第5話 破滅の樹はすくすく育つ

 ベルティーユの弟ヴィクトルは、シャルルより二ヶ月早く生まれた同い年。シャルルが八歳になったということは、前回八歳で亡くなったヴィクトルに、死が近づいているということだ。


 ヴィクトルはギフトが判明する前に死亡したが、毒を盛られても軽い発熱ですんだことから、【毒耐性】のギフトを持っているのだろう。だから毒殺をあきらめ、外を走りまわる年頃になるまで待ち、池に誘って沈めたのだ。


 ――溺れ死ぬなんて、どれだけ苦しかったことだろうか。


 しかも、午後から王妃主催のガーデンパーティーがある日を狙い、午前中に事を成した。このパーティーはベルティーユの婚約者を探す目的もあり、王妃もベルティーユも準備に追われ、池に浮かぶヴィクトルを見つけたのは夜のことだった。


 侍女たちがついているから大丈夫だろうと思い、ヴィクトルの姿が見えないまま、パーティーに参加してしまったのだ。


 あのとき、初めて母の涙を見た。葬儀では父も寄り添っていたが、マルガレータが懇願するように顔をのぞき込んだ途端、父は頬を染め、こちらをチラチラと振り返りながらも早々に退場していった。


 それ以来、母が心から笑うことはなくなった。いつも微笑の仮面を着け、完璧な王妃であり続けた。いま思えば、王妃の立場を守ることで、ベルティーユを守っていたのだろう。



「今度は誰も死なせない」


 シャルルの左手の甲――“破滅の樹”には、黒い実が四つと花がひとつ。“悪魔の武器”はシャルルの身長ほどに達し、死神が持つ大鎌のようになった。<暴食>能力で広げた“悪魔の空間”は、六帖の部屋ほどある。


 手に入れた翼で飛べるようになったのは一年前。小さな翼では子どもひとりを浮かせることさえできず、シャルルの身長の二倍を超えてやっと、飛べるようになった。

 “悪魔の翼”は、骨張ったコウモリの翼で、怠け者を狩りまくって花が実をつけると、コウモリの姿に変貌することもできた。


 そのころになると、食事中のマルガレータをテーブルの下からこっそり襲ったりもした。黒い鎌を足に引っかけ、吸い取った欲望から育ったのは<色欲>の実。

 あの女は父王だけでなく、宰相や近衛兵にも言い寄っているものだから、蕾はすぐに開花し、黒い実をつけるまでに至った。


 それでもマルガレータは一度も気絶しなかった。何度も欲望を刈り取ったが、膝をつくことすらない。<強欲>や<傲慢>の蕾もついたが、ほとんど<色欲>の塊だ。


 おかげで魅了魔法が使えるようになり、侍女のベラを魅了して味方につけた。蕾や花の段階では異性しか魅了できなかったが、結実したいまでは性別関係なく魅了できる。


 シャルルはコウモリの姿で林を抜ける。くだんの池に着いて人間の姿に戻り、木の上に腰かけてヴィクトルたちが来るのを待った。



(来たわね……)


 楽しそうに駆けてくるヴィクトルを見て涙腺が緩む。王妃と同じ亜麻色の髪にアメジストの瞳。弟が生きている。まだ助けられる。そのことがどうしようもなくうれしかった。


(でも、直接助けたりしたら、わたしが昇天してしまうわ)


 落とし物を拾って手渡しただけで、破滅の樹が元気をなくしたのには戦慄した。

 一度よい行いをしたくらいでは昇天しないが、程度によっては大打撃を受ける。せっかく育った花や実も、小さくしぼんでいくのだ。


(悪魔は悪魔らしく、悪行を積まなければね)


 狙うは後ろから追いかけてくる侍女ふたり。彼女たちはヴィクトルが死んだ日に姿を消した。逃げたのか口封じされたのかはわからない。


 ヴィクトルが池のほとりにしゃがみ込むと、侍女たちから笑顔が消えた。四本の腕がゆっくりとヴィクトルに迫る。ほかに人の気配はない。


(そう。やはり、あなたたちだったのね)


 シャルルはふわりと舞い降りて、侍女たちの背後にまわった。大鎌を振り上げ、ふたりいっぺんに切り裂けば、小さくうめいて倒れ込んだ。振り返ったヴィクトルに気付かれないよう、すぐに木陰へ身を引く。

 シャルルの左手の甲に咲いたのは、<強欲>の花だった。


(やったわ! これでレベルの低いギフトなら奪える)


 さすがに侍女たちのギフトレベルはシャルルより高かったか、今回は奪えなかった。破滅の樹になる実は七つだが、それ以外の悪感情も樹に吸収されるようで、枝振りがよく、幹も太くなった。


