第18話 勇者じゃないからできること 後編

 フィルが目を覚ますと霧の立ち込める森の中に立っていた。どうやら魔王城の傍の森の中らしい。


 「ここが魔王の夢の中?」


 そう分かっていなければ夢の中だと気付かなかっただろう。それぐらいさっきまでいた魔王城の外の森と様子が全く変わらない。フィルが戸惑っていると、どこからともなく小夜啼き鳥が飛んで来て美しい声で歌った。フィルが見ていると小夜啼き鳥は森の外へ導くように飛んでいった。


 フィルは迷わず小夜啼き鳥を追いかけた。この世界のどこかに魔王がいるはずだ。あまりぐずぐずもしていられない。夢の世界にいすぎると戻れなくなると妖精の王は言っていた。


 小夜啼き鳥は魔王のもとへフィルをつれて行ってくれようとしているのかもしれない。フィルは小夜啼き鳥を追って森を抜けた。


 空には朝日が昇りかけていた。まだ、現実世界は夜だったから、こちらの方が時間の進みが早い。朝焼けが夜明けの空を茜色に染める。思わぬ美しい光景にフィルは立ち止まった。


 その朝焼けの空を眺めている若者がいた。腰に光の剣をさし、鎧を着こんだ若者をフィルは見たことがあった。


 「勇者さん?」


 そこにいたのは伝承の勇者本人だった。自分の宿にあるタペストリーに描かれた姿とそっくりだ。勇者はフィルに呼ばれて振り向いた。


 「あれ、どこかで会ったっけ」


 フィルは何と言っていいか分からなかった。勇者は歴史上の偉人なのでフィルは一方的に彼のことを知っているが、どう説明していいか分からない。なぜ勇者が魔王の夢の中にいるのだろう。


 「さっきまで王宮で眠っていたから夢だと思うんだけど」


 聞くと勇者は魔王を封印し、王宮で報告した後だという。その話を聞く限り数百年前の勇者の夢とつながっているようだ。不思議なこともあるものだ。もしかすると小夜啼き鳥の歌の力だろうか。


 「わたしはフィルって言います。勇者さんの末裔なんですけど…」


 フィルは自分が勇者から見て数百年後の世界を生きていることを説明した。


 「そんなふうになっているんだ。もしかして魔王の封印は解けた?」

 「解けかけて分身の姿で復活したんです。でも、なんだか思ったより悪い人じゃなくて」


 フィルは闇の魔物を操る青年に魔王城が乗っ取られたことから今までの経緯について勇者に話した。


 「魔王、今と変わらないなあ。それより本当に悪い奴が出てきたか。それは考えていなかった」


 勇者は想像しているよりもずっと気さくだった。フィルの村にいる若者たちと似ている。もしかしたら夢の中なので思っていることを気軽に話してくれているのかもしれない。


 魔王が月影の民の最後の一人だという話に勇者は少し寂しそうな目をした。


 「そうか。魔王も一人だったんだ。おれと同じだ」

 「そうなんですか?」


 それは意外だった。勇者として多くの人に囲まれ慕われていると思っていたから。


 「おれは騎士になりたくて剣の道に入った。そうしたら強くなりすぎたみたいで。剣の試合に勝つたびに周りと疎遠になった。みんな怖がって、おれを遠巻きに見るようになった。単に修行して強くなっただけなのに」


 彼はそれに嫌気がさして剣の修行をやめて故郷に帰った。そこに魔王を討伐する勇者を募る国王からのお触れがあった。


 「誰もやりたがらなかったけど、面白そうだと思った。あの頃から魔王は世界を支配するって言っていたけど何もしてなかった」


 魔王は今とやっていたことは何も変わらないんだとフィルはほほ笑んだ。


 「調べてみて魔王の部下も魔王も世界を支配する気なんてないって分かった。何もしてないのに倒す訳にもいかないから封印した。部下たちもみんな眠らせたよ」


 魔王は魔王城で勇者を待っていたが、魔王の部下たちは勇者の道中に現れて魔王城へ行かせないようにしたらしい。そのことは魔王には黙っていた。魔王に心配をかけないように。勇者はその部下たちを傷つけないように、軽く眠らせたのだと言う。


