魔女はどこへ消えた

転々


 船はこれまでに経験したことがない程の強い嵐と波に襲われ、船乗りや荷物は次々に海へと投げ出されていった。運よく柱に掴まることが出来た者たちも、何故かヌルヌルと滑る雨や潮の水によって、大半の船員達が海の中へと消えていった。


 僕は彼らとは境遇が違っていた。僕は偶然にも、大きなキャビンへと通じる扉の前に立っていて、その扉の淵にしっかりと掴んでいたのだった。船の上は、まるで世界全部が揺らいでしまっているかのような有様だった。


 僕が掴まっているすぐ側には、副船長のマックがいる。若くして副船長に任命されたマックは、実直な性格と仕事ぶりで、すぐに船乗り達の信用を勝ち得ていった。僕とはそこが違っている。僕は捻くれていて、要領が悪く、どこかでいつもヘマをした。必ずと言って良いほど、やるべきではない時期に悪いミスをした。でも今は違っていた。僕はミスをしない仲間達が海の中へと流されていくのを見送りながら、自分は扉の縁に捕まって、微動だにしない。ミスをしなかった。


 マックが僕の方を向いて言った。整った精悍な顔立ちが、雨と波でびしょ濡れになっていた。


「俺は今から、船長を探しにいく! お前、船長が最後にどこにいたか知ってるか?」


 この嵐はいつ始まったのだったか。僕は何故かその事を思い出せなかった。僕は目を下ろして少し考えたフリを見せた後、彼に向かって大声で叫んだ。波が邪魔して声が聞き取りにくいのだ。


「確か、操舵輪の前にいたと思います! まだ嵐が来る前ですが、マックさんはキャビンにいましたよね!」


 マックは軽く頷いてから、操舵輪のある上方へと首を回らしながら言った。


「よし! じゃあお前はキャビンへ行って、部屋にいるお客様を落ち着かせてこい! なんでもいい、大丈夫だと思わせるんだ! 難しいだろうが、まあハッタリでもなんでも良いから、とにかく落ち着かせてくるんだ。いいな!」


「はい!」


 マックはそう言うと、立っていられない程の揺れの中、キャビンの外へと出ていった。僕はその場に取り残された。


 僕は暫くその場でじっとしていたが、彼に言われた事をする以外にすべきことも思いつかなかったので、振り向いてキャビンの扉の取手を掴み、開いた。扉は驚くほど軽く開いた。僕は中へと入った。


 キャビンの中は、不自然な程に静まり返っていた。揺れはあるが、何故か外程ではない。そして身を包むような暖かさが感じられ、自然と見上げると、蝋燭が燃えているのが見える。だが、明らかにそれだけで説明がつくような温もりではなかった。


 僕はともかく、彼に言われた通り客のいる部屋へと行くことにして、ずぶ濡れの靴を持ち上げて歩き出した。歩くと水が染み出し、床に光る水たまりを作った。


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