第2話 成

 大切な彼女が亡くなった高校一年生の夏休み。


 俺は、学校に行かなければならない九月の頭まで、ほぼずっと自室に籠りきりだった。


 一日中ベッドの上で横になり、カーテンも閉め切って、虚空を眺め続ける。


 それは、常人からしてみれば、何の悲しみにも暮れないで済んでいる人からしてみれば、異常だとしか思えないことだろう。


 でも、当時の俺には、そうすることしかできなかった。


 それが行動の最適解だったんだ。


 それ以上のことをしようとしても、体が動かない。


 無理やり動かそうとすると、少しのことで揺れる水面のように、感情が溢れ出る。


 涙が止まらない。


 でも、やっぱり俺だって人間だ。


 動かないのを続けていると、どこかでもう一人の自分みたいな存在が言ってくる。




『少しのことでいいから、また歩き出してみようよ』




 どう歩き出せばいい? もう、隣でいつも手を繋いでくれていた人がいなくなったのに。




『簡単さ。君がまた歩き出せるように、彼女の幻影へ寄り添えばいい』




 幻影?




『うん。だって、どうせ泣くんだ。だったら、せめて忘れないようにしとかないか?』




 忘れないように。




『彼女のこと、一から』




 以降、俺は彼にアドバイスされるがまま、夏休みが終わるその日まで、部屋の中で虚空を見つめ続け、その合間にアルバムを読み漁った。


 奈桐の人生を一から全部忘れないように。


 自分の中に留めておけるように。









 ――だから。










「な……きり……?」


 舌足らずで、まだ完成しきっていない幼い声。


 そんな声で、俺と母さんへ自分の名前を教えてくれた小さな女の子。


 藤堂凪。


 きっとその名前に偽りは無くて、認識を誤っているのは俺の方で。


 けれど、女の子の姿は、俺が亡くした大切な彼女の幼い時とあまりにも似過ぎていた。


 体が震え、声も震える。


 体を硬直させながらも、冷静じゃなくなってるのは、きっと母さんにも、芳樹さんにも伝わっていたんだと思う。


 体調を伺うように、芳樹さんが俺の方へ歩み寄り、案じてきた。


「な、成君……? どうか……したかな?」


 ハッとする。


 ハッとするが、それでも俺は状況に合った言葉を返すことができず、無言のまま幼子のように下を向いてしまった。


 隣から頭を叩かれる。


 母さんだ。


「ごめんなさい。この子、昨日の夜は大学の飲み会があって、二日酔いが冷めてないみたいなの。起きたのも今さっきだし、寝ぼけてるのよ、完全に」


 いつもと変わらず、明るく笑いながら言ってくれる。


 そのおかげで、芳樹さんも安心したようだった。


 母さんと一緒に笑みを浮かべ、


「あははっ。そうかそうか。飲み会かぁ。なるほど」


「恰好だけはちゃんとさせたんだけどね。どうも頭の方がまだ寝ちゃってるみたいだ。がっかりしたんじゃない? こんなのが新しい息子になるって」


「いやいやぁ、そんな。だって四月だし、始まりの季節だもんな。新歓の飲みだったり? 成君?」


 にこやかな芳樹さんに問われ、俺はなんとか頷き、言葉を返す。


「まさにです」と。


 彼は楽し気に笑うのだが、俺の視線は芳樹さんからすぐに奈桐、いや、凪ちゃんの方へ向かう。


 すると、まあギョッとしてしまった。


 凪ちゃんはジーッと俺の方を見つめ、一度だって目線を逸らそうとしない。


 俺は、幼女相手だってのに、反射的に目を逸らしてしまった。


 仕方ない。


 だって、あの奈桐にそっくりなんだから。


 てか、何でこんなにジッと見てくるんだ……!?


 一応、目の色の感じからして怖がってるとか、警戒してるとか、そういう雰囲気ではないんだけども……!


「まあ、こんなところで立ち話も何よ。中に入って? 美味しいお茶とお菓子も用意してるから」


「おっ。いいですねぇ。凪、美味しいお菓子があるってよ」


 足元にくっついてる凪ちゃんの頭を撫でながら、芳樹さんは言う。


 母さんもしゃがみ込み、目線を凪ちゃんに合わせたうえで語り掛けた。


「凪ちゃん。何でもたーくさんあるからね~? お家の中入って、一緒にお菓子食べよっか」


 いやいや、これは……。


 四歳の女の子だ。


 これから母親になるとはいえ、初めて見たおばさんからそんなにグイグイ来られたら絶対警戒されること間違いな――


「――ぅえっ……!?」


 つい頓狂な声を一人で出してしまった。


 というのも、言うまでもなくびっくりしてしまったから。


 なんと凪ちゃん、いかにも人見知りな子って感じなのに、お菓子で釣ろうとしてる母さんの元へ近寄り、いきなり抱き着いた。


 声に出してはいなかったけど、芳樹さんは驚きのご様子。


 目を丸くさせてる。


 でも、反対に母さんはびっくりしながらも、すぐに愛おしそうな表情で凪ちゃんの頭を撫でてあげていた。


「……食べる」


「色々あるからねぇ。凪ちゃんの好きなもの、これからたくさん教えて欲しいなぁ」


「凪……ばあむくーへん……すき。いちごのやつ」


「おぉっ。いちごのやつね。ちょうどあるから、食べよっか?」


「うんっ」


 いちご。


 それは、奈桐も好きだった果物だ。


 やっぱり、何から何まで似てるんだな。


 立ち尽くした状態で、抱き合う母さんと凪ちゃんを見つめながら、そんなことを考える。


 芳樹さんはどうも二人が仲良さげにしてるところを見て感動したようで、目を潤ませながら鼻を啜っていた。


 その気持ち、わかります。俺に娘なんて存在はいないけれど。


「……っ」


 そんな折だ。


 はた、と。また凪ちゃんは俺の方を見つめてきた。


 ジッと。何か言いたげに。けれど、それを口に出せないような、微妙な表情を作って。


「……?」


 俺も、凪ちゃんへは言葉にして「どうしたの?」と問いかけることができない。


 ただ、軽く首を傾げてみせるだけだった。


 でも、それはそれで充分だったらしい。


 幼い彼女はにこりと、心の底から幸せそうに微笑んで、




「成」




 一言。


 俺の下の名前を呼んだ。


 その瞬間、自分の中の止まっていた何かがまた動き出したような気がして、俺は――


「こ、こらっ、凪! 『成お兄ちゃん』でしょ! 呼び捨てはめっ、だぞ!」

「あははっ! いいよいいよ! 呼び捨てで! 母親のアタシが許すから! ねぇ、凪ちゃん?」

「で、でも、晴美さん!? 凪はまだ四歳で、こんな小さい頃から年上の人を呼び捨てにするだなんて、そんなこと――」

「いいのいいの。うちの息子は尊厳なんて皆無だし、それこそ――」


 芳樹さんと母さん。


 二人の視線が俺に集まり、ギョッとする。


 凪ちゃんは、あの頃の君みたいに、イタズラにクスッと笑っていた。


 俺は――




「「ど、どうしたの成(君)!?」」




 一人でぼたぼたと大粒の涙を流していた。


 突っ立ったまま、笑みを浮かべて。










【作者コメ】ちと、引っ越し&会社の研修がしばらく続くので、もしかすると更新空くかもしれません。でも、たぶんそうは言っても書きます。一応、把握しておいて欲しいということで、一つお願いします。

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