第4話 私の最愛

「お姉ちゃん死なないでええぇぇぇ!!」

「もうアンったら、こんな可愛い子を残して、お姉ちゃん死ねないわよ」


 見知らぬ馬車で母と別々に帰ってきた私は、風邪を拗らせ高熱を出してしまったので、いつ屋敷に帰ってきたのか全く記憶に無い。髪も化粧も崩れ、靴を失くしてボロボロな私の姿を見て次女のイライザは卒倒し、三女のルイーズは誰がこんなことを! と箒を持って暴れ出し、四女のアンは私にしがみ付いてギャン泣きしてたらしい。

 勝手に殺さないでほしいけど、五日間も寝込んでいたので不安にさせてしまったのだろう。心配かけちゃった私が悪いのだから仕方ない。可愛い顔をぐしゃぐしゃにして泣くアンをあやしていると、イライザがルイーズに目配せした。


「アンおいで。お姉ちゃんを寝かせてあげて」

「……うん。お姉ちゃん、おやすみなさい」

「おやすみ。アン、ルイーズ」


 二人が部屋を出ていき、使用人を全員下がらせると、イライザは椅子を近づけて声量を落とした。


「お姉様が羽織っていたコートは私がクリーニングして預かっていますので、心配なさらないでね。お母様には知らせていないわ。……これは、そのコートの内ポケットに入っていたのですが……」


 ドアがしっかり閉まっていることを確認してから、イライザはハンカチに包んだ何かを私の手に乗せる。恐る恐るハンカチを開くと、中には金の懐中時計が入っていた。蓋には月と狼の紋章――セシル伯爵家の紋章が浅浮彫されている。イライザはこれを見てコートの持ち主が分かったのだろう。母に知られれば大事になると思って隠しておいてくれたそうだ。


「ありがとう……貴女は本当に賢い良い子だわ」


 懐中時計を抱きしめる私の肩を撫でて、イライザは母に似たモスグリーンの瞳を潤ませた。

 あの夜のことは熱が見せた私の願望の夢だったんじゃないかって思い始めてた。彼があんなにも私を思っていてくれたなんて、時間が経つにつれ信じられない気持ちの方が優ってきてしまったから。でも、これがあれば夢じゃなかったんだって希望が持てる。あの人を思って良いのだと、捉えても良いのかしら。

 懐中時計を見た私の態度で確信したのだろう、イライザは沈鬱な顔でぽつりと話し始めた。


「お姉様がアーサー様を忘れられないこと、私たちずっと知っていました。私たちのために結婚を諦めたことも……」

「え……」


 別れるまではアーサーを追い回していたのに、別れてからは徹底的に避け続けた。妹たちは極端で分かりやすい私の行動を、何も言わずずっと見守ってくれていたのだろう。婚約破棄の理由について、私は誰にも話さなかったけれど、かえってそれが妹たちを責めているように思われたのかもしれない。


「イライザ……私がアーサーを忘れられなかったのは事実だけど、彼との結婚を諦めたのはあなたたちのせいじゃないわ。私が……頑固で、歩み寄ることができなかったからよ。あなたたちは何も悪くないわ!」


 慌てて訂正する私に、イライザは悲しげな笑みを浮かべる。


「お姉様。私ね、卒業したらすぐに結婚するわ。相手は貴族じゃないけど大きな商家の跡取りで、学院の同級生なの。今度、会ってくださる?」

「ほ、本当に!? おめでとう! もちろんよ! 大事な妹の結婚相手だもの。どういう方なのか、しっかり見させてもらうわ! 悪い奴だったら、私のとっておきの魔石で爆……」

「落ち着いてお姉様」


 お姉ちゃんは落ち着いているわよ。と答えた私に、イライザは苦笑いする。


「……私は学院で経営学を学んでいたでしょう? 彼と彼のご両親は私の能力を高く評価してくれて、結婚したら店で一緒に働いてほしいと言ってくれたの。彼が貴族じゃないことでお母様に散々嫌味を言われて反対されたけど、ちゃんと私を守って一緒に説得してくれたわ」


