第6話

 茶菓子とコーヒーを出して、ヤイバはチイに一通りの説明を終えた。

 昔、両親が異世界転生して勇者をやっていたこと。

 その時の召喚主にして仲間、イクスロールのこと。

 そして、彼女に寿命の尽きる瞬間が迫っていることなどだ。


「ふむ、だいたい事情はわかりました。……これが、本物の、エルフ……生エルフ」


 わかりました、と言いつつ、イクスを見やるチイの目が猜疑心に細められる。

 まあ、無理もない。

 クソダサTシャツ一枚でゴロゴロしながら、イクスは漫画を読んでいる。見た目は小学生みたいな感じだが、その矮躯は極めて女性的な曲線美に彩られていた。

 アンバランスな童顔も愛らしく、そこだけは物語のエルフそのものである。


「ムフー! 面白いものであった……こちらの世界にも学校があるのだな。男女の交際、純愛、そして三角関係。少年、続きはないのかや?」

「それが最新刊だよ」

「つまり、続きは」

「連載雑誌を買えば読めるけど」

「よし、買おう。非情に気になるのじゃあ」


 確か、今月号を買えばすぐに単行本最新刊に繋がるはずだ。

 チイも読んでる漫画らしく、すぐに二人は作品の話で盛り上がり始めた。


「わかりますか、エルフさん。そう、エモい……この作品、二人のヒロインがエモ過ぎるのです」

「エ、エモ……? エモい、とは」

「エモーショナルで良い、略してエモい、です」

「なんじゃお主、固そうな女じゃが絵草紙も読むのかや」

「追いかけてる作品は少ないですが、推しの漫画は欠かさず」

「推し? 推し、とは」

「自分が推してるキャラ、要するに好きだから応援しているキャラです」


 何故かチラリと、チイはヤイバを振り返る。

 しかし、すぐにその無表情は瞳の色を隠した。眼鏡のブリッジをクイと上げると、チイは光の反射で死線を隠す。


「もしよければ、明日にでも今月号をお持ちしますが」

「むむ、さてはお主……見かけによらずいい奴じゃな」

「見かけ通りのいい人です、私としては」

「日本は皆、親切だのう。じゃが、遠慮しよう。ワシ、色々と買いたいものもあるし、ついでに自分で買って読むぞよ」


 そんなこんなで時間になったので、ヤイバは母親のミラを起こした。

 相変わらず寝起きが悪くて苦労する。

 それでもミラは、ふらふらと全裸で洗面台の方へと去っていった。

 やれやれと思いつつ、ふとヤイバはイクスに問いかける。


「イクスさん、お金持ってるんですか?」

「おうてばよ! ワシ、こう見えても億万長者じゃぞ? なにせ、世界の救世主じゃからな」

「日本の通貨は円って言って」

「見よ! 我が財と富を! ムフ、ムフフフ、ウフ、アーッハッハッハー!」


 さっ、とイクスが真横に手をのべる。

 その先で空間が渦を蒔くように歪んだ。

 だが、なにも出てこない。

 颯爽と決めポーズまで取って立ち上がったのに、もうイクスは膝がプルプルしていた。やはり、その身体は確実に老いに蝕まれているのだ。

 そして、異空間から物質を取り出す的な魔法は、薄れて消えた。

 かに思えた瞬間、イクスの頭上に大穴が開く。


「ほへ? な、なんでそっちなんじゃー! ……やはり魔力が弱くなっておるのう」


 ジャララララ! と派手な音を撒き散らしながら、沢山の硬貨が降ってきた。

 その黄金の雨の中で、しょんぼりとイクスが肩を竦める。

 浮かべる苦笑に、なんともいえぬ悲しげな瞳が潤んでいた。

 そして、居間にあっという間に金貨の山ができる。


「……因みにイクスさん、これは」

「うむ! ざっと100万セクタはあるぞ。これだけあれば、王都の一等地に家が建つレベルじゃ」

「円との交換レートは、勿論わからないですよね? これ、仕えませんけど」

「……なんと。その、日本の円ってどれくらいの価値かや?」

「え、そう言われると……えっと、文明レベルも違うし」


 近頃は円安だと騒がれているが、セクタという通貨単位は聞いたことがない。勿論、それは異世界のものなので、なにも不思議はないが。

 そう思っていると、チイが金貨を不意に拾い上げる。


「これ……金、ですね」

「うむ。どした? チイ、金が珍しいかや?」

「純度にもよりますけど、この金貨……」

「純金じゃよ? ワシの世界では今はもう、魔法は廃れて錬金術の世界になっておる。そして、科学じゃ! 金はホイホイ作れるでの、通貨は全部貨幣じゃよ」


 ん? とヤイバは目を丸くした。

 クイと眼鏡を上下させるチイも、絶句している。

 日本は、そして世界は今もって、基本的に金の価値は大きく上下しない。普遍的な価値があり、金本位制度は万国共通の価値観だからだ。

 地球の裏側で紙幣が紙屑になろうが、積まれた貨物が腐って無駄になろうが……金だけが永久不滅の価値を保ち続けるのだ。

