第2章 無理難題 vol.2

「藤宮くん。今日は私、一歩も引き下がりませんから」

「は?」


成世は紗希子が言わんとすることに、皆目見当がつかなかった。


宣戦布告か?一体何のために。


「俺、別にあんたと勝負してるつもりないんすけど」


いかにも「めんどくせぇ」と言いたげに振る舞ってみたものの、最初に宣言した通り、今日の永尾紗希子は一歩も引き下がりそうにない。


何がいつもと違うのだろう、と成世は考えた。


メガネ、化粧っ気のない地味な顔、ざっとひとつに束ねただけの垢抜けない黒髪。いつもと同じじゃねーか。


でもどこか・・・自信に満ち溢れている。


あ。これか?


成世はその自信の源を見つけて思わず吹き出した。


「何だよその靴下!」


「ん?」


紗希子はまるで自覚がない様子でおもむろに靴下へ視線を移す。


全体が赤で、甲の部分に堂々と『合格!』の文字。

白いブラウスに膝丈の黒いタイトスカートという就活生みたいな恰好には、あまりに不釣り合いな靴下だ。


「ああ、これ?これは私の勝負靴下。共通テストの日も、東大の2次試験の日も、私はこれで勝ったの」


だっせー、なんて言い出せないくらい、紗希子は謎の世界観に没入していた。


「という訳で藤宮くん。2週間後に模試を受けるわよ」


ん?


「誰が?」

「あなたが」


え?

「決定事項・・・?」


「ええ、決定事項。すでに申し込みは済ませてあります」


「そんな、勝手に!?」


「勝手ではありません。ちゃんと春木さんに予定の確認をしましたし、お母様にも許可を取りました」


なるほど、強硬手段に出た、という訳だ。


そして成世は2週間後、模試でとんでもない成績を出してしまうのだった・・・。





2週間後に模試、と言われたら、さすがに逃げられない気持ちにはなってきた。


だが・・・。


「ねぇあと1問だよ!?もう少しだから頑張って!」


学校、レッスン、仕事、家庭教師、課題。


この生活はまだ慣れないせいか、成世が想像していたよりもずっとハードだったから、つい家庭教師中にうとうとしてしまうことも。


「っるせぇ今必死に考えてんだよ」


そんな風に突っ張ってしまうけれど、紗希子に応援されながら睡魔や難問と闘っているシチュエーションは案外悪くなかった。




「あのさ・・・あんたは1年前、どんくらい頑張ったの?」


模試が明日に迫ったその日、授業を終えてペンケースへ名前入りのボールペンを丁寧に仕舞っている紗希子に訊ねてみた。


紗希子は手を止め、意外そうに顔を上げる。


「そうだね。私は高2の頃からずっと、毎日8時間は勉強していたかな。もちろん、塾や学校とは別に、という意味ね」


「へぇ」


成世にはいまいちピンとこない数字だった。仕事でなら8時間の拘束なんて何のそのだが、勉強となると当然8時間もぶっ通したことはない。


「勉強なんて、闇雲にできるものじゃないよ。目標がないと」


紗希子は静かに言った。初めて紗希子に心を読まれたような気がした。


大体とんちんかんな返答をしてくる人だと思っていたから、少々調子が狂う。


そのせいで成世はただ黙って続きを待っていることしか出来なかった。


「まず一番成し遂げたい目標を掲げる。その後、その大きな目標を叶えるために必要な、直近の小さな目標を細かく立てる。あとはそれを一つ一つ叶えていくの。ま、これはある人の受け売りなんだけどね」


「な、何だよ。意外と普通だな」


成世がかろうじて言えた憎まれ口はここまでだった。


「でも・・・俺、今まで目標って周りが決めてくれるもので、俺はそこに向かってがむしゃらに進むだけだったから」


「うん。自分で目標を立てて、自分と約束する。それが一番」


確かに。みんなそれぞれの思惑があって、俺はその登場人物の一人でしかない。


俺は俺で、自分自身の目標を持たなければ、一生誰かの助演で終わる。


「・・・偏差値60、取ったらデート」


え、俺、何言っちゃってんの。どうしよう。


どうにかなりそうなくらい鼓動が速くなっていくのがわかる。


「ふーん。いいじゃん。頑張ってね」


いいじゃん!?今、いいって言った?



その夜はなぜか一人で舞い上がった成世だったが、翌朝突発的に“いいじゃん”の意味を理解した。


初めは、俺が偏差値60なんてどうせ無理だろうと高をくくっているのかと思ったが、多分それだけじゃない。


アイツは自分がデートに誘われているとは微塵も思っていないのだ。


「・・・ごちそうさま」


模試当日だからと晃斗が張り切って用意してくれた朝食を、成世は半分も食べられずに席を立つ。


「おい大丈夫か?出されたものは全部綺麗に食べる、がモットーの成世が半分も残すなんて変だぞ。具合でも悪いのか?」


晃斗がそばに来て、成世の額に手を当てた。その手から逃れるように身を翻す。


「平気だよ。ちょっと緊張してるだけ」


だっせーな、俺。


「じゃ、俺行くわ」


「はっや」「もう行くの」と、起きてきたばかりのマリオと王子がコソコソ話していた。

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