ホシを追う子ども

 男たちは別々の方向に歩いて行ってしまった。

 シィナはカーゴパンツのエルフを標的に定め、尾行を始める。


「本当に、あのエルフたちは魔法薬の受け渡しをしていたんでしょうか?」


「今更うたぐってんの? だいたい、はじめにあのエルフが気になるって言いだしたのは新人クンのほうでしょ」


「あれはただ、なんとなく、気になっただけで……」


「そのが大事なの。いいか新人クン、一度でも怪しいと感じたら、そいつはもうクロだと思うべきだ。……ちなみにこれはマリアの受け売りだよ」



 レオンと会話しながらも、決して男から視線を外さない。

 真剣なまなざしである。


 人通りが多いところでは、距離を詰める。

 逆に人が少なければ距離をとる。

 相手を見失わないよう、でも相手の視界には入らないよう、つかず離れずの絶妙な間合いを保つ。


 シィナもまだマトリとして経験は浅いはずだが、尾行術は熟練のそれであった。



「コソコソするんじゃなくて、むしろ堂々と、自然体で歩くんだ。どっかどう見てもただの通行人ってカンジでさ」


 思えば、シィナから先輩らしい指導をうけるのは初めてだ。



「あいつ、あんまり挙動不審って様子じゃないね。違法薬物を所持してるってのに、ビクビクしちゃいない。こりゃ常習かにゃ?」


 怪しまれないよう、さりげなく男を観察するシィナ。

 レオンは彼女と足並みをそろえるのに必死で、そんなふうに男を観察する余裕はなかった。



 男は、徐々に中央繁華街から離れていた。


 ビル群を抜けて、閑静な住宅街へと入っていく。道も狭く、まわりに人がいないと、尾行がばれるリスクが上がってしまう。


 このままではジリ貧かもしれないと考えたシィナは、

「仕方ねーにゃ。もうここで強引に捕まえちゃおう」と言い出した。



「え? 強引に捕まえるって……」

「体当たり捜査ってやつだ。新人クンはここで待ってていいよ」


 シィナは、レオンを置いて駆け出してしまった。


 しかも、男を追うのではなく、まったく別方向の路地道に入っていくのだ。

 どうするつもりだろう。

 一人残されたレオンは、遠ざかってゆくエルフの背中をただ見つめることしかできなかった――……。



 ***



 シィナは、アスファルトの地面をスニーカーの靴裏で強く蹴りつけ、脱兎のごとく駆ける。


 ……いや、兎にたとえるのは適切ではないだろう。


 彼女はネコビトだ。

 その俊敏性は、ただ純然に猫の血によるものである。



 細い路地道に入る。このあたりは区画整理が行き届いていないため、裏路地が迷路のように複雑に入り組んでいた。

 薄暗く、人気のない細道を躊躇なく駆けていくシィナ。

 迷わず走れるのは、優れた土地勘があってこそ。


 ときおり塀に登ったり私有地をまたいだりしながら、あっという間にエルフの行く手に先回りした。

 ふつうの人間の足ではとても間に合っていなかっただろう。


 その交差点にはカーブミラーが設置されていた。

 幸いだ。自分の姿は映らないようにしつつ、相手の姿はしっかりと確認するシィナ。


 男がちょうど交差点に入るタイミングをうかがう。

 よしここだ、と見定め、勢いよく飛び出した。



「んにゃっ⁉」

「うおわっ」


 ぼすんっ。シィナは男の胸元に正面からぶつかった。

 不意打ちをくらった男は後ろに倒れ込んで、尻もちをつかされる。



って、そういうことか⁉)


