第30話 それでは授業を始めます


 予鈴が鳴り響く。休憩時間が終わりとなり、次の時限の開始を告げていた。

 5年の特進クラスの生徒は、各々好きなことをして過ごしていた。自席には戻らず、友人同士で話を弾ませている。

 それもそのはず、次の時間の講義は『魔導学』。

 実質、自由時間である。


 だが、そこで生徒たちは気付いた。このクラス屈指の問題児たちが大人しく席に着いたことに。

 レオナルト、グレン、アルバート、クリフォードは、自席で『魔導学』の教科書を準備している。周囲は怪訝な表情でそれを眺めた。

 レオナルトが前席のグループを睨み付ける。机の上に腰かけ、話を弾ませていた男子生徒だ。


「おい。予鈴鳴っただろ」


 彼らはぎょっとした表情で、机から飛び降りる。

「は、はいぃ!」「ローレンスくんに声かけられちゃった……」と赤くなりながら、生徒(男子)は席に戻った。


 教室の扉が開く。

 入って来た教師はあまりにも冴えない、よれよれの青年だった。ぜーはーと息を切らしている。

 また階段を登るだけで疲れきっているのかと、生徒たちは見下した視線をそちらに向ける。そこで彼らは目を見張った。

『魔導学』の教員リーベが、大きな箱を抱えてやって来たからだ。


「お……重かった~……」


 教壇の上に箱を置いて、リーベはふう、と息を吐いた。

 それから教室を見渡して、


「えーっと……」


 少し緊張してるのか、目を泳がせる。

 やがて覚悟を決めたように口を開いた。


「今日は、面白いものを持ってきました」


 などと言うものだから、1人、


「これ、見たことある人いるかな?」


 また1人と。

 興味を引かれて、教壇へと視線を寄せる。

 リーベが箱からとり出したのは、生徒たちにとっては馴染みのない代物だった。四角い箱で、中央にはレンズのようなものが付いている。


「旧式のカメラです。今みんなが持っている最新型の物は、こんなに小さいでしょ? でも、昔はこういうのを使っていたんだ。それで今日は……このカメラ、作ります」


 ――カメラを作る!?


 生徒たちはすっかりリーベのペースに呑まれていた。黙ってリーベに注目する。

 現在、若者の間では魔導カメラが大流行している。身近なアイテムをとりあげられて、彼らは興味を引かれた様子だった。


「魔導機関とは、古代魔術の魔術式を回路に組みこみ、星光石のエネルギーで起動するというものです。旧式のカメラは熱照射によって、紙に転写しているんだけど……さて、熱を作り出す魔術式、誰か書けるかな?」

「はい!」


 元気よく手を上げたのはアルバートだった。


「それじゃあアルバートくんに……」

「いや、おれは無理。グレンが書ける! ……はず!」

「はは、推薦とか、ずるすぎでしょ」


 クリフォードが艶やかに笑う。

 その声につられて、他の生徒たちも噴き出した。


「俺を巻きこむな」


 グレンはうんざりとした顔をしつつ、席を立つ。

 そして、黒板に式を記入した。綺麗な字体で書かれた式を確認して、リーベは頷いた。


「グレンくん、ありがとう。完璧です。この公式は教科書の147ページに載ってるからね。あと、アルバートくん、次からは推薦で手を上げるのは禁止」

「え!? ダメだったか~」


 アルバートが大げさに落胆すると、より大きな笑いが巻き起こる。


(問題児だって聞いていたけど、そんなことなかったね)


 リーベは彼らの顔を見渡した。


 レオナルト・ローレンス。

 聖剣の契約者。むこうみずなところはあるが、本当は優しい子。


 グレン・リトレ。

 ひねくれた優等生に見えて、友人のためなら自分のプライドを曲げられる強さを持った子。


 アルバート・ラクール。

 ダメ人間と化していたリーベのことを初めから認めて、信じてくれた子。


 クリフォード・ピール。

 悪童のような雰囲気に反して、友人のことを純粋に信じられる子。


 4人とも真っすぐで、優しい子たち――。


 リーベは先日の様子を思い出していた。

 ファブリスを倒した後、リーベはレオナルトを背負って戻った。

 寮の前では、3人が心配そうな顔で待っていた。

 レオナルトが無事ということがわかると、彼らは心底ほっとした様子を見せたのだった。


『リーベちゃんって、やっぱりおれの救世主だよ』


 アルバートにこっそりと耳打ちされた言葉が、忘れられない。

 授業終了のチャイムが鳴る。


「今日はここまで。続きは次回の授業でやります」


 リーベはそう告げて、教室を見渡す。生徒たちは熱心に話に聞き入って、板書をしていた。その顔付きは、今までとまるでちがう。キラキラと輝いているように見えた。

 その日、魔導学の授業で、別のことをしている生徒はただの1人もいなかった。

 これまでのリーベにとって、授業の時間は苦痛でしかなかった。早く終わってほしい……と、そればかり考えていたのだ。

 だけど、


(1時間、あっという間だったな。何だか、心があったかい)


