第3話 蜘蛛とギフト

 紙切れに描かれていた魔法陣が発動し、目を開けてみたら紫と黒の暗黒雲が広がっていた。ギルバートは慌てて起き上がると、辺りには見た事もない銀色の芝生が生えていたので、目を丸くしてフリーズしてしまう。


「ここは何処だ? それにこの銀色の芝生、やけに柔らかいな。まるで犬の毛を撫でているようだ」


 ギルバートは手元にあった柔らかい芝生を掴んで感触を確かめていると、ズズン……と大きな地響きが鳴った。とてつもなく嫌な予感がしたギルバートは動かずにジッとしていると、銀色の芝生の中に潜んでいた無数の赤い目を持つ生き物と目が合ってしまう。


「あれは……蜘蛛? 魔物の一種だろうが、見た事もない種類の蜘蛛だな」


 手のひらサイズ位の大きな蜘蛛が芝生の中に潜んでいた。口から生えている小さな牙をカチカチと鳴らし、ギルバートを威嚇しているように見える。身体が透き通るように透明だったから、目を赤く光らせるまで蜘蛛の存在に気付かなかった。


 両者睨み合っていると、蜘蛛から先にゆっくりと前へ進み出てきた。得体の知れない生き物を前にしたギルバートはすぐに逃げようとしたが、手足が地面に張り付いていて動けなくなってしまっていた。


 我に返って自分の手足をよく見てみると、潰れた蜘蛛と透明な体液が自分の毛に染み込んでいた。どうやら、蜘蛛の体液が水飴のような役割を果たしているらしい。


「この状況はやむを得ないな……ハッ!」


 ギルバートは詠唱を唱えずに魔力を両手に集中させ、炎を放った。すると、両手に張り付いていた銀の芝生がチリチリと燃え、ようやく手が自由に使えるようになる。


 後は足に張り付いている芝生を燃やせば、ここから脱出できるはずだ――ギルバートはそう考えていたが、現実は上手くいかなかった。


 炎を出そうとした瞬間、蜘蛛が一斉に飛び掛かってきたのだ。蜘蛛はギルバートの体毛を掻き分け、小さな牙でガリッと噛みいてくる。しかも牙をグイグイと奥に差し込んでいるのか、かなりの激痛が走った。


「この蜘蛛……もしかして、肉食なのか!?」


 これにはギルバートも驚いてしまい、魔法も使わずに慌てて蜘蛛を手で払い始めた。しかし、蜘蛛は何百匹……いや、何千単位でギルバートに群がり、身体中に噛み付いてくる。


「ぶぇっ!? なんだこの甘さはっ!?」


 どうやら、口の中に入り込んできた蜘蛛の身体の一部を誤って噛み潰してしまったようだった。


 思わず吐き出す程の甘みを感じた数秒後、少しずつ口の中の感覚がなくなるのを感じた。次第に顔面の感覚がなくなり、手足の先までピリピリと痺れて、痛みを感じなくなってしまう。あの激甘の体液が毒だと気付いた時には、呻き声しか出せなくなっていた。


 その間も蜘蛛達は遠慮なしにギルバートの肉を貪っていった。痛覚がなくなったお陰で気持ちに余裕ができたのか、ギルバートは他人事のように蜘蛛が自分の身体の肉を食いちぎっていく様子を眺めていた。


 もう駄目だ。生まれ変わったら、この蜘蛛達のように肉を腹一杯に食べたい――。


 ギルバートは絶望的な状況なのにそんな事を考えていた。


 聖マリアンヌ教会の僧侶になってから、質素倹約に加えて自給自足の毎日だった。肉なんてご馳走、食べられるはずがない。だからほんの少し、ほんの少しだけこの蜘蛛達が羨ましく感じたのだった。


 もういい、楽になろう――。


 ギルバートは生きるのを諦めてしまった。もう喋る事もできない。蜘蛛に食われて死ぬだなんて嫌に決まっているが、こんな見た目では誰も看取ってもくれないだろうし、行く宛もない。未熟な冒険者のように、このまま返事がないただの屍の一部と成り果てるだけだ。


 ギルバートは自然に還る覚悟をした。もうすぐ迎えるであろう死を待つ。けれど、暫く経っても意識が遠のいていくような気配は微塵も感じられない。むしろ意識が鮮明になっているような――。

 

「……は? なんだ、この有様は?」

 

 気が付くと蜘蛛達は腹を天に向けてひっくり返っていた。足をピクピクと痙攣させ、ある蜘蛛は白くてキラキラと輝く細い糸を吐き出し、また別の蜘蛛は苦しんでいるのか、キィ……キィ……と小さく鳴いている。


 死屍累々とはまさにこの事だった。ギルバートは何が起こったのか分からず、目をパチパチと瞬きさせる。


「一体、何が起こったんだ? この蜘蛛達、苦しみ抜いて死んだのか?」


 身体を動かせるようになっている事にも気付き、ゆっくりと上半身を起こすと、蜘蛛の死骸に埋もれて見えなくなっていた魔導書の一部を見つけた。


 ギルバートは蜘蛛の死骸を手で払い除け、年季の入ったボロボロの魔導書を掴み上げると、本が独りでに宙に浮き上がり、とあるページが開かれる。


「な……なんだこれは!?」


 ギルバートは魔導書を掴み、ギョッとした表情になった。


 魔導書の二行目に『月の女神・セレーネからギルバート・ヴァニタスへ【因果応報】を贈ります』と書かれていた。


【因果応報】という見慣れない文字が浮き出ていたのも気になったが、それ以上に一行目の文字列から目が離せなくなってしまっていた。


 魔導書の一行目に書かれていた内容――。

それは『大司教・アルバートからギルバート・ヴァニタスへ【不死身】を贈ります』だった。


 

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