シティ・オブ・ゴッド

清泪(せいな)

シティ・オブ・ゴッド

こめかみに銃口を、亡骸に花束を

  

 その胸に、神を刻め。



 その少年は、父親の顔を憶えてはいなかった。

 思い出そうとしても、モザイクがかかったみたいに顔の部分がボヤけている。

 その少年の父親は、薬物中毒だった。

 理解不能の言葉を吐き散らし怒鳴り散らし、毎日の様に母親を蹴り飛ばしていた。

 その少年の母親は、セックス中毒だった。

 ズタボロになった身体を無理矢理見繕って毎晩違う男に連れていかれ家を出ていった。

 母親を連れていく男に、父親は殴り飛ばされていた。


 ある晩、少年の父親は、少年の母親を銃で撃った。

 頭を一発。

 一瞬の事で、悲鳴も無かった。

 続けて、父親は自身のこめかみに銃口を当てた。

 最期の最後まで、父親は少年を見ることは無かった。

 何度も呼んでみたが、父親は母親の死体を見つめ泣きながら笑って、引き金を引いただけだった。

 最初から最期まで、決して父親も母親も少年を見てはくれなかった。


 だから、少年は両親を失ったからといって哀しかったわけではなかった。

 生きる上で少しばかり困難になっただけだ。

 ただ、それだけだった。

 

 この街には家族のいない孤独な子供がたくさんいる。

 地肌なのか、太陽に灼けたからなのかももうわからない褐色の肌。

 ズタボロのシャツとズボン。

 細々と折れそうな手足、いや、身体。

 どこを見ても自分と同じ姿をしたヤツらが溢れていて、どいつもこいつも死にたがりな目をしていて、それなのに、どいつもこいつも生きようとこの世にしがみついている。


 運がいいヤツは、博愛主義の金持ちの白人が拾ってくれる。

 運が悪いヤツは、狩りと称して金持ちのガキどもに頭を撃ち抜かれてあの世に逝く。

 運そのものが無いヤツは、餓死して死んでいく。


