでることを思い知らされるなんて……こういう苦労は全く予想してなかった。


 愛ってなんだろう……? と遠い目をして哲学めいたことを考え始めた私の顔を覗き込んで、アーサーはあざとく眼を潤ませる。自分の顔が良いことを理解しているし、私がそれに弱いのも計算済みなんだろう。悪い男!


「機嫌はなおった? そろそろ許すって言ってくれないか?」

「い・や・よ」

「アビー。愛してるよ」

「誤魔化されないわよ! 一生根に持つわ。子供にも孫にも愚痴ってやるんだから!」


 言ってから、しまった! と思った。産むつもり前提みたいなこと言っちゃった。

 さらりと流して欲しいのに、意地悪なアーサーは聞き逃してくれない。私の掌に頬擦りして金色が混じったエメラルドの瞳をすうっと細める。まるで、なぶりがいのある哀れな獲物を見つけた肉食獣みたいに。


「愚痴る相手が欲しいなら喜んで協力しよう。……ちょうど初夜だし」

「ひぇっ」


 いや、ほんと、なんか、ちょっと、段々怖くなってきた。こんなに分かりやすいのに、私なんでこの人の愛を疑ってたんだろう? 私って、本当に男を見る目が無いわね。



〈了〉



 ◇◇◇




「ちなみに、俺の父に告発状を送ったのは君の父上だよ」

「えっ、まさかお父様もグルだったの!?」

「そういうこと。オーヴェル男爵はだいぶ早い段階から我々に協力してくれたよ。ちゃんと、君を救おうと動いてくれていた。だからあまり恨まないでやってくれ」

「あのビビリで空気のお父様が……………薄ら残ってる毛根を燃やし尽くしてやろうかと思ってたけど、やめておいて良かったわ」

「それは……うん。未遂で良かった」

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