ベルーガのお誘い

「初めて来たけど、良さげな所ですね! おれも通おうかなー!」

「……何で来たの?」


 僕はおにぎりを持ったまま、出入口で忙しなく辺りを見回している人鳥に声を掛けると、無邪気な笑みを浮かべて人鳥は答えた。


「だってお前、今日が初日だろー? 初バイトの友達を応援したくてさー」

「部活は?」

「休んだー」

「……そこまでしなくても」

「するだろー? おれはすんの!」


 そう言うなり、人鳥は僕の傍に寄ってきて、隣に座ってきた。


「今って休憩中なの?」

「──そうだよ」


 返事をしたのは僕ではなかった。

 味噌汁のおかわりを用意してくれていた白熊さんが戻ってきたのだ。両手に紙コップを持っており、僕と人鳥にそれぞれ渡してくれた。


「え、あの」

「ここの店主の白熊です。あざらし君の友達なら、特別にどうぞ」

「わおっ! ありがとうございますー! なら、遠慮なく!」


 受け取るなり、人鳥はぐいっと紙コップの味噌汁を呷った。一気に飲んだのかもしれない。ぶはー! とか言って、紙コップを離し、早口に白熊さんに味の感想を伝え始める。


「めっちゃ美味しいですねこの味噌汁! うちのは豆腐とワカメなんですけど玉葱もたまにはいっすね! てかずっとこれがいいくらいですよ! しかもこれ、箸なくても飲めるってもう最高ですね! 急いでる時とか助かります!」

「ありがとう。ちなみに朝の八時から九時の間は販売してないから、飲みたかったらそれ以外の時間においで」

「おっふ! 朝は早起きしないと飲めないのかー。苦手なんだよなー。まあ、部活がなくて海豹がいる時に飲ませてもらいます! あ、もちろん次からはお金払うんで!」


 テンション高いなと思いながら、やっとおにぎりに噛みつく。食べ進めると鮭だった。美味……。


「おかわりください! いくらですか!」

「今日は別にいいよ。ちょっと待っててね」


 白熊さんが背を向けた時にはもう、僕の手におにぎりはない。味噌汁のおかわりを味わって飲んでいると、なあなあと人鳥が声を潜めてきた。


「あざらし君って?」

「海豹ってそうとも読めるんだって」

「ついにお前も知ったかー」


 苦笑いを浮かべる人鳥。その反応ってことは、既に知ってたのか。


「ペンギンは知ってたよ」

「おれが初対面の時に言ったからだろー? 今からでも、ペンギン君って呼んでくれてもいいぞ!」

「──じゃあ、そう呼ばせてもらうよ」


 戻ってきた白熊さんがまた、僕の代わりに返事をした。味噌汁の入った紙コップを差し出してきて、人鳥はそれを受け取りながら、是非お願いします、なんて言っていた。

 無表情、ではあるけれど、白熊さんの表情は柔らかで、その口が軽やかに言葉を紡ぐ。


「ペンギン君にあざらし君。仲の良さそうな名前だね」

「仲良しですよー。中学の時からの友達ですもん。今は昼も世話になってます」

「あ、それならもしかして」

「いつも美味しいおにぎり、ごちそうさまです!」


 初対面なのによくもまあ、そんなぽんぽん会話ができる。

 味噌汁の残りを飲み干しながら、二人の様子を眺めていると──ショーケースの近くにある扉が開く。煙草のにおいが鼻に届いた。

 ベルーガさ……いや、斑鳩さんだ。


「ガキが増えてる」

「人鳥でーす! 海豹の友達でーす!」


 人鳥の声に少しうるさそうに顔をしかめながら、何故か、斑鳩さんは僕らの元に近付いてきた。

 何だろう、騒がしくするなと注意に来たのか。ちらりと人鳥を見たけれど、笑顔で味噌汁を飲んでいる。

 白熊さんの横に立ち、その三白眼でじっと僕らを見た後、斑鳩さんの口が開いた。


「お前らさ、ゴールデンウィーク暇?」

「……え?」

「前半は部活ありますけど、後半は休みですー」


 困惑する僕をよそに、はきはきと答える人鳥。斑鳩さんの視線が僕に向いたけれど、ゴールデンウィーク……シフト希望全日出したけれど、一日か二日は休みだったはず。

 そう思い白熊さんを見れば、白熊さんは若干首を傾げながら、斑鳩さんに顔を向けていた。


「草野球? サッカー?」

「剣道。近所の小学校の体育館でよくやってんだろ?」

「へー。おじさんの交流関係は広いね」


 話が見えない。


「あのー、ゴールデンウィークと剣道に、何か繋がりあるんですかー?」


 恐れ知らずの人鳥が二人に訊ねた。特に痺れないし憧れないけれど、助かったよ人鳥。

 ああ、と声をもらして、斑鳩さんが僕らに説明してくれた。


「俺の親父、根っからの陽キャだから、ここらに住んでる大抵の奴と仲いいんだよ。たとえば、草野球の監督とか、サッカークラブのコーチとか、剣道のコーチとかな。で、身体を動かせば腹は減り、うちは洋食屋をやっている。おまけに、お向かいさんがおにぎりの店。お互いに都合つけながら、そういう団体にサンドイッチやおにぎりの差し入れしてんだよ」


 ちなみにそれなりの金は頂いてるぜ、とのこと。


「だいたいはスポーツチームの関係者にブツ渡してんだけど、剣道だけな、人手が足りないとかで、今回差し入れスタッフが欲しいんだと。二人くらい欲しいらしいが、うちも仕込みなりなんなり仕事がある。二人いっぺんは無理だ。さてどうしたもんかと思ったら、都合の良さそうなバイトとガキがいるじゃねえか。どうだ? バイト代出すぞ?」

「日程に問題なければいいですよー。おれもバイトしてみたい」

「ゴールデンウィーク後半だ」

「なら大丈夫でーす」


 人鳥の初バイトがあっさり決まった。

 剣道か……少し気にはなる。なる、けれど。

 白熊さんに視線を向けたら、僕のことをじっと見ていた。無表情からは何も読み取れない。


「行きたい?」

「え?」

「行きたかったらいいよ。資料がてら、写真とか撮ってきてもらえると助かる。カメラも渡すから」

「……」


 白熊さんがそう言ってくれるなら、行ってみようか。

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