第2話 生まれる前まで戻って怖じ気づく

 ベルティーユが目をあけると、大きな水瓶みずがめの前に立っていた。膝上ほどの高さがありながら、底が浅く見えるほどに間口が広い。

 あふれるギリギリまで張られた水面には、懐かしい母の顔が映っている。ベッドの上で大きなお腹をさすり、その隣には父の姿もあった。しかし、ふたりとも記憶よりずいぶんと若い。


「……って、生まれる前まで戻ってる⁉」


 辺りを見まわせば、たくさんの水瓶が置いてあり、白い服を着た子どもたちが光の珠を抱えて飛び込んでいく。ベルティーユの姿も子どもに戻っていた。

 この光景を覚えている。かつてベルティーユも神様から受け取ったギフトを手に、水瓶に映る母のお腹に飛び込んだものだ。


「あっ、ギフト……は、ないわね」


 生まれる前には持っていたギフトがなくなっている。使ってしまったのだから当たり前だ。あれは何度もやり直せるギフトではなかった。稀に【ギフトなし】が生まれるのはこれが原因かもしれない。


 果たして、ギフトを持たずに、この人生をうまくやり直せるのだろうか。


(あの、ろくでもない人生をもう一度……)


 弟が溺れ死んだのも、母が乗った馬車が落石にあったのも、側室マルガレータ妃の仕業であると確信を持っている。父が亡くなった経緯だって怪しい。

 正直に言えば戻りたくない。けれど、早くお腹に飛び込んで、両親を安心させてあげたいとも思う。


「早く……早く行かないと!」


 両頬を軽く叩いたベルティーユは、水瓶へと身を乗り出す。溺れるわけじゃないとわかっていても、大きく息を吸ってしまう。息を止め、水面に顔を近付けたときだった。


「ねぇ、待って!」

「わぁっ⁉」


 後ろからワンピースの腰布をつかまれ、つんのめる。危うく水瓶の縁におでこを打ち付けるところだった。

 睨むように声のほうへ振り返れば、紫がかった赤毛に、アメジストの瞳をした子どもが立っている。可愛らしい女の子に見えるが、覚えている人物は男の子だ。


「あなた……もしかして、シャルル?」


 シャルルはマルガレータ妃が最初に産んだ王子で、ベルティーユの異母弟にあたる。ラズベリーのような髪色だったのでよく覚えている。

 彼が十歳のとき、火事に巻き込まれて早世したから、話をしたことはほとんどない。いつも物憂げな顔をしていた記憶だけがある。


 頷いたシャルルは、その手に服をつかんだまま、くしゃりと顔をしかめた。


「きみがやり直すことにしたから、ぼくもまた行かなきゃいけないんだ」

「あっ……」


 あまり接点のなかったベルティーユでさえ、シャルルが幸せだったとは思えない。十歳で亡くなる人生をもう一度……。それはなんと酷なことか。しかも原因は火事だ。苦しかっただろうし、おそろしいだろう。


(その気持ち、痛いほどわかるわ……。わたしだって足がすくんでいるもの)


 それでも、やり直すためにギフトを使った。人生を変えるために。

 臆病な自分も、あきらめ癖も手放して、今度こそ幸せをつかみたい。


「次は助けてみせるわ。あなたを死なせたりしない!」


 弟も両親も助けるつもりだ。母親が違うとはいえ、シャルルも弟に変わりはない。


「ギフトなしで、そんなことができると……本当に思ってる?」

「うっ……」


 痛いところを突かれた。勢いだけで言った言葉など、何も響かないだろう。

 視線を彷徨わせるベルティーユの耳に、明るい声音が転がり込んだ。


「ぼくね、いいこと思い付いたんだ!」

「――いいこと?」

「はい、これあげる」


 手に押し付けられたのはギフト珠……なのだが、みんなのと違って光ってないし、ひび割れて一部欠けたような形をしている。目を凝らすと文字が浮かび上がった。


「こっ、これ、【悪魔】のギフトじゃない!」

「強力なギフトだよ。でもぼくは、自分のギフトが判明してすぐに死んじゃった。レベルを上げていないギフトなんて、持ってないのと同じだからね」


 十歳になったら、通常は教会に出向いてギフトを教えてもらう。ギフトによってはレベルを上げなければ使えないものが存在する。【悪魔】や【天使】、【魔術師】など、成長系のギフトは鍛錬が必要だ。


「ぼくが持っていても、きっとまた同じことになる。でも、記憶を持ってやり直せるきみなら……」


 ――なるほど。ギフトが判明する前からレベル上げができるから、対抗手段を備えておける。

 ちなみに十歳という規定は、教えられたギフトを正しく理解できる年齢を考慮して決められたもので、実際には生まれたときからギフトを使える。


「ありがたいけど、あなたのギフトがなくなってしまうわ」

「うん、それなんだけどね。ギフトをあげる代わりに、欲しいものがあるんだ」

「……何が望み?」


 シャルルは不敵な笑みを見せたが、続く言葉に答えは見つけられなかった。


「珠の説明はよく読んでおいたほうがいいよ。それと、シャルルに弟が生まれたら気を付けて」


 言いたいことだけ告げて、シャルルはくるりと水瓶に向かう。水面に映っているのはベルティーユの母――セリーヌ王妃だ。


「待っ……!」


 服の裾をつかむにはあと一歩足りなかった。シャルルの姿が水瓶に吸い込まれていく。慌てて水瓶をのぞき込めば、ついと母の姿は消えてしまった。

 広がった波紋が治まり、次に映し出されたのはシャルルの母――マルガレータ妃の姿。


「ひっ、嘘でしょう⁉」


 シャルルがセリーヌのお腹に飛び込んだということは、ベルティーユとして生まれたということだ。実に鮮やかな手管で、ベルティーユの体は奪われてしまった。水面にはマルガレータの大きなお腹が映っている。


「うえぇ……」


 おおよそ、王女とは思えない声をあげて、ベルティーユは頭を抱えた。こうしていても埒が明かない。急いでギフトの内容を頭に詰め込んでいく。

 憤怒・嫉妬・怠惰・暴食・強欲・色欲・傲慢、これらの感情を持つ人間の欲を吸い取れば、それぞれに対応する七つの能力が使えるようだ。さらには、


「なになに? 善行を積むと昇天する……。し、死ぬってこと⁉」


 さすがは神から授けられたギフト。悪魔をも救う道が用意されている。いまのベルティーユにとってはありがた迷惑でしかないけれど。


「ハァ、自信がなくなってきたわ……」


 それでも腹をくくるしかない。ギフトなしで臨むより余程いい。

 力強く頬を叩いたベルティーユは、跳び蹴りでもするかのように、勢いよく水瓶に飛び込んだ。

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