幼凸~幼馴染みにガチ凸された僕~

ピジョン

第1話

 例えば、時折は重なる視線だとか。

 例えば、軽い挨拶の中に、僅かに残る熱だとか。

 予感は確かにあって――いつかそうなることは、分かりきっていた。


 今日もまた、彼女の眼鏡の奥の瞳が僕を追っている。

 その視線は冷たいようでいて、いつも暖か。


「おい、悠希。行くぞ」


 幼馴染みの咲が、いつものように僕の腕を引いても、彼女から目を離すことはなくて。


 ――ごめんなさい。


 そう口の中で呟くと、眼鏡の奥の彼女の瞳が一瞬揺れたように見えた。


「ちっ、お前ときたらとんでもないノロマだな」


 ――ごめんなさい。


「そら、部活行くぞ!!」


 ――いつも捕まっていて、ごめんなさい。


 その謝罪に、彼女は思わしげに俯いた。眼鏡の奥の瞳は悲しそうに伏せられたまま――



 僕たちの短すぎる逢瀬は終わる。

 織姫と彦星は引き離され、またある逢瀬に思いを馳せながら、長く冷たい現実を生きて行かねばならない。


「鈍い野郎だな。ボーっとすんな」


 咲に重たいスポーツバッグを押し付けられ、僕はよろめきながらもその後に続いた。


 グラウンドの端にある大きな道場では、剣道部と柔道部が互いの縄張りに別れて練習している。

 便宜上、柔剣道場と呼ばれているそこに向かう咲は、時々、険しい表情で振り返り、僕の姿を確認しては忌々しそうに舌打ちを繰り返し、何時にも増して不機嫌そうだった。


「お前……片桐と仲がいいのか?」

「片桐?」


 僕が問い返すと、咲はますます険しい表情になって、じりっと詰め寄って来た。


「委員長だよ。あの眼鏡女のことだ」

「ああ……」


 彼女のことか。

 気になってるなんて、本当のことは言えないし、咲にはどうやって誤魔化そうか。


「名前も知らなかったのか……?」


 咲は警戒する狼みたいに獰猛な目つきで僕を睨み付けて来る。


「うん」


 彼女だけに限らず、僕は人の名前を覚えるのが苦手だ。頷いて見せると、咲は口をへの字に曲げ、微妙な表情になった。


「アイツ、じろじろ物欲しそうに見つめやがって……」

「……」


 僕が黙ったままで居ると、咲は勝ち誇ったように嘲笑った。


「名前も知らねーか。なら、いいや」


 人目を避けた階段の踊場で立ち止まり、頭をかき回した咲は、ぶっきらぼうに言った。


「乱暴に扱って悪かったな」


 僕より頭一つぶんは高い咲の瞳を見つめ返すと、その頬がうっすらと紅潮した。


「ほらっ、これやるから、食堂でジュースでも買って飲みな!」


 無理やり僕の手に小銭を握らせると、耳まで赤くした咲は逃げ込むように更衣室に入って行った。


「咲……10円足りないよ……」


 120円しかない小銭を見つめ、僕は小さく溜め息を吐き出す。

 幼馴染みなんて関係をやっている僕と咲の関係は至って単純。

 主と従。咲が『主』で、僕が『従』の関係。

 小さい頃から虚弱で何かと塞ぎ込みがちな僕と、身長180センチ弱の体躯に、活発な性格の咲。

 いつ頃からか、身体の大きな咲が僕の手を引いて歩くようになった。17歳になった今も髭が生えてないような僕だけど、これでも一応は男のつもりだ。


 咲は、うざい。


 二言目には「お前のためだ」とか言って、色々と余計な世話を焼く。

 朝起きるとすぐ家にやって来て、やれ顔を洗え、歯を磨け、朝食はキチンと食べろと口やかましい。母さんより僕の躾に厳しいくらいだ。


 そして困ったことに、咲には見栄っ張りの気質がある。何かと僕に付きまとうのは自分の癖に、クラスメイトの冷やかすような視線にはこう釈明した。


「こいつはただの舎弟なんだよ。勘違いすんな」


 そして僕は否定せず、黙り込む。客観的に見れば、それは恐らく正しい。たとえ、僕が納得出来ないものであるにしても。


 第三者が居ると居ないとで、咲の態度はころりと変わる。

 冷やかしを行う誰かが居れば、僕を所有物のように扱う。意味もなく荷物持ちをさせたり、パシリをさせてみたり。犬の物真似をしてみろと言われたこともある。


 そして、第三者の居ない状況になると、決まって謝る。その繰り返し。

 今では咲は慣れきってしまっていて、謝罪はおざなりになり、僕が言いなりになっているのを当然のように思っている節がある。


 咲は、うざい。


 立ち止まって物思いに耽っていると、更衣室のドアが少し開き、そこから咲がひょっこり顔を出した。


「部活終わったら、一緒に帰るか?」


 ――やなこった。


 僕は笑みを返しながら、内心では舌を突き出す。


「マック行こう。練習の後は腹が減るんだよ」


 剣道着に着替え、袴姿の咲が竹刀片手に歩み寄って来る。

 竹刀を持った咲はすこぶる危険だ。竹刀、見栄っ張り、この組み合わせはあまりよくない。


「わかった。食堂で待ってるね」

「おうっ」


 咲は気分良さそうに道場に向かって歩いて行った。

 僕は安心して、短く息を吐き出す。

 本気じゃなかったけれど、竹刀で小突かれたこともある。いつものことだけど、僕は、ちょっぴり惨めな気持ちになった。



 ◇◇




 食堂ではソウルマンと右肩上がりの男が談笑していた。


「やあ、ソウルマン。右肩上がりの男でもいいけど、10円くれない? 120円しか持ってないんだ」


 天然パーマのせいでアフロっぽい髪型のソウルマンが朗らかに笑った。


「おーっ、里村。今日も沢田待ちか?」


「まあね」


