第6話 波乱の結婚式

 既にぐすぐす泣いている父にエスコートされ、ヴァージンロードの先で初めてロシュフォール伯の顔を見た。

 日に焼けた麦わら色の髪に、ダサい黒縁眼鏡の奥のやや吊り気味の榛色の眼。やっぱり騎士の家系のようで、背が高く引き締まった逞しい身体をしている。にっこり笑うと眼が糸のように細くなって……わりと整った顔をしていると思うけれど、何故だか印象が薄い。言うなれば、あるべきものが無いような不自然さを感じる。

 はっきり言って、胡散臭い。髪の色味といい、雰囲気といい、絵本に出てくるずる賢い狐みたいだ。騎士よりも商人の方がしっくり来る。それも、あやしい薬とか売っていそうな感じの……。


 ヴェールの下から視線だけ動かして参列席を窺い見れば、新郎側の後方の席に退屈そうなガードナーの姿があった。ガードナーの周りにはガラの悪そうな下男が十人。新婦側の席に座るイライザとルイーズをニヤついた顔で眺めている。私は爆破の魔石を投げつける場所をしっかりと確認してから、ロシュフォール伯の手を取った。彼はレースの手袋をはめた私の指に口づけして、ニタリと粘着質な笑みを浮かべる。


「アビゲイル嬢。貴女を妻に迎えることができて良かった」

「……それはどうも」

「高い金を払っただけのことはある」

「ふふ」


 もし、ロシュフォール伯が騙されただけの善良な人だったら、結婚式をぶち壊すことに躊躇したでしょうけど、そんな心配は必要なかった。これで心置きなく爆破できるってものよ! 最終確認が済んで嬉しそうな私を見て、ロシュフォール伯は怪訝そうな顔をしてるけど、今更泣いて許しを乞うても遅いわよ?


 愛情の代わりにそれぞれの思惑が満ちる空虚な結婚式はつつがなく進み、婚姻届にサインをする段となった。太陽神の神殿で行われる結婚式は、最後に祭壇上の聖なる白炎に婚姻届を焚べる。婚姻届は煙となって太陽神に届き、承認を得ると神殿の炎礼台帳の石板に氏名が刻まれる。そのため、役所に提出するものと神殿で焚べるものの二通を作成する慣わしとなっている。


 今まさに私の目の前には二通の婚姻届があった。ロシュフォール伯アーサー・ロイド・フルーリアの名の下に、アビゲイル・シア・フルーリアの名を記す。ここに来てようやく知った彼の名前に、私は隣に立つ軽薄そうな男の横顔を見上げた。ファーストネームがまさかのアーサーなのも気になるけれど、フルーリア伯爵家……? どこかで聞いたことがあるような? 夜会の噂かしら?


「――それでは、誓いのキスを」


 神官の言葉に、花嫁のヴェールが上げられる。近距離で正面から顔を見たら、すぐに違和感の正体に気付いた。ダサ眼鏡は魔道具だ。この男、正体を隠してる! でも、何故!? 私は誰と結婚させられそうになっているんだろう?

 得体の知れない恐怖が二の腕を駆け上がった。後ずさり、拒もうとする私の腰を引き寄せ、彼は私の顎を掬い上げる。

 ――いや、もう無理!

 ブーケで横面をぶん殴って逃げようと振りかぶった瞬間、バタンと破壊する勢いで礼拝堂の扉が開いた。


「招待状の時間通りに来たはずだが、もう式が始まっているじゃないか」

「あらまあ、本当ですねぇ」


 礼拝堂の入り口に、上品な深緑色の揃いの礼装を着た男女が立っていた。男の方は私の記憶が正しければ、四十代前半だったと思う。バッチリ礼装を着こなしていてもわかる姿勢と体格の良さ。白金色の髪をオールバックに撫で付け、やや神経質そうな切れ長の眼をした厳格な顔立ち。アーサーが順調に歳を取ったらこうなるんじゃないかという見本のようなそのお方こそが、我が家の隣の領地を治めるセシル伯爵だ。

 そして、そのお隣にいらっしゃる朗らかそうな銀髪の美女が――私も初めてお会いするんだけど――アーサーのお母様である伯爵夫人だろう。繊細なレースの襟で首から肩を覆うデザインのドレスは、伯爵夫人の細さを際立たせている。とても四人の息子たちを産んだ母とは思えない儚さだ。


 二人に続いて、黒い制服の騎士たちが続々と礼拝堂に入ってくる。ざっと見た感じ、三十人はいるんじゃないかしら? 私は騎士団関係にあまり詳しくないのだけど、黒い制服は首都に本拠地を置くエリートだったはず。そんな騎士たちを大勢連れてくるなんて、セシル伯爵って一体……。

 ふと、アーサーとの結婚を認めるための十三の注文の中に『領主・夫・夫兄弟の仕事への詮索を禁ず』という項目があったのを思い出す。あれってもしかして、世の中には知らない方が良いこともあるっていう意味だったのかも。


「せ、セシル伯爵夫妻? 何故こちらに? 誰が招待状を送ったの!?」


 母はそう問いながらも、イライザが送ったと思ったのだろう。イライザに掴み掛かろうと席を立ったところを、黒い制服の騎士に押さえつけられ、席に引き戻された。まるで影のように音も無く忍び寄ってきた騎士たちに、お父様とアンが小さく悲鳴を上げる。