 「びっくりしたのは魔王が剣の達人だったってこと。初めて本気で戦ったよ」

 「魔王もそう言っていました。あんなに楽しい剣の手合わせは初めてだったって。今でも懐かしそうに話すんです」

 「それなら良かった。おれは魔王と戦って考えが変わった。おれより剣の強い人やおれが強くても怖がらない人は世界中を探せばいるんじゃないかって。だから、これからは友達探しの旅に出るつもりだよ」


 フィルは驚いた。勇者は魔王と戦ったことで孤独ではなくなる道を見つけたのだ。


 「君はこれからどうするつもり?」


 いきなり質問されたのでフィルは居ずまいを正した。


 「魔王を助けに行きます。魔王はわたしの大切な友達だから」


 一気にそう答えた。妖精の王に答えた時よりもドキドキする。勇者本人にこんなことを言うのはおかしいかもしれない。


 「そっか。初めに魔王の前に現れたのが君でよかった」


 あまりにも意外な反応だったのでフィルは戸惑った。


 「でも、わたしは本当に勇者さんの末裔かも自分では分からないんです。魔王はわたしが勇者さんと似ているから末裔だって言うんですけど。でも、勇者さんの末裔として勇者になったわけでもないんです。この国に大勢いる勇者の末裔って言われているうちの一人っていうだけなんです」

 「勇者にしかできないことは、もちろんあるよ。でも、勇者じゃないからできることがあるはずだと思う」


 勇者は妖精の王に言った言葉を繰り返した。


 「おれは勇者になったから魔王と対峙しなければならなくなった。それが勇者の役目だから。でも、勇者ではない君ならもっと多くの自由な選択をすることができるはずだよ」

 「自由な選択…」


 フィルははからずも魔王と友達になることを選んだ。自然な成り行きで共に行動するうちに大切な友達になっていた。そして、今は魔王を助けようとしている。


 心のどこかで、それでいいのかなと思っていた。勇者の末裔と魔王が友達というのはおかしいんじゃないかと悩んでいた。


 でも、魔王と友達になって良かったのかもしれない。少なくとも自分は勇者ではないから、魔王と友達になることを選択できたのかもしれない。


 「勇者じゃないからできることがあるってことですね」

 「そう思うよ」

 「勇者さん。魔王は今、どこにいますか?」

 「魔王城じゃないかな。おれが来るのを待っている気がする」


 どうやらこの夢は勇者と魔王が初めて戦った数百年前の状況が反映されているらしい。魔王も数百年前と勘違いしているかもしれない。


 「おれはそろそろこの夢から醒めると思う。この夢のことも覚えていないかもしれない。夢ってそういうものだろう」


 それは少し残念な気もした。でも、それでいいのかもしれない。去り際に勇者は光の剣の使い方を教えてくれた。


 「強く日の光の力を貸してほしいと念じて剣を掲げるんだ。そうすれば必ず君の力になってくれる」


 それだけ言うと勇者は去って行った。


 フィルは魔王城の方を振り返った。この道をまっすぐ進めば門のところへ着く。


 フィルは門のところまで走って行くと門は勝手に開いた。入り口の扉を押すと思いのほか、簡単に中へ入ることができた。


 魔王城の中は静まり返っていた。夢の中に入る前も魔王城にいたのだが、あの時はゆっくり周りを見渡す余裕がなかった。歩き回って分かったのはリシャールが言っていたように、そこまで広くないしトラップもないことだった。魔王の住む城にしては何の変哲もない普通の小さな城だ。不気味さも不穏さもおどろおどろしさもない。逆に王宮のような豪勢さもない。


