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@mamesan2000

第1話 突然の縁談

 アディソン伯爵家には同い年の娘が二人いる。しかし双子ではなく、長女は伯爵と死別した前妻との間にできた子であり、次女は伯爵と後妻との間にできた子だった。つまり伯爵は現伯爵夫人と不倫をしており、産後の肥立ちが悪かった前妻が死亡すると、これ幸いと現伯爵夫人をすぐに後妻に迎えた。

 更に伯爵は政略結婚だった前妻の子である長女エラを疎ましく思い、領地で隠居をしている前伯爵夫妻に預けたまま、後妻と次女と共に王都のタウンハウスでずっと暮らしている。エラが誕生してから既に十六年経つが、その間に一度も伯爵は領地を訪れたことがない。彼はエラ母娘だけでなく、政略結婚を強いた実の両親すら憎んでいたのだ。

 しかしそれほど酷い仕打ちを受けても、エラは特に父親が恋しいだとか、妹が妬ましいと思うことはなかった。なぜならば前伯爵夫妻である祖父母が、これでもかと愛情を注ぎ育ててくれたからだ。むしろ祖父母から、実父や継母と異母妹はとんでもない屑だと言い聞かされて育った為、できれば一生会いたくないと思っているくらいだ。


「よいか、エラ。あれには聖人アンドレに因みアンドリューだなんて名前を付けたが、謙虚さもなければ勤勉さもない。それはもうかけら一つもない。あいつは救いようのない屑なのだ。我が家はあの屑の代で終わるだろう。あれはそれ程に愚かなのだ」


「ええ、ええ。お爺様の言う通りです。エラ、あなたの父はこの世にいないものと思いなさい。私達が天国へ召されてしまえば十中八九、あの子はこれ幸いと今度はあなたを領地から追い出すに違いありません。そうなる前に私達が、あなたに良い方との縁談を結ぶことが出来ればいいのだけれど、こればかりはどうなるかなんてわかりませんもの。結婚しても必ずしも幸せになれるとは限らないのですから、万が一に備え一人で生きていく術を身に着けなければなりませんよ」


 祖父母はことある毎に実子であるアンドリューを散々に扱き下ろし、屑な男を信じるとどのように痛い目に合うかをエラに懇々と言い聞かせ続けた。また彼らは溺愛している孫娘が何としてでも生きて行けるようにと、貴族令嬢としては一風変わった教育を受けさせた。

 一般の貴族令嬢が嗜む教養といえば、主にピアノの演奏や、ちょっとした写生や芸術鑑賞の知識を学んだりというものだが、それらに加え算数等の基本的な勉学に商売の基本や薬学、それから裁縫と刺繍に料理や掃除洗濯といったことを、七歳から十八歳になる現在までエラは徹底的に教え込まれ育ったのだった。とにかく人生はどうなるか分からないのだから、基本的な知識と技術があれば、仮にエラが平民になったとしても、いずれかを活かし、なんとか一人で生きて行けるだろうと、祖父母は考えていたのだ。

 祖父母の後ろ盾がなくなれば、エラの立場は非常に弱く危ういものになることは、誰の目から見ても明白だった為、祖父母ばかりかエラ自身でさえも将来的に貴族男性と結婚をすることはなく、仮に結婚したとしても平民であろうと思っていたのだ。しかし、人生とは本当に思いがけないことが起こるもので、ある日突然にエラの元へ一風変わった縁談が舞い込んだのだった。


「え、私に縁談ですか?」


 有り得ないとエラは首を左右に振った。

 父であるアディソン伯爵とその継母により、エラは我儘で陰険で贅沢好きだと王都の社交界で散々な噂を流されており、またエラが一度も社交界へ姿を現さないことで信憑性を与えてしまっていた為、彼女に縁談を申し込む貴族男性は誰もいなかった。仮に噂を鵜呑みにしてい男性がいたとしても、絶対にエラにだけは縁談を申し込むはずがなかった。何故ならば、エラは実父であるアディソン伯爵から疎まれ、後ろ盾である祖父母の前伯爵夫妻が亡くなれば、現伯爵に対抗できるような手立てを全て失ってしまうような、そんな利用価値のない彼女に縁談を申し込んでしまえば、損をすることはあっても得をすることなど何もないのだから当たり前のことだった。

 貴族の結婚は家同士の利益が最優先であり、稀に恋愛結婚があったとしても、成立するのは同家格の貴族で不利益が両家に発生しないことが最低条件だ。

 そんな貴族の結婚市場において不良債権であるはずのエラに、何故だかフェルトン辺境伯家から長男と次男のどちらかの婚約者候補として、他の候補の令嬢と共に辺境伯家の領地でひと月滞在してほしいとの申し込みがあったのだ。


「縁談と言うと少し違うかもしれないのだけれど。あの家の兄弟は女嫌いだと有名ですからね。きっとご両親は苦労なさっておいでなのではないかしら。辺境伯に釣り合うのは侯爵か伯爵ですから、適齢期で婚約者がいない令嬢となれば、数は限られてくるというもの。ですからあなたにも申し込みが届いたのではないかしら。けれどあちらは三代前に王家の分家が嫁いだからといって、いくらなんでもこの文面は失礼ではありませんこと?」


 祖母から手渡されたフェルトン侯爵家からの手紙を確認すると、そこには婚約者候補としてひと月フェルトン辺境伯家の領地で過ごすこと。またその際に侍女は連れ立ってはならず、夜着や下着の他はモーニングドレスのみを持参することと書かれていた。なるほど確かに失礼な申し込みだ。

 つまり辺境伯家はエラのことを一応婚約者候補として招いてやるが、婚約者を必要としている長男や次男に合わせるつもりは、これっぽっちもないと言っているのである。モーニングドレスのみを持ってこいということは、つまり普段着で過ごせということであり、当家の息子はあなたに会うつもりは更々ございませんと言っているのと同義である。


「しかしあの屑経由ではなく、辺境伯家直々に私へ申し込みの手紙があったのだから、参加しないわけにもいくまい。よいか、エラ。どんなことがあっても、お前はお前らしくしておればよい。王都の噂を信じ、お前を見世物にしようとするような、そんな礼儀を欠いた者など相手にしなくてよい!ひと月と言わず、すぐに帰ってきてもよいのだからな!」


 どうやら祖父の口ぶりから察するに、エラは当て馬として選ばれたらしい。王都ですこぶる評判の悪い女を候補に入れておけば、他の候補者がよく見えるというやつに違いない。いくら女嫌いの兄弟でも酷い女を見れば、他の令嬢がマシに見えて婚約するかもしれないと辺境伯夫妻が思ったのだろう。本当に失礼極まりないことだが、辺境伯家は我が国の国防を担っており社交界や宮中で何かと力を持っている。ここで断ってしまうと角が立ち、後々面倒なことにならない為にも参加しないわけにはいかない。


「分かりました、お爺様、お婆様。期日までにフェルトン家へ向かい、この屋敷と同じようにいつも通りに過ごします。それから期日がきましたら、お二人の元へ無事に帰ってまいります。ですから、どうぞご安心ください」


 この時エラは、どうせ選ばれることなどないのだから適当に過ごせばすぐに家へ帰ることが出来るだろうと思っていたのだが、事実は小説より奇なりとはよく言ったもので、ひと月後に祖父母の元へ帰るには帰ったものの、とても大きなお土産を携えることになるとは思いもしなかったのだった。

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