わたくしのヒーローになりなさい!

にのち

ヒーローは王子さま

1-1 絶対ヒロイン宣言

 華鳳院千妃路(かほういんちひろ)は、ヒロインを目指して日々奮闘している。


「ひほく……むぐっ、遅刻ですわぁー!」


 食パンをくわえて曲がり角を全力で走る千妃路は、今日も華麗なコーナリングを邪魔されることなく決めた。

 静まり返った朝の通学路に「ですわ」の木霊が響き、ちゅんちゅんと鳥がさえずっている。

 伸ばしても撫でつけても取れない癖っ毛の先っぽをくるくると巻きながら、千妃路は不満気に唸る。


「……むぐぅ、もぐもぐ」


 頑張りも虚しく本日もまた空振り。誰もいない朝の通学路で、残ったパンを口に押し込む。

 日課となった早朝食パン全力ダッシュを終えた千妃路は、何事もなかったような顔をして優雅に歩き出した。

 遅刻と叫んでおきながら悠長に歩いている場合かと心配されるかもしれないが、それは心配ご無用。

 千妃路が目指すのは完璧なヒロイン。完璧なヒロインが遅刻などするわけにはいかないので、この日課は登校時間からだいぶ余裕をもって実施されている。

 人通りも少ない朝のことなので一般市民にぶつかる可能性も少ない。衝突するのは運命の相手だけで充分であり、それ以外のトラブルは起こすべきでない。

 配慮の行き届いた完璧な計画であると千妃路は自負しており、高校生になってから一年間、雨の日も風の日も、雪の日も欠かさず続けている。なんとこれまで衝突といったトラブルはゼロ、ついでに成果もゼロである。

 ふふん、と誰に見せるでもない自尊心に満ちた笑顔で歩いていると、顔馴染みに挨拶された。


「おや、お嬢ちゃん。今日もジョギングしてたのかい? 頑張ってるねぇ」

「ごきげんようですわ。おばさまこそ続いているようで何よりですわ」

「あっはっは、お嬢ちゃんと話すと元気が出るからねぇ。じゃあ、またね」


 走り去っていく近所のおばさまに手を振りながら、千妃路は小さく溜息をついた。

 何度もジョギングではなくヒロインになるための行動だと説明したのに、一向に理解をしてくれないからだ。

 それだけではない。継続は力なりと信じて重ねてきた日課に、まったく成果が伴わないことも嘆く理由の一つだった。


「もしや、この往年の少女マンガを参考にした方法は、今の時代で通用しないのでは……? 令和最新版のヒロインになるには別の方法があるのかしら?」


 残念ながら少女マンガを参考にした方法はどんな時代でも通用しないだろう。何故ならそれは少女マンガだからである。


「古典的理論は現代にも通ずるとの考えでしたけど、もしかして間違っていますの……?」


 悲しいことにそれを指摘する友人は千妃路のまわりにはいなかった。

 ヒロインを目指しているだけあって嫌われるような性格ではない。むしろ、さっぱりとした見ていて愉快な人物だ。

 しかし、あまりにも普段からヒロインヒロインと言い過ぎるあまり、見てる分には愉快な人だけど近くにいると面倒な人と認識されているのだった。悲劇である。


「嗚呼! わたくしも高校二年生。これからは早朝の食パン全力ダッシュとともに、放課後の捨てられたペットの捜索及び保護活動も見直すべきかもしれませんわ!」


 賢明な者ならば気付いたかもしれないが、千妃路はここまで一人で喋っている。

 『ヒロインは独り言が多い』という持論を目下実践中なのである。


「嘘っ、もうこんな時間!?」


 そして、リアクションが大きい。始業のチャイムまで三十分、まったく焦る時間ではない。

 しかし、それを指摘する友人は千妃路にはいない。己のヒロインロードを邁進する千妃路は、今日も一人で突き進むのだった。



     + + +



 ヒロインになりたい。

 幼心に願う人もいたであろう純粋な気持ちを高校二年生になるまで持ち続けたのが、華鳳院千妃路である。

 幼稚園のお遊戯会、千妃路はお姫さま役にどうしてもなりたかった。同じ組の黒髪サラサラな女の子とヒロインの座を巡って争い、そして敗北した。

 小学校の文化祭、千妃路はクラスで演劇をすることを提案し、自らをお姫さまとして活躍させる脚本まで書き上げた。しかし、超大作すぎて実現できず、創作コンクール小学生部門を賑わせて終わった。

