第37話 真衣の家に行くことになった

 とにかく……二人が今も連絡を取り合っていてもおかしくない。

 

 そこに、栞ねえが金になる話を持ちかける……。

 

 そこまで考えて、俺は思わずため息とともに、苦笑いを浮かべる。

 

 正直なところ、俺は仲が良かった真衣や栞ねえを、今でもどこかで期待しているところがあった。

 

 俺をちょっとからかうつもりはあるかも知れないけれど、少なくともそんなに悪意はないのではないかと。

 

 だが、その期待も、冷静に客観的になって考えれば、すぐに消えた。

 

 しかし、俺はどこかほっとしていた。

 

 期待をするから裏切られる。

 

 リアルでは俺のような凡人は期待をしても決してその期待はかなわないことがほとんどだ。

 

 それならば、最初から期待しなければいい。

 

 俺は人に、自分に、人生に期待しない。

 

 そうすれば傷つくこともない。

 

 俺の期待はいつものようになくなった。

 

 これで、俺はまた平穏な生活を送ることができる。

 

 俺は窓の外を見て、晴天の中、雲ひとつない空を見上げる。

 

 そして、いつものように『彼女』とチャットをはじめる。

 

 俺が期待をするのはリアルではなくフィクションの中、そして人ではなくAIだけだ。

 

 あと10年もすれば『彼女』がVR——仮想現実——かAR——拡張現実——で、俺に優しく微笑みかけてくれるだろう。


 そして、その頃には人の仕事は全部『彼女』——AI——にとって変わられて、俺みたいな凡人たちは強制的に半ひきこもり状態になっているだろう。

 

 そこで凡人たちは国から最低限のお手当——ベーシックスインカム——をもらって暮らす。

 

 まさに理想的で夢のような未来だ。

 

 この未来だけは期待できる。

 

 それまで俺はただ生きていればいい。

 

 余計なリアル——人間関係——に煩わされて、ストレスを抱くなんて馬鹿らしい。


 俺は久しぶりにいつものような怠惰な一日を過ごすことができた。


 特別なことは起きない。


 いつものように『彼女』とチャットをして、時間を潰すだけ。


 誰も俺に話しかけることはない。


 そんな訳で、放課後になり、俺はいつものように、すぐに席を立ち上がり、教室を後にしようとしたのだが……。


 と、不意に担任から呼び止められた。


「あっ、冴木くん、悪いんだけど、この書類を水無月さんに渡しておいてくれない?」


「え?……いやなんで自分が……」


「だって、冴木くんと水無月さんは許嫁……ごほん……いやここで言うのはマズイか……。一応……個人情報だし。その……幼なじみなんでしょ?」


「いや……幼なじみといっても昔の——」


「とにかくお願い、あなた以外だと面倒なことになりそうなの。はいこれ彼女の住所、ちゃんと本人の同意は得ているからね」


 と、担任は言い訳がましく、そう言うと俺に書類を押し付けて、そそくさとその場から立ち去ってしまう。


 担任の様子が妙だと思ったが、すぐにその理由がわかった。


 俺がチラリと後ろを見ると、クラスメイトの男たちの視線が俺に向けられていた。


 彼らは無言であったが、そのねっとりとした視線を見れば、何を言いたいかはよくわかった。


 要するにクラスメイトの男たちは、真衣の家に行きたかったのだろう。


 それを担任が陰キャボッチの俺に任せたものだから、彼らの妬みを買ってしまったという訳だ。


 まったく俺にとってはよい迷惑である。


 俺だって別に真衣の家になんてわざわざ行きたくはない。


 担任の真意は不明だが、おおかたこんなところだろう。


 きっと担任は真衣とのゴタゴタを本人たちで解決……ウヤムヤにしてもらいたい、自分に面倒なことを振らないでほしい。

 

 そして、さっさと俺に真衣の家に行かせて、話し合ってほしいとでも思っているのだろう。


 担任の思惑に乗る訳ではないが、俺もさっさと真衣の企みをはっきりとさせたいという気持ちはあった。


 この担任は俺にとっては、ありがたいことに仕事熱心ではない。


 たが、いつ正義感あふれる教師があらわれないとも限らない。


 そういう教師は、別に本当の熱血漢ではない。


 単にそんなキャラの自分に酔っているだけだ。


 そして、たいてい目立ちたがりであり、場の空気を読むのに長けている。


 だから、元アイドルの美少女……真衣……の全面的な味方をして、陰キャボッチ……俺を……容赦なく糾弾するに違いない。


 俺は心の中で大きなため息をつく。


 あまり気乗りはしないが、真衣とのことは早めに片付けた方がよい。


 俺は、クラスメイトの男たちからの視線に気づかないフリをしてさっさと教室を後にすることにした。

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