 右肩上がりの男が、こちらも朗らかに笑った。


「なんだ、里村。10円も持ってないのか。貧しいヤツだなぁ」


 彼は姿勢が悪いおかげで、いつも右の肩が上がっているように見える。花のケイジで出てくるナギリの男が渾名の由来だ。別に調子がいい訳じゃない。


「何言ってんの。右肩上がりの男。10円ぽっちで札をくずしたくないからに決まってるでしょ」

「はっはっは。里村ぁ、それが人に頼み事するヤツの態度かぁ?」


 ソウルマンと右肩上がりの男は野球部ではバッテリーを組んでいる。暇を見つけては食堂でサボっている場合が多い。


「それにしても、右肩上がりの男は姿勢が悪いね。病院に行った方がいいんじゃない?」


 右肩上がりの男にヘッドロックされる。


「里村ぁ……俺は姿勢が悪いんじゃねえ。ピッチャーやってて、右肩が発達してるだけだって、何度言わせるんだ?」

「いたた……! ソウルマン、笑ってないで助けてよ!」


 この気のいい二人組としばらく時間を潰した。



 ◇◇



 ソウルマンと右肩上がりの男がスポーツマンらしく部活に帰った後、入れ代わりでやって来たのはDQN生徒の水島くんだった。

 水島くんは自動販売機でコーヒーを買った後、僕の姿を見つけ、やって来た。


「よっス、里村」

「よっス、水島くん」


 水島くんはボクシングの経験者で、売られた喧嘩は全て買うという危険なヤツだ。

 でも、中々に義理堅い性格をしていて、ちょっとした経緯から、僕のことを五分(タメ)の親友として扱ってくれている。珍しく名前を覚えてしまった友人の一人。

 水島くんは、辺りを見回して、それから珍しそうに言った。


「沢田は?」

「咲? 部活だから安心していいよ」


 水島くんと咲は、お互いに「アバズレ」「チンピラ」と呼び合うくらいには不仲だ。


「あのアバズレは、おまえに合わないと思うぞ?」

「気が合うね。僕もそう思うよ」


 そんなやり取りの後、水島くんは、もう一度辺りを見回して、内ポケットから煙草を取り出すと、それをくわえた。


「一服しに来たんだ」


 水島くんはDQNだ。拳の皮が少し擦りむけているのは一仕事終わったからだろう。

 しばし歓談した後、水島くんは煙草を二本吸ってから食堂を去った。

 辺りは煙草臭くなり、食堂には僕だけになった頃。



 ――彼女が現れた。



 ◇◇




 夕暮れ時。


 僕と彼女は、学校の食堂で、ついに二人きりになってしまった。


 彼女が僕の目の前に立つ。

 僕は彼女に視線を奪われたまま。逃げ出せずにいる。


 頭の中は色々。

 なんで彼女がここに来るんだ? 偶然でも二人きりになったことを知れば、絶対、咲が怒るとか。水島くんはDQNの癖に吸い殻ちゃんと捨ててたとか。

 そう言えば、僕、彼女のこと全然知らない……


「里村……悠希、くん」


 彼女に呼ばれる。

 よくわからないけれど、咲は彼女を嫌ってる。絶対よくない予感がする。

 なのに――

 僕は、彼女から逃げ出せずにいる。


 彼女は瞬きもしないで、僕と合わせた視線を逸らさない。


 ああ、もう……


 彼女は覚悟を決めたのか、眼鏡の奥の瞳に力を込める。


「さ……悠希くん。大切なお話がありますが、お時間よろしいでしょうか」

「は、い……」



 例えば、時折は重なる視線だとか。


 例えば、軽い挨拶の中に、僅かに残る熱だとか。


 予感は確かにあって――いつかこうなることは分かっていた。



 彼女――片桐さんが、胸の前で軽く手を握りしめ、言った。


「好きです」


 ――言った。


「初めて見た時から、ずっと気になっていました」


 片桐さんは、言いよどむことはなく――誤解の入り込む余地のないくらい、はっきり『告白』した。


「私と、お付き合いしてください。お願いします」

「……」


 何故だかよくわからないけれど、僕の胸はいっぱいになってしまう。


 目の前の片桐さんが霞んで行く。


 きっと片桐さんは、時間を掛けて思いを育み、しっかりと確かめてからこの場にいるのだ。

 何の覚悟もない僕とは大違いだ。


「ご、ごめんなさい……」


 僕は情けなくなって、つい泣き出してしまう。

 目の前の片桐さんが、はっと息を飲む音が聞こえた。


「ごめんなさい……片桐さんに言わせてしまって、本当にごめんなさい……」


 片桐さんの告白から、まだいくらも経っていないのに、僕はもう泣き出してしまっていて、彼女と目を合わせられずにいる。


「では……」


 確かめるように、片桐さんが問い掛けてくる。


 僕は頷いた。


「僕も、ずっと、片桐さんが、気になって、いました……」


 嗚咽混じりに言葉を吐き出す。


「好き、です……。僕の方からも、お願いします……」


 言った。言ってしまった。これでもう、何もかも変わってしまうけれど、後悔はない。


 ごくり、と緊張に息を飲む辺りの気配。


 ――気配?


 ふと周囲を見回すと、二つある食堂の出入り口の一つに、ソウルマンと右肩上がりの男が突っ立っている。


「……」


 もう一つの出入り口にはDQN生徒の水島くんがいる。

 僕と目が合うと、水島くんは深く頷いた。


 西日の射し込む茜色の食堂で、片桐さんが人差し指を天に向かって突き立てた。

 言った。


「完全 勝利……」








 は?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る