侯爵級

「レヴィさまっ!」


 メリーネが悲鳴のような声を上げる。

 とっさに盾にした腕が灼熱のような痛みを伴うが、今はそれに構っている余裕はない。


「ぐ――『レーヴァテイン』!」


 即座に魔法を発動して、俺はを迎撃する。


 ひび割れた空中から現れたは、フェンリルにすら痛手を与える俺の魔法をたやすく剣で受け止めた。


「あは! 人間のくせにすごい魔法を使うじゃない!」


 そいつは涼しい顔をして笑う。


 2つに結ばれた赤い髪。つり目がちな青い目、嗜虐的に歪んだ口もと。

 いっそ不気味なほどに整った人形のような顔立ち。


 人間の少女のような姿をしたそいつは、しかし人間には絶対にあり得ない身体的特徴を持っていた。

 長く尖った耳、両側の側頭部から生える2本の角。

 腰あたりからは蝙蝠のような黒い翼が生えている。


 その姿はまごうことない人類の敵。


「魔族……!!」


「あら、知ってるのね。そういえば、この辺でいつだか男爵級のざぁこが殺されたって聞いたわ! もしかしてやったのはあなたかしら?」


 俺の頬を冷や汗が流れる。

 何でこいつが出てくるんだ。もっと後だろお前の出番は。こんな序盤に出てきていいやつじゃないだろ。


 そんな悪態がとめどなく溢れてくる。

 本当に勘弁してほしい。まだお前と戦う準備はできてないんだよ――


「――侯爵級魔族、リルフィオーネ!」


「ふ〜ん、まだ名乗ってもいないのにあたしを知ってるのね? ふっしぎ〜」


 リルフィオーネは『エレイン王国物語』に登場した敵だ。

 その階級は、侯爵級。

 上から3番目の階級に位置する魔族で、ゲームではその強さをいかんなく発揮して主人公を追い詰めた終盤の敵。


 侯爵級の強さはSS級の魔物を軽く凌駕する。

 神器をまだ手にできていない現状で、決して戦っていい相手じゃない。


「レ、レヴィさま! お怪我がっ、は、早く治さないと!」


「問題ない。それより今は奴だ」


 メリーネが焦った様子で言うが、正直今は怪我なんてどうでもいい。

 リルフィオーネの不意打ちを受けて右腕が斬り飛ばされたが、エリクサーなら欠損すら治せるので問題ない。


 痛みもかなりのものだが、これに関しては割と耐えられている。

 普段から魔力負荷の魔道具による激痛の中で日常生活を送っていた影響だろうな。

 痛覚が麻痺してるわけではないが、耐性はできている。

 これは思わぬ副産物だった。


 しかしエリクサーは影収納の中に入っているが、リルフィオーネの前で不用意に回復なんてしてる場合じゃなそうだ。

 仕方ないので、小規模な火魔法で傷口を焼いて止血だけしておく。


「お前、何の用だ」


「あは、おにーさんには用はないよ〜。あたしが来た目的は、そっち」


 そう言ってリルフィオーネが指差したのはネロだった。


「ぼ、僕ですか!?」


「そ! 死霊魔法を使う、優秀な魔法使い。それなのに精神が弱ってるから、発狂させやすい。魔族の手駒にするにはちょうどいいんだって〜」


「やはりか」


 リルフィオーネの言葉に、俺は納得する。

 ゲームでのリルフィオーネは『嘆きのネロ』を従えて登場していた。彼女の口ぶりから、ネロを発狂させるなりして手駒にしたのだろう。

 いつだったか予想していたことがあたっていたようだ。


 魔族は優秀な人間の負の感情を暴走させることで洗脳し、手駒にしようとする。

 絶対的な個体数が人間と比べて少ないから、奴らはそうやって戦力を増やすのだ。


 ケール村のイブのときもおそらくそれが目的だったのだろう。

 まず幼いイブだけを残して、村を滅ぼす。

 そして村を襲った理由はお前がいたからだとでも言ってイブを絶望させ、その絶望につけ入り手駒にする。

 そういう魂胆だったのだろう。

 イブの魔力量は異常だったからな。心底むかつく話だが、さぞ魔族のお眼鏡に適ったものだろう。


 だが、今のネロはそう簡単に魔族の手駒になるとは思えない。


「お前の目的は達成できないぞ。ネロの精神はすでに回復している。10年の孤独は、もうないはずだ」


「そ、そうです! 僕はレヴィさんたちに救われたんです! は、発狂なんてしません!」


「あは〜、そーみたいだね。これじゃ、その骨はもう使いものにならないし。あたし、無駄骨ってやつよね? あはは、骨だけに〜!」


 リルフィオーネはケラケラと笑いだす。

 見た目はかわいらしい少女だが、その本性はどんな魔物よりも強く凶悪な魔族。

 こうして相対しているだけでもまったく気を抜けない。


「なら、帰ってくれ。お前の目的は達成できないんだ。ここにいる意味もないだろ」


「ん〜、そうなんだよね〜」


 俺の言葉に、リルフィオーネは腕を組んで考え込む。

 さっさと帰ってほしい。

 俺は心の底からそう思う。


 我ながら情けない話だが、俺はこんな化け物と戦いたくない。戦うにしても、もっと強くなってからでないとどうしようもない。

 侯爵級魔族は、今の俺たちが力を合わせたところで1割の勝率も考えられないほどの隔絶した強者だ。


 俺はこんなところで死にたくないし、メリーネやネロを殺されたくもない。


 頼むから何もせずに帰ってくれと、わりと本気で祈りながら考え込むリルフィオーネを固唾を飲んで見守る。

 ボス部屋がものすごい緊張感に包まれる。

 1分、10分か、はたまた1時間か。

 時間の感覚がおかしくなるような緊張の中で、やがてリルフィオーネは「よし!」と声を上げる。


「決めたわ! せっかくだから、み〜んな殺しちゃお! 骨も魔法使いも剣士も優秀な人間っぽいし、今のうちに殺しておけば魔王様も喜んでくれるわよね! あたしってかしこ〜い!」


 そう言ってリルフィオーネは右手に剣を出現させる。

 瞬間、戦闘態勢に入った上級魔族から発される威圧感が空間を軋ませる。

 その圧は、さっきまで相手していたフェンリルの比ではない。


 最悪だった。

 リルフィオーネの強さを肌で感じ取ったであろうメリーネが青い顔をし、ネロはカタカタと震えだす。

 2人以上にリルフィオーネの危険性を知っている俺は、きっと今絶望した顔をしているのだろうな。


 ハッと渇いた笑いが漏れる。

 勝ち目の無い戦いなんて、バカバカしい限りだ。


「レ、レヴィさま」


「あ、わわ」


「仕方ない。2人とも、やるぞ」


 覚悟を決めて俺が言うと、2人は不安そうな顔をしたまま構える。

 いつの間にか消化を終えていたらしいスラミィも、フェンリルの姿へと変身して俺たちの隣に立った。


「あは! ざぁこの人間のくせに抵抗するのね! でもあたしは優しいから、暇つぶしに遊んであげてもいいわ。あたしが魔王様に褒めてもらうための、犠牲になって?」


 絶望的な戦いが、始まった。

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