 やがて玉座の間に着いた。フィルは深呼吸すると、思いきって玉座の間の大きな扉を開け放った。

 一段高くなった場所にある玉座に魔王が闇の剣を手に腰かけていた。そんな姿を見たことがなかったのでフィルは緊張した。


 「よく来たな、勇者よ。私を倒しに来たか」


 フィルのことを勇者だと思っているらしい。やはり数百年前の時代と勘違いしているのだ。フィルは自分だと分かってほしくて懸命に話しかけた。


 「わたし、フィルだよ。勇者の末裔の。わたしは魔王を迎えに来たの。魔王と約束したから。一緒に帰ろう」


 そう言うとフィルはじっと魔王を見つめた。魔王はフィルの言葉を聞くと驚いて玉座から立ち上がった。


 「お前、勇者の末裔か!」


 そう気づくと魔王はあっという間に玉座から駆け下りてフィルの目の前まで来た。いつもの魔王だとフィルは思った。そう思うと心の底から安心した。


 「こんな所まで、よく来たな」

 「だって、魔王城で待っているって言ってたから」


 フィルは涙が出そうになるのをこらえた。安心するのはまだ早い。早くここから出ないといけない。


 「ここは魔王の夢の中なの。早く出ないと閉じ込められちゃう」


 フィルがそう言うと魔王はうなずいた。


 「そういうことなら、こっちだ」


 魔王は今の状況を察したようだった。魔王城の外へ向かって迷わず走り出した。


 「出口を知っているの?」

 「私の夢の中だからな。勘で分かる! 私に任せろ」


 フィルはいつもの魔王の言い方に脱力しそうになった。本当に出口が分かっているわけではなさそうだ。でも、なぜか魔王となら必ずここから脱出できると思えた。


 魔王城の外へ出て隣町の方へ魔王は歩いて行く。夢のせいか隣町は見えず街道だけが続いている。

 二人が歩いていると、どこからともなく小夜啼き鳥が現れて先導するように飛んで行った。フィルと魔王は小夜啼き鳥について行くことにした。


 二人で歩き続けると、急に辺りの景色が見えない真っ暗な空間に入った。フィルはさすがに足がすくんだ。


 「間に合わなかったのかな…」

 「いや、違う。あっちに出口が見える」


 魔王がそう言った先に小さな光が見えた。小夜啼き鳥の歌声が光の方へ向かっていく。フィルはひたすら光の方へ向かって歩いた。魔王ももちろん一緒だ。ここを二人で出れば魔王は本当に目を覚ますはずだ。


 フィルが歩いて行くと出口の光がひときわ強くなった。目を開けていられない。フィルは思わず目をつぶった。







 次に目を開けると魔王城の中庭だった。夢の世界から帰って来たのだ。魔王はどうなったのだろう。フィルは木の方に視線を移した。


 「さすがに数百年は眠りすぎたな」


 木にもたれかかって眠っていたはずの魔王が立ち上がっていた。木の下にあった魔法陣は効果を失って消えていた。


 魔王とフィルの目が合った。


 魔王が本当に目を覚ましたのだ。そう思うとフィルはいてもたってもいられなくなった。フィルは思わず魔王のもとへ駆け寄って彼を抱きしめた。


 フィルはもう涙をこらえることができなかった。せきを切ったように涙があふれて止まらなかった。


 「そんなにつらかったのか。私のせいか…?」


 魔王は困惑したように震える声でそう言った。


 「だって…魔王が急にいなくなるなんて思ってなかったから。分身が消えるだけって言ってたけど、もし、もう会えなくなったらって思ったら怖くて」


 後は言葉にならなかった。


 「魔王が戻ってきてくれて、本当に良かった」


 フィルはただそれだけ言った。それはフィルの心からの言葉だった。


 魔王はフィルの頭を優しくなでた。


 「お前は優しいやつだなあ」


 そう言いながら魔王の目からも一筋、涙がほおを伝ってこぼれ落ちた。そんなふうに心から心配されて魔王は胸がいっぱいになった。彼がこぼした涙は暖かい涙だった。


 フィルと魔王の足元には金色の月見の花が祝うように咲き誇っていた。


 あまりにも穏やかで優しい魔王の復活の場面を魔王軍の面々と月見の花だけが見守っていた。

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