 離れた位置からその様子を見ていたレオンは、心の中でツッコんだ。



「ごご、ごめんにゃっ⁉ 急いでたから、つい……! おにいさん、大丈夫⁉」

 シィナは切実そうな顔で男に駆け寄った。意外にも演技派である。


「こ、このクソガキ、いきなり飛び出てきやがって……」

「ごめんなさいっ、ケガしてない?」


「あン⁉ 別にケガしちゃいねえよ」

「ううんっ、思いっきりぶつかっちゃったもん、きっとどこかケガしちゃってるよね!」


 シィナは男を心配(するフリ)しながら、ケガはないかと体中をまさぐる。



「さ、触んじゃねえ‼」


 エルフの男は、べたべた触ってくる少女を煩わしそうに払いのけた。


 荒々しく舌打ちをして、すぐに歩き出そうとする。



「あれえ? コレはなにかにゃぁ?」



 エルフの背中に、少女のいじらしい声がかけられる。


 振り返ると、小さなポリ袋をひらひらと掲げている少女の姿があった。

 手で覆い隠せるような小さなサイズである。透明ではなくシックな黒色で、中身は見えない。



 エルフはハッとして、カーゴパンツのポケットを確認する。


 ポケットの中は空。

 間違いない、いま少女が手にしているそれは、自分がポケットに入れていたはずのモノだ。



「て、てめえッ、いつのまに……‼」



 傍目はためで見ていたレオンは、そこでようやくシィナの作戦を理解した。


 彼女は裏路地をまわってエルフに先回りしておいて、交差点から飛び出して衝突する。

 ケガがないか心配する振りをして体をまさぐり、男が怪しいモノを所持していないか確かめたのだ。

 そして見事に、ポケットの中から怪しいポリ袋を抜き取った。


 男本人も、傍目で見ていたレオンもまったく気づかなかった。

 まるで熟練のスリのような手つきである。



 シィナはポリ袋に鼻を押し付けるようにして、クンクンと鼻を利かせる。


「むむ。このツーンとしたにおいは……。おにいさん、コレ、魔法草だよね。こいつを呪紙に巻いて、煙草みたいにして吸うんでしょ」

「てめえまさか……マトリか⁉」


「そうだよ。子供だと思って油断したにゃ?」

「……くそッ、こんなガキに捕まってたまるかよ‼」


 エルフの男は、拳を握って少女に殴りかかった。

 ステゴロで充分。小柄な少女など殴り倒すのは容易い。

 そう考えたようだ。



「シ、シィナ先輩!」


 レオンは身を乗り出した。少女が男に暴行されそうな場面を見て、助けようとするのはふつうのことだろう。


 だが、いらぬ心配だった。

 シィナはふつうの少女ではないのだ。



 彼女は、エルフ青年の渾身の右ストレートをひょいと躱してみせる。

 さらにその腕をつかんで、ぐいっと引きこんだ。


 男はバランスを崩して前方によろける。前のめりになった顔面にむけて、シィナのとび膝蹴りが炸裂した。

 見事なカウンターである。


 十字路の角に設置されたカーブミラーに、その姿が映る。


 鼻っ柱に少女の膝蹴りを受けてのけぞる男。

 丸みに沿って歪曲されたその姿は、男の無様さを強調しているかのよう。鼻血で円の軌道を描きつつ、地面に倒れこんだ。




「す、すごいですね、シィナ先輩……」

「あたしはネコビトの能力者だもん。こんなザコエルフ相手、どうってことないよ」


「たしかに身体能力もすごかったですが……。それより目を引いたのは、この男のポケットから魔法薬を抜きとったことでした。

事故を装いながら証拠品を確保するのは見事としか……。驚きました、まるで熟練のスリのような手捌てさばきでしたから」


「うん、そうだよ。あたし、スリやってたんだ」

「…………え?」


「言ったでしょ、あたし、マトリになる前はスラムで暮らしてたって。スリとか盗みとかやって、生活してたの。

腕には自信があったね。〝泥棒猫〟とか呼ばれててさ、その辺一帯じゃあ有名だったんだよ」


「…………」

 まさか本物のスリだったとは思わず、レオンは言葉を失ってしまう。



 でも、よくよく考えれば納得もいった。

 幼い少女がスラム街で生きていくには、スリや盗みに手を出すほかないだろう。



〝泥棒猫〟……ひっそりとターゲットに近づき、通りざま、気付かれぬよう財布や金目のモノをスリとる。


 仮に気付かれても、ネコビトの俊足には追いつけない。


「待て」「返せ」と喚く被害者をしり目に、悠々と走り去る猫少女の姿が、容易に目に浮かんだ……。



「あたしは凄腕スリのネコビト能力者として、スラム近辺に名を轟かせてたんだ。その評判を聞きつけた当局が、スカウトにやってきたのさ」


「悪評の間違いでは」


「どんな能力でも、マトリの捜査には役立つもんだよ。マリアはそれをよく分かってるからね。だから、あたしをマトリにスカウトしたってわけ」


 レオンは魔法薬取締局の採用基準について思い出した。


 当局は、真正の能力者のみを採用する。

 逆に、それ以外は不問だ。

 種族も年齢も問われないし、ときには前科者でさえ取り入れるという……。


 シィナはまだ十三歳なので、前科がついているわけではないだろうが、スリや窃盗は立派な犯罪だ。


 彼女は罪を犯した過去がある。


 それでも関係ない。魔法薬取締局長官マリア・セレスタは、泥棒猫の少女をスカウトしたのだ。



 実際に、今、シィナはこうして違反者を捕まえた。

 ネコビトとしての能力を、盗みのためにつかうのではなく、公共公安のために使うことができている。

 マリアの采配は正しい。



「それが、魔法薬ですか……?」


 シィナが持っていた黒いポリ袋を指差して、レオンが尋ねる。

 魔法草を小分けにして入れた小さな袋、いわゆるパケというやつだ。


「そうだね。ホントは試験薬で確かめなきゃいけないけど、においを嗅げば分かるよ。新人クンもどう? わかるにゃ?」


「……うっ、な、なんか鼻にツンをくるような……」


 シィナが持っているポリ袋から、鼻の奥をつつかれるような不快なにおいがした。



「この距離でもにおいがわかる?」

「俺は人狼ですから、ヒトよりも鼻が利くんです」


「へえ、そうなんだ。……なんだよ新人クン、ちゃんと能力あるんじゃんか」

「え?」


「てっきり、狼に変身することだけが人狼の能力かと思ってたけどさ。ほかにも能力あるんじゃん? 鼻が利くってのは、きっとマトリの捜査に役立つにゃ」


 シィナにそう言われて、レオンはハッとした。


 たしかに、この嗅覚も人狼としての能力の一つなのだ。


 鼻が利くのは、自分にとっては当たり前のことだったので、それが特別だとは意識していなかった。


 なるほど自分の特性というのは、自分自身では気付きにくいものである。

 ……それこそ、自分のにおいが自分には分からないように。



『どんな能力でも、マトリの捜査には役立つもんだよ』――たった今シィナが言った言葉が胸に響く。


 自分は無能だと思っていたが、決してそんなことはない。


 能力を使えないレオンのことも、マリアは快く採用してくれた。

 その采配は、やはり正しかったようだ。



 身柄の連行は警察局に任せられる。レオンが無線で連絡して、ここで警察の到着を待つことに。


「……正直、信じられません。ただエルフの男が中央公園の東トイレに入っていくのを見たというだけで、こうして魔法薬所持犯の検挙につながってしまうなんて」


「まあね。巡り回って、検挙につながる。それがってモンだにゃ」


 小気味よい笑みを浮かべながら、シィナはポケットに手を入れた。

 取り出したのは、尾行するために外していた鈴のピアス。

 それを、慣れた手つきでふたたび尻尾の穴に通す。


 ちりん、と小気味よい音が路地に響いた。

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