「この騎士たちは何です!? 一体どういうことですか!?」

「結婚式の招待状と一緒に、匿名の告発状が届いたのですよ。――ライナス・ガードナー子爵が、オーヴェル男爵夫人を陥れ、多額の負債を負わせた末、娘を売るように仕向けたと」


 顔を真っ赤にしてブルブル震えながら威嚇する母を冷たく見下ろして、セシル伯爵は上着の内ポケットから白い薔薇が描かれた封筒を取り出す。白薔薇は太陽神の象徴なので、結婚式の招待状によく用いられる模様である。イライザかルイーズのどちらかが送ったのかと顔を見ると、二人は『違う』と小さく首を横に振った。二人じゃないとすると残りはお父様しか居ないんだけど……特に親しく付き合っているわけではない格上の貴族を、家族とガードナー一味の他に招待客が居ない結婚式に呼ぶだろうか?

 私がそんなことを考えている間にも話は勝手に進んでいるようで。


「馬鹿な! 私はオーヴェル男爵夫人に懇願され、赤毛の花嫁を探していらっしゃったロシュフォール伯をご紹介したのだ。確かに謝礼金として紹介料は頂戴しましたが、それは違法ではありません! 言いがかりはやめていただきたい!」


 ガードナーは不快そうに吠えて下男たちと共に退出しようとしたけれど、黒い制服の騎士たちが無言で立ちはだかる。


「勘違いしておられるようだが、私たちはあくまで結婚式の招待に応じたまで。あなた方の罪を明らかにするのは彼らの仕事です。……まぁ、諜報を主業務とする第五騎士団が、わざわざこんな辺境まで来た時点で、逃れられない証拠が上がっていると考えた方がよろしいでしょうが」


 憐れむようなセシル伯爵の口調に、旗色が悪いことを悟った下男たちは正面突破を試みた。しかし、エリート騎士団対ゴロツキの寄せ集めである。一瞬で制圧されてしまい、戦力を失ってなす術のないガードナーと共に外に連行されていった。次は我が身と思ったのか、よせばいいのに、母がセシル伯爵に噛み付く。


「何ということなの……これでは式が台無しです! 大体、失礼ではありませんか! 格下の家相手ならばどんな狼藉も許されるとお思いなのかしら!? その招待状、見せてください! 誰が送ったのか明らかに……」

「――ああ、招待したのは私ですよ」


 嘲りを多分に含んだ声が場に冷や水を浴びせる。目の前で繰り広げられた大捕物に夢中になって存在を忘れていたけれど、いつの間にかフルーリア伯爵は神官を追い出して祭壇の前に立っていた。丸めた婚姻届を見せつけるように振りながら。


「いやっ!」


 ――あれが燃えたら、神様に認められちゃう!

 顔からざっと血の気が引いた。人が作った法による結びつきよりも、神の承認は重い。一度神が認めた結婚をすぐに撤回すれば、最悪神殿から一族郎党破門されることも有り得る。破門されたら外聞が悪いなんてもんじゃない。罪人扱いされるレベルの不祥事だ。イライザの結婚だって無かったことになってしまうかもしれない。だからこうなる前に、ぶち壊すはずだったのに!

 ――やばい!

 と思って奪い返そうとした瞬間、フルーリア伯爵は婚姻届を聖炎に焚べた。


「でも、一足遅かったですね。セシル伯爵」


 私の指のすぐ先で、聖炎がうねる。白く細い煙がすっと真っ直ぐ天に伸びるのを、誰も何も言えずに見送っていた。


「婚姻届はこの通り、神の御許に送られました」

「……うそ」


 絶望にへたり込んだ私の頬を撫でて、フルーリア伯爵はどこか夢を見るようにうっそりと笑う。


「アビー。俺たち、夫婦になったんだよ」


 耳元で告げられた勝利宣言に呆然とする私を横抱きにかかえて、フルーリア伯爵は悠々と参列席の間をすり抜け出口に向かう。「お姉ちゃん!」と泣き叫ぶアンをお父様が必死に抱き留めている。


「……貴様、良心というものが無いのか?」


 憎々しげにセシル伯爵が吐き捨てるけれど、私の夫となったフルーリア伯爵は飄々として悪びれた様子も無い。


「ははは。私の結婚式を散々盛り上げておきながら何をおっしゃるのですか。良心と言われましても、私は何も悪いことはしていませんよ。ガードナー卿に高額な紹介料を巻き上げられた哀れな男です。あまりにも高額だったので、詐欺の可能性は無いかと通報したのは国民の義務からですし。現場を押さえられるように取引日となる結婚式にもご招待しました。感謝してほしいぐらいですね」

「伯爵……どうして……」

「ああ言えば、こう言う」

「貴方って人は……」


 まさかのフルーリア伯爵の裏切りに母は卒倒し、セシル伯爵夫妻は頭痛を堪えるようにこめかみを押さえてため息を吐く。フルーリア伯爵は誰にも止められることなく出口に辿り着くと、くるりと振り向いて小さく会釈した。


「それでは皆様、新郎新婦の門出を祝ってください。……あっ、花とか撒いてもらっても良いですよ?」


 困惑顔のイライザとルイーズが薔薇の花びらを撒く中、私はフルーリア伯爵に抱きかかえられて神殿を後にしたのだった。

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