 本来は長女である私が婿を取って男爵領を治めなきゃいけなかったのだけど、私がセシル家の長男であるアーサーと仲が良かったので、母は私をお嫁に出し、イライザに婿を取らせようと経営学を学ばせていたのだ。イライザはとても優秀で学ぶのが楽しいと言っていたけど、学院でのことはあまり話してくれなかった。私がやるべきことを押し付けてしまったと負い目に思っていたことを、イライザは分かっていたのだろう。

 一昨年、我が家に弟が生まれたので婿を取る話は立ち消えになり、イライザも嫁に出されることになってしまったので、卒業後どうするのか心配してたけれど……嬉しそうに話すイライザに胸がいっぱいになった。本当に優しい良い子だから、幸せになってほしい。


「良い人なのね……良かった」

「ええ。私がお仕事できるようになったら、私もお姉様と一緒にルイーズとアンを支援するわ。ですからもう、お姉様はひとりで頑張らなくても良いのよ。ルイーズが卒業したらルイーズも手伝うって言っているし、お姉様が背負ってきたものを私たちにも分けてください」


 いつの間にそんな話をしてたんだろう? こんな風に愛情を返してもらえると思っていなかったから、涙が止まらない。


「お姉様を真に思ってくださる方が居るのなら、迷わずその方の手を取って」


 堪らず抱きついた私の背を撫でて、イライザは歌うように囁く。


「私たちもお姉様のことが大好きだから、幸せになってほしいのよ」

「……貴女の方がお姉さんみたいだわ」

「ふふっ。私たち一歳しか違わないんだもの。そういう時もあるわ」


 鼻を啜りながら不満を言う私に、イライザは楽しそうに笑った。





 あの夜会から七日目。母から謹慎を言い渡された私は、自分の部屋で魔石作りに勤しんでいた。

 風邪で寝込んだ私に、『先方を待たせるなんて!』と、ガードナーは酷く激怒していたらしいけど、いい気味だと思う。そのまま結婚の話が流れてくれれば良かったのに、そう上手くはいかなかった。

 私が勝手に出歩いて怪我をしたり逃げたりしないように、見張りの傭兵まで連れてきたという。お陰でここ数日同じ屋敷内に居るのに妹たちに会えず、手紙でやりとりをしている。

 そんなわけで、やることが何も無かったので、妹たちの学費の足しになれば良いなと魔石を作ることにしたのだ。


 魔石の材料には本来、宝石や天然石を使うものだけど、制作方法をしっかり学んだ私ならガラス玉や庭に転がっている小石でも作れる。私みたいな真紅に近い赤毛は火神の祝福を授かった証で、私が作る魔石は何も無い場所でも八時間ほど大きな炎を上げることができる優れものだ。見張りの傭兵さんたちにプレゼントと称していくつか握らせたら、急に態度が和らいで、素材になりそうなものを大量に集めてくれた。当分は退屈しないでしょう。


 魔石を作りながら思い出したことだけど、私の結婚相手は『赤毛の花嫁』に執着しているらしい。母から聞いた話によると、我が国シュセイル王国の南に位置するローズデイル大公国との国境に近いロシュフォールという領地を治める若い伯爵だそうだ。私は記憶に無いけど、相手は私を夜会で何度も見かけて知っているらしい。記憶に残っていないってことは、武功を立てて新しく叙爵された騎士の家なのかもしれない。


 代々騎士を輩出してきた家が、火神に愛される赤毛の花嫁を欲しがるというのはよくある話だ。他の騎士が大金をかけて用意しなくてはならない野営用の火の魔石を自家生産できるのは強い。寒さ対策ができれば寒冷地への遠征も可能になるし、私の赤毛に目をつけたのもそういう理由なのかしら?


 五十個目の魔石を作り終えて疲労困憊の私はベッドに飛び込んだ。天蓋から垂れるカーテンを引くと、胸元に隠していた懐中時計を取り出す。カーテンの隙間から漏れる薄明かりに、神秘的な光を返す金色の月を撫でる。

 ――あの夜のことは、現実にあったことだった。だけど、あれから何も音沙汰が無い。


「……ねぇ、私、明日結婚するんですって」


 貴方は今、どこにいるの?

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