 中学校では演劇部に所属し、常にヒロインをやりたいと主張し続けた。その気の強さが功を奏し、二年では副部長、三年では部長として立派に部を裏から支え、まとめ上げた。


 ヒロインになれない経験が積み重なるにつれて、ヒロイン願望はより強く、大きなものとなっていった。

 高校でこそヒロインになると決意した千妃路は、これまでの失敗を反省し、分析することにした。

 ヒロインの座、それは一つしかない。ダブルヒロインなどというぬるい配役は御免である。目指すはトップだ。

 しかし、それでは物理的な困難にぶつかる。ヒロインになるための舞台、配役がどうしても必要になる。

 ヒロインになりたい原体験がお遊戯会なので演劇の道を志したが、なりたいのはヒロインであってヒロイン役ではない。それを再認識した千妃路は、概念的ヒロインを目指し、ヒロインっぽい行動を取り続ける作戦に出た。その結果――――


「一年が過ぎ去ってしまいましたわ……時間の移ろいとは早いものですわね」


 席が窓際である千妃路は机に肘をついて春の日差しに目を細めつつ、桜の枝先にとまる小鳥たちに憂いを帯びた視線を向けていた。

 席替えのときは必ず窓際の席を死守している。ヒロインイベントは教室の窓際で起こるものと相場が決まっているからだ。

 ちゅんちゅんと仲睦まじく遊ぶ小鳥たちを微笑ましく見守っていると、クラスメイトの女子たちの声が聞こえてきた。


「嬉しいーっ、今年から同じクラスじゃん」

「中学一緒だったもんね。またよろしくー」

「……なんか雰囲気変わったね? そんなキャラだったっけ?」

「え、そう? ……あ、彼氏できたからかも?」

「わ、ホント? おめでとう、わたしも知ってる人?」

「ううん、部活で一緒になった人だよ」

「へぇー、わたしも彼氏欲しいなー」

「思ってるだけじゃ駄目だよ。言われないとわかんないんだから、男子は」


 うら若き乙女たちの色恋話に耳を寄せる千妃路。ご多分に漏れず、千妃路もこういった話は嫌いではなかった。

 しかし、ヒロインたるもの清純であるべきと考えていた。思いを寄せるならば運命の相手、白馬の王子さまでなければならない。


「白馬の王子さま……?」


 ふと呟いたが、そんなものが千妃路の人生に現れたためしがない。特定の誰かを意識したこともない。

 よくよく考えてみれば、ヒロインにはヒーローが付き物。主たるヒロインに従うヒーローが必要不可欠。

 そうだとすると千妃路の努力はひとり相撲で、ただヒロインになりたいと空回りしていたことになる。

 千妃路は憤慨した。何故、こんなにもヒロインに情熱を傾けている己の人生に、ヒーローのほうから颯爽と現れてくれないのかと。


「……そういえば、男子は言われないとわからない――ハッ、もしや!?」


 脳内をビビビと稲妻が駆け抜け、天啓にうたれるような思いがした。

 音を立てて勢いよく立ち上がった千妃路に驚くクラスメイトもいれば、もう慣れたとばかりに放課後どこで遊ぶか話し続けている者もいる。

 止める者がいない千妃路は演劇部で鍛えられた自慢の喉を教室に響き渡らせる。


「もしやヒーローも言われるまで、自身がヒーローと気付いていないのでは!?」


 そして、それを言えるのはヒロインとなる者だけ、つまりわたくし。と千妃路は一瞬にして方程式を組み立てた。解が成立するか否かは定かではない。


「ヒロインになるにはヒーローが必要……ですが、自覚なきヒーローはわたくしに話しかけることすらできない、悲劇ですわ!」


 実際、一人で盛り上がっている千妃路を劇として楽しんでいるクラスメイトが出始めている。悲劇か喜劇かは主観による。

 周囲の状況などもはや目に入っていない千妃路は、力強く拳を振り上げて宣言した。


「また一年間を無駄にするわけには参りません。こうなったら、わたくしに相応しいヒーローを必ず見つけ出してやりますわ!」

「おう、華鳳院。朝礼始めるから静かにしろー」

「あら、失礼いたしましたわ、先生」


 担任の教師が教室へと入り、ホームルームが始まった。

 しかし、信念に燃える千妃路の耳に新年度の挨拶など届きはしない。


「絶対ヒロインになってみせますわー!」

「静かにー」

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