1-3 清志郎『くん』ファンクラブ

「こちら受付ですー……え、ファンクラブに入らずにチケットが欲しい?」


 放課後、千妃路はさっそく清志郎ファンクラブの偵察にやってきた。あわよくば話しかけチケットも得ようという算段である。

 ファンクラブの活動場所は多目的室となっており、他に使用予定のない日にファンクラブの活動が行われているらしい。もっとも、受付だけは多目的室前にタープテントが張られる形で常設されている。許可などは取れているのだろうか。


「ええ、是非お願いしますわ。ファンだなんて、ヒーローに対するヒロインのポジションではありませんもの」


 偵察、とは言ったものの、千妃路はファンクラブに入る気なんてさらさらなかった。

 ヒロインになるために清志郎をヒーローにしたい千妃路にとって、清志郎のファンになることは本末転倒。目的から距離が離れてしまうというものだ。

 そこは譲りたくない一心でたずねてみると、受付の女子は明朗快活に回答した。


「それなら一般応募になりまーす。ファンクラブ枠に比べて抽選が厳しいけど」

「一般? わたくし、モブになるつもりはなくってよ」

「じゃあ無理ですー。お帰りくださーい」

「お、お待ちなさい!」


 朗らかな笑顔で受付終了を告げられて、慌てながら待ったをかける千妃路。


「チケットは仕方ないとして、ファンクラブの見学は可能なのかしら!?」

「見学ですかー? えーと、そんなこと今までなかったからなぁ……?」


 多かれ少なかれ興味があるからファンクラブに訪れるのであって、見学をしたいという申し出は前例がなかったのだろう。

 受付の女子が困り果てていると、部屋の扉がガラッと開いた。


「やはり、あなたの声でしたか」

「あら、副会長さん! と、そちらの方は……?」


 受付が騒がしくなったので気にかけていたのだろう。秋川が既に怪訝そうな瞳を千妃路に向けている。

 その隣には見覚えのない女子生徒が立っており、リボンの色から三年生であることがわかる。

 千妃路の通う私立綾野原学園では、学年ごとにネクタイやリボンなどの色が異なっている。学年カラーは毎年ローテーションで変わり、今年は一年生から順に緑・青・赤である。


「わたしは三年一組、藤堂春子(とうどうはるこ)。倉馬清志郎くんファンクラブの会長よ」

「わたくしは二年二組、華鳳院千妃路。中学の演劇部では部長を務めておりましたわ!」


 思わず肩書きで張り合ってしまった千妃路だったが、いかんせん実績が古い。幸いなことに誰にもツッコミを入れられずにスルーされたので、千妃路は気を取り直して春子にたずねる。


「藤堂さん。実はわたくし、倉馬清志郎ファンクラブに興味が――――」

「清志郎『くん』ファンクラブよ、間違えないように」

「え? 何がどう違いますの……?」


 千妃路が思わず呟くと、ピキッと春子のこめかみに青筋が立った。それでも春子はにこやかな表情を損なうことなく、怒りを抑えるように低い声で言った。


「休み時間のトラブルの一件は報告を受けているわ……迷惑をかけたお詫びに、倉馬清志郎くんファンクラブの理念と由来を会長であるわたし自らが説明してあげる」

「え、いらな」

「『くん』呼びで統一されるまでに至る歴史の重みを知れば、あなたは二度と清志郎くんを呼び捨てになどできないわ!」

「クラブ名だから敬称を省略しただけで、普段は倉馬くんとお呼びしていますわよ!」


 千妃路がはっきりと言い返すと、春子はきょとんとした顔で秋川のほうを向いて「ほんとう?」「本当です」と短いやり取りを交わす。


「失礼したわ、見学の段階で話すには重たい情報量になるから、興味があればいつでも聞いてね」

「あ、ありがとうございます」


 千妃路はうかつに虎の尾を踏むような真似はしないと誓った。

 春子に案内される形で室内へと踏み込んだ千妃路は、ファンクラブの活動を初めて目の当たりにした。想像していたよりも落ち着いており、会員たちは書き物や会話に勤しんでいる。


「あれはどういった活動をしていますの?」

「定期的な意見交換会や会報誌作り、要はただのお喋りと情報共有よ。会報誌は隔週で発行しているけど内容は検閲済みだし、過剰にプライベートな情報は掲載されないわ」

「徹底していますのね……さすがに私物オークションとか、隠し撮り写真の交換みたいなことはされないのね」


 少女マンガから得ている偏った知識を千妃路が口走ると、春子が青ざめた形相で真っ向から否定する。


「とんでもない! そういうことが起こらないように発足されたのがファンクラブよ! 日々、健全に清志郎くんへの情欲を発散させることで、未然に事故を防ぐのが設立目的の一つなんだから!」


 情欲が生じている時点で健全なのかという疑問はあるが、その発想自体は間違ったものではないといえる。


「あなたが立ち上げたんですの?」

「立ち上げメンバーの一人であることは確かだけど、わたし一人だけの力ではないわね」

「藤堂会長がいなければ学園の女子たちがファンクラブという形でまとまることは不可能だったでしょう」

「秋川さんも規則作りで貢献してくれたじゃない。感謝しているわよ」


 春子に褒められた秋川は照れくさそうにはにかんだ。慕われていることは確かなようだし、カリスマ性も感じられる。

 千妃路はファンクラブに抱いていたはずの不信感がなくなっていることに気付いた。清志郎に対する思いが人一倍強いだけで、悪い人たちではない。

 誠心誠意、心を尽くして千妃路の目指しているところの意図を話せばわかってくれるのではないだろうか。


「藤堂さんに折り入ってお話がございますの。わたくしが倉馬くんに近づいた理由についてですわ」

「トラブルになった発端ね、聞かせていただくわ」


 千妃路はヒロインになるために清志郎にヒーローになってほしいという計画をなるべくわかりやすく話した。

 春子と秋川は口を挟むことなく話を聞き通したが、その表情は明快なものとは言えなかった。


「ええと、つまり……え、華鳳院さんは清志郎くんとお付き合いがしたいの? ヒロインになるために?」

「お付き合いというと語弊がありますわ。ファンクラブ的にもそれは認めがたいでしょうし、ヒロインとヒーローの関係性だけ成立していればオーケーですの!」

「ますますわからないわ……」


 頭を抱える春子を心配そうに見つめながら、なんとか内容を噛み砕こうと苦悩する秋川が言葉を絞り出す。


「理屈はよくわかりませんが、華鳳院さんは清志郎くんをヒーローとすることで、自身もヒロインの立場を確立できるとお考えなのでしょうか……?」

「ずばり! それですわ!」


 ようやく考えを言語化してくれる人物に出会えたことに感動し、秋川に飛びつかんという勢いで迫る千妃路。

 怯みながらも毅然と拒否の姿勢を取り、秋川はそのクールな表情に少しばかりの嫌悪感を滲ませた。


「言語道断です。せめて真剣なお付き合いがしたいだとか、恋愛感情から二人になりたいとかなら理解もできますが、ビジネスライクな気持ちで清志郎くんを専有したいというのは認められません。ですよね、会長?」

「え、えぇ……もちろんだわ!」


 秋川に同意を求められた春子は堂々とした態度で千妃路に立ちふさがる。どうやら理解しがたいヒロイン理論を考えることは一旦放棄したらしい。

 一方、千妃路としては納得がいかない。ファンクラブを気遣い、恋愛感情を抜きにした関係性を築きたいと言っているのに、何故認められないというのか。


「なんでですの!? わたくしが倉馬くんを男性として好いているほうが不都合ではありませんの!?」

「それはそれで認められませんが、百歩譲っても清志郎くんを己の立場のために利用したいなんて話を認められるはずがないでしょう!」

「な、な、なっ……!?」


 秋川の高い言語化能力が鋭いナイフとなり、千妃路に突き刺さる。

 まさしく正論を吐く秋川に対して千妃路は返す言葉もない。千妃路の脳内では成立していたはずの正当な作戦が酷く悪辣なもののように思えてくる。


「そ、それじゃあ、ヒロインになるために倉馬くんのことを本気で好きになれと仰いますの!?」


 無理を承知でファンクラブの地雷ともいえる発言をする千妃路だったが、春子はあくまで冷静に、それでいて凄味を含ませた声色で返した。


「そんなのわたしが会長の座にいるあいだは許さないわ。華鳳院さんはこの学園を戦国時代に戻したいの?」

「まさか! そんなことありませんわ!」


 大げさな身振りで危険思想を全否定する千妃路。その様子を見た春子は満足そうな笑みを浮かべて忠告する。


「それならわけのわからない目的で清志郎くんに近づくことはやめておくことね。学園と清志郎くんの平和と安寧こそがファンクラブの目的、それを邪魔するものは……」

「よぉーっく、わかりましたわ! ……ですが!」


 千妃路とて不用意に波風を立てるようなことは避けたい。

 しかし、ヒロインになることをお遊びのように語ることだけは聞き捨てならないと、己のプライドをかけて叫んだ。


「ヒロインになることはわけのわからないことではありませんわ!」

「……秋川さん。華鳳院さんにアレを用意してあげて。全部よ」

「え? 全部ですか?」

「全部よ」


 千妃路の真剣な思いをどれほど受け止めたのかは知らないが、春子は秋川に何かを持ってくるように指示をする。

 やがて秋川が抱えるようにして持ってきたのは、記名も何もない段ボール箱だった。ドスンと音を立てて千妃路の前に置かれる。


「わたしからのプレゼントよ、倉馬清志郎くんファンクラブの会報誌よ」

「え? ……重っ! なんですのこれ、辞書!?」

「だから会報誌よ、現在に至るまで発行されたすべてのね」


 とりあえず持ち上げようとした千妃路は、あまりの重さに悲鳴を上げる。春子は腕を組みながら感慨深そうに目を伏せる。


「それがファンクラブの重みよ、華鳳院さん。わたしにあなたのヒロイン願望を納得させたいというのなら、まずはそれを読破してから一昨日来ることね」

「……わかりましたわ」


 千妃路は重量感のあるファンクラブ会報誌全集を土産に部屋をあとにすることとなった。偵察はものの見事に失敗。こてんぱんにやられたと言っていいだろう。

 並大抵の者ならば千妃路のヒロイン観に気おされて戦意喪失するのだが、さすがにファンクラブの会長ともなれば一筋縄ではいかなかった。

 腕がつりそうなほど重い段ボール箱をひとまず置いて、千妃路は悔しげに溜息をついた。


「……あそこで無理というわけにはいきませんわ。お互い、主張が譲れないことは同じですもの」


 千妃路のヒロインになるという覚悟は嘘ではない。ここで退いてはヒロインが廃る。


「戦国時代? 上等ですわ、時代は令和ですのよ……情報を制した者が勝つのですわ!」


 千妃路はフンっと気合を入れて段ボール箱を持ち上げた。


「見ていなさい、藤堂春子! 倉馬清志郎くんファンクラブは、このわたくしが制圧してさしあげますわー! …………おっとと」

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