 おどろいたヴィクトルが涙目でふたりを揺さぶっている。そこへ、いま来たような顔をして、シャルルは飄々ひょうひょうと声をかける。


「あれ? ヴィクトル……久しぶりだね」

「……シャルル」


 警戒心の強い瞳で睨まれ、シャルルは苦笑いをこぼす。


「きっと侍女たちは木の根っこに足を取られたんじゃないかな? 頭を打ったかもしれない。ぼくが見ておくから、誰か呼んできてくれる?」

「……わかった」


 後ろを振り返りながら走るものだから、ヴィクトルは途中で転んでしまった。泣かずに立ち上がった姿に(えらいわ!)と内心で褒める。その後もハラハラした気持ちで見送った。


「さてと……」


 この池は、ヴィクトルが住んでいる離宮からそう遠くない。早いところすませてしまおう。いまのシャルルは、すっかり男の子の立ち振る舞いや言葉遣いが板に付いている。王子を演じるのもお手のものだ。


「おい、起きろ!」


 侍女たちを乱暴に揺さぶり起こす。左手の甲に意識を集中すれば、“破滅の樹”が浮かび上がった。<嫉妬>の花に触れながら、呆然とする侍女たちに詰問する。


「お前たちに命令したのは誰だ?」


 <嫉妬>の能力は行き場のない気持ちを吐露とろさせる。自白魔法のようなものだ。シャルルが知りたいのは直接命令を下した者の名前。黒幕はマルガレータに決まっている。

 我に返った侍女たちの言葉は、支離滅裂だった。


「め、命令? そ、そうね。私は悪くないわ」

「わ、わたしはエマがやろうって言うから!」

「ちょっとドナ⁉ 私のせいにする気⁉」


 ――ん? 片方には自白の能力が効いていない? そんな馬鹿な。

 蕾の段階ならまだしも、開花した状態で効かないのはおかしい。エマという侍女は精神系魔法をはね除けるギフトを持っているのか。


「エマ、お前に命令したのは誰だ? どうしてヴィクトルを殺そうとした?」

「だ、だって……せっかく王子付きの侍女になれても、ヴィクトル殿下は王太子になれない! 殿下がいなくなれば私は……、そう、そうだわ。私をシャルル殿下の侍女にしてください! そうすれば殺す必要なんてないわ!」


 エマの口から出てくるのは浅ましい言葉ばかりで、命令した人間の名が出てこない。


(まさか、自発的に行動したとでも言うの? 一介いっかいの侍女が?)


 彼女たちの私欲のせいでヴィクトルは池に沈められたのか。このふたりを池に沈めてやりたいところだが、遠くから数人の足音が聞こえる。どうやらここまでのようだ。


「ふたりとも、ぼくのために働いてもらうよ」


 今度は<色欲>の実に振れて魅了魔法をかけると、侍女たちの様子が変化した。

 ポーッと頬を染めるふたりの耳に命令をねじ込む。


「ヴィクトルの身を守れ! 暗殺計画を察知したら、ぼくに知らせるように!」

「「……はい、シャルル殿下」」


 医師を連れてやって来るヴィクトルの姿を認め、シャルルはすばやく身をひるがえした。



 ***


 午後からはガーデンパーティーがある。シャルルも出席するため、急いで準備しなければならない。

 庭園の薔薇は見ごろを迎え、空も澄み渡っている。パーティーの成功は間違いない。その裏で悪意がうごめいていたことなど、誰が想像できようか。


 自分の部屋に戻ろうと、王城の廊下を歩いていたとき、向こうからベラが青い顔をして走って来た。


「シャルル殿下、また護衛を撒いて!」


 八歳の子どもに出し抜かれる護衛など心配になるところだが、マルガレータは顔だけで選ぶのだからしょうがない。


「それより、何かあった?」

「マルガレータ様がお呼びです」

「……そう」


 本来は王妃の私室であるマルガレータの部屋に入ると、華やかなドレスを三着並べて眉間にシワを寄せていた。シャルルに気付いているのかいないのか。いつまでも声がかからないため、こちらから話しかけることにした。


「……母上、お呼びでしょうか?」

「やだ、まだ着替えてなかったのぉ? 今日はガーデンパーティーがあると言ったでしょう。王太子として恥ずかしくない格好をしてよねぇ!」


 王太子はまだ指名されていない。順当にいけば正室の息子であるヴィクトルが王太子になる。だというのに、まるでヴィクトルは存在しないかのような物言いだ。今日の午前中に彼が死ぬのを知っていたとしか思えない。


「……承知しました」


 今度はすべてを守ってみせる。そのために毒をあおったのだから。

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