 こういう感覚を、もう長らく忘れていた気がする。

 誰かに必要とされている充実感。自分の居場所が存在するという幸福感。

 それはあの日――テオドールが死んだ時、リーベが自ら投げ捨ててしまったものだ。

 こんなところでもう一度、見つけられるとは想像もしていなかった。


(心の傷がすべて癒えたわけじゃないけど……それでも)


 リュディヴェーヌ・ルースとしてでも、英雄としてでも、『古代魔術』を扱える希少な人材としてでもなくて。

 ただの1人の教員として、自身の存在価値があることにリーベは驚いていた。


(『魔導学』の担当教師。リーベ・バルテ。うん、悪くない)


 リーベはそう思いながら、黒板を消した。

 そして、教材を片付けようとして――教壇の上が空になっていることに気付く。


「あ、あれ?」

「先生」


 扉側から声をかけられる。

 レオナルトが箱を抱えて、こちらを振り返っていた。


「運んでくれるの? ありがとう。でもそれ、重いよ?」

「別に」


 すると、クリフォードたちがやって来て、


「レオが先生のお手伝いするとか、珍しいよね」

「というより、初じゃないか!?」

「今日は星が降りそうだな」

「うるせーな……」


 レオナルトに続いて、リーベは教室を出る。

 そして、心臓が口から飛び出そうになった。廊下でヴェルネが待ち構えていたのだ。


「バルテ先生」

「ひ、ヴェルネ先生……っ」


 ヴェルネは怖い顔でメガネを光らせる。リーベは天敵を見つけたネズミのように縮こまった。


「空き時間だったので、あなたの授業を見学しようと。とても驚きました」

「ど、どこか不備がありましたか……?」


 リーベは青ざめて、お伺いを立てる。ここはもう謝り倒すしかない! と、覚悟を決めていると。

 ヴェルネは顔付きをゆるめた。


「その逆ですよ。あなたもやればできるのね。とてもいい授業だったわ。これからもこの調子で頑張ってくださいね」

「え?」


 ヴェルネはそれだけを告げて、去っていく。リーベは唖然とした。

 アルバートが肩を叩いて、


「おー、やったな、リーベちゃん」


 その言葉で実感が染み渡る。

 今の彼女の台詞は、聞き違いではなかったのだと!


「ほ…………」


 その瞬間、リーベの頭はピンク一色になった。


(ヴェルネ先生に、褒められた――っ!?)


 光が踊っている。花びらも舞っている。

 知らなかった。クレマンス・ヴェルネに褒められただけでこんなに嬉しいなんて。


「今、僕、ヴェルネ先生に褒められたよ!? 見てた?」


 あまりのはしゃぎっぷりに、男子生徒たちは呆気にとられている。

 やがてグレンがぽつりと呟いた。


「よかったじゃないか」


 そのなげやりな返答に、


「くっ……」


 レオナルトが噴き出した。肩を震わせて、笑いの発作に悶えている。

 クリフォードとアルバートが驚愕して、


「レオがこんなに笑うところ、オレ、初めて見たよ……」

「おれも」

「レオは、ツボに入ると長いからな」


 グレンは1人、やれやれとしている。

 その時、背中から抱きつかれ、


「リーベせんせぇ……ふへ、会いに来ちゃった」

「ちょ、エリアスくん! 人のいるとこではやめて!?」


 リーベはエリアスを引きはがそうと必死だ。その瞬間、ぱしゃりという音が聞こえる。

 グレンがカメラを構えていた。


「淫行の証拠、入手した」

「え?」


 こちらに画面を向ける。リーベとエリアスの姿が写っている。エリアスを引きはがそうと肩に手を置いているところだ。

 ……見ようによっては抱き寄せているようにも見える。

 クリフォードが楽しそうに笑って、


「うわ、よく撮れてるじゃん! そうだ、これ、ヴェルネ先生に見せようよ」

「わー、だめだめだめっ! お願い、ヴェルネ先生だけはやめて~!」


 新任教師の悲痛な懇願と、男子生徒たちの楽しげな笑い声はしばらくやむことがないのだった。

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