 その金が、無から作れる。

 故に錬金術とはよく言ったものである。


「……都牟刈君、これは普通にショップで金塊として売ればよいのでは?」

「これだけの数だと、18金とか24金じゃなくても、かなりの額になるよね」

「ただ、一つわかったことがあります。エルフさんの国はちゃんと国家が通貨の価値を担保し、経済が成り立っているんですね。極めて高い文明レベルです」


 向こうの世界では、金は安易に大量生産できる金属、それ以上の価値を持たないらしい。しかし、それで作られた金貨は、発行する国家によって一定の価値を保証されている。

 今の日本と同じである。

 日本という国の信用が、紙切れを紙幣にし、金属片を硬貨たらしめている。


「えと、イクスさん。買い物っていうのは」

「んむ! まずは、そうじゃのう……杖がほしい」

「杖? 魔法使いなのに?」

「そういう杖じゃなくてのう、普通に突いて歩く老人用の杖じゃよ。それからのう、服もほしいし、下着なしでウロウロもできんじゃろ」

「それはまあ、そうですけど」


 その時だった。

 バーン! と奥のふすまが開いて、着替えて化粧を終えたミラが現れた。


「話は聞かせてもらったわ! とりあえずイクス、その金貨はしまって!」

「おおう、ミラ……じゃが、他にワシが持っている財産といえば」

「あー、ダメダメ、やめて! あたしのカード、使っていいから」

「カード?」

「キャッシュカードよ、ったく……そんな大量の金貨持ってったら、絶対に怪しまれるわよ」


 僅か二時間の仮眠で、ミラは生気を取り戻していた。

 パンツスタイルのスーツをピシリ! と着こなし、仕事人間まっしぐらの臨戦態勢である。我が家の頼れるシングルマザーは、今日もこうして夕闇迫る中を会社へ戻ってゆくのだった。

 そんな彼女が、財布から出したカードをヤイバに預ける。


「とりあえず明日にでも、街で色々買ってあげて。その間、服はあたしやお父さんのものを――って、あら?」


 ミラはペコリと頭を下げるチイを見た瞬間、歓喜に飛び跳ねた。


「お邪魔してます、おばさま」

「まあ! まあまあ、まあ! チイちゃん! 大きくなったわね……ほんとに大きく、あちこち色々と」

「え、ええ、まあ」

「今日もヤイバのために? いつもありがとう」

「いえ、クラス委員長ですので」


 小学校からずっと一緒のクラスだし、常にチイはクラス委員長だった記憶がある。気がつけばみんな、面倒な仕事は彼女に押し付けていた印象があった。

 それでも文句一つ言わず、彼女は学校行事などで積極的に働いていた。

 そうか、これって幼馴染みたいなものかと、改めてヤイバは驚いた。

 いつもいるのが当たり前で、最近も毎日来る。

 顔を合わせないのは土日くらいだが、その時もたまに彼女は私服でやってきた。


「チイちゃんはゆっくりしてって、あたしはこれから仕事! 今夜も徹夜だーっ!」

「あ、いえ、そろそろ私もおいとまをと」

「いいからいいから! 夕ご飯でも食べてって。あと、あれは……もう紹介すんだ? イクスよ、ハイエルフのイクスロール。ああ見えても三千歳のロリババアだから」


 そのイクスだが、しょぼくれた顔で金貨をせっせと異空間にしまっている。

 それを手伝えば、ヤイバは背中で女たちのヒソヒソ声を拾ってしまった。


「お夕飯も食べてさ、少しヤイバの相手をしてあげてよ」

「あっ、あああ、あっ、相手!」

「そ、青春真っ盛りの16歳が、ずっと家に引きこもりなんて不健全でしょ? 特になにがってことはないけど、一緒にいてくれるだけでも嬉しいかな」

「そ、それは……構いません、けど。クラス委員長ですし」


 珍しく頬を赤らめるチイの背を、ミラはガハハと叩く。

 この母親、豪快にして豪胆過ぎる女傑だった。流石は異世界まで行って勇者やってた人である。それが今から20年前、そしてイクスにとっては200年前だ。

 夕食は寿司でも取ればと、経済観念の惰弱性を披露しつつミラは意気揚々と出勤していったのだった。


「お寿司ってそんな……うちの家計簿見たことないんだよなあ、母さん。ま、いっか」

「あの、都牟刈君。私やっぱり」

「あ、気にしないで。ちらし寿司とかでいいかな? 僕が作るよ」

「じゃ、じゃあ……私も、手伝う」

「クラス委員長だし?」

「そ、そうよ!」


 イクスがようやく大量の金貨をしまい込み、ぐったりした様子で大の字に寝そべっている。色々見えたり零れたりしそうで危なっかしいが、ヤイバは少し心配だった。

 イクスは明らかに、午前中に現れた時より疲れているように見えたのだった。

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