第35話 探求者の墓場

 



「私は、君達も知っての通り、この国から忠告を受けている」


 薄暗くなってきた研究室で、教授が静かに語り出した。


「講義の後の話を、どこから聞きつけたのか、教育者として不適切だと指摘された。生徒達に変な意識を植え付けている、と。それだけなら、確かに私に非があるように思えるからな、頷けるのだが……」


 教授はちらり、と窓の外に視線を送った。視線の先を追うと、黒服の男が壁にもたれかかって隠れている姿が見える。


「忠告を受けた日から、黒服の男に監視され続けていてね。たかが、常識のなっていない教授独りに、ここまで国が手を割くだなんて、おかしいとは思わないかね」


「確かに……。少し、やり過ぎな気がします。これでは、まるで……」


「まるで、私に失言があれば、いつでも消せるように準備を整えているようではないか」


 冷静にそう告げた教授は、時折、腕時計を気にしている。


「……ふむ。あまり長居をしても、君達に余計な疑惑が掛かってしまうと困る。簡潔に、私の仮説を話そうか」


 そう言うと、教授はそっと研究室のカーテンを閉めた。


「まず、この国の資料には人物名が全く登場せず、これは意図的に国が隠蔽しているのだろう、という話だが……これはもう仮説ではなく確信だ」


 トントン、と左手に持っているペンで、教授は机を軽く小突いた。


「資料に人名を残せない理由。それは我々がいつの間にか、この世界から消えた者の名前や記憶を失っているからだ。おそらく、我々の記憶は国に管理され、そして消されているのだろう」


 いつもの講義ならば、ここで呆れたような乾いた笑い声が聴こえ始めることだろう。今、この場に教授の言葉を笑う者は一人もいない。


「この世界に存在していたはずの人間を、元より存在すらしていなかったことにするのだ。資料に名前など残っていては、処理が面倒なだけだろうからな」


 教授は、自身の講義に出ている生徒の名簿を僕達に見せた。そこに生徒の名前は書かれておらず、簡易的な番号だけが振られていた。


「事象のみで構成された文字だらけの教科書、在校生徒の管理が杜撰ずさんな教育機関、個人では書き込めないネット環境。極めつけは、事件が起きた時の通報先は、この国でたった一つにまとめられているという事実。これらが情報操作をする為だと考えれば、実に効率的じゃないか」


 そう言って教授は鼻で笑うと、名簿を指で弾いてみせた。確かに、そう言われてしまえば、これほど個人の情報を削除するのに適した環境はないと思える。


「あの、教授を監視している人って……緊急事態対策本部の人、なんですよね?」


「そうだが」


「この国の、中枢の組織……なんですよね。それも、全ての困り事の窓口として、常に連絡を受け付けている」


「相談事の窓口などと謳ってはいるが、それは親切心などではないだろう。情報の集まる場が分散しては、管理が複雑になるだけだからな。一箇所に纏めているというだけの話だ。……あれが、この世界をおかしくしている元凶なのは、間違いないだろう」


 教授の言葉に、しん、とその場が静まり返る。その沈黙を破ったのは、意外な人物だった。

 これから発言をするのは自分であると強調するように、美樹はおずおずと手を挙げると、か細い声で切り出した。


「あの……教授が、陰謀論を話すのを辞めた理由はわかりました。ただ……。最近、図書館の周りをうろうろしていたっていう噂は、監視されていたことと……何か関係があるんですか?」


 図書館の周りを彷徨いていたという噂がどうしても気になっていたのか、美樹らしくない、少し問い詰めるような口調で教授に詰め寄った。


「……ふむ。その話をする前に、一つ質問をしよう。君達は、我々のようにこの世界に疑問を持つ人間が、余りにも少なすぎるのではないか、と感じたことはないかね」


 質問に質問で返されてしまい、戸惑っている美樹の代わりに、僕は以前にも考えていた仮説を答えた。


「僕は、そういう人間は消されているから、だと思っていたんですが……教授の考えは違うんですか?」


「……半分正解だ」


 教授は神妙な顔つきで、両手を机の上で組むと淡々と告げた。


「精神病棟、を知っているかね。心に病気を持つ者、心を壊した者の収容される施設だ。……あそこは、我々の同志の墓場だよ」


 墓場、という言葉にどきりとした。

 ただ、教授の表情を見れば、それは大袈裟な比喩でもなんでもないようで、僕はごくりと唾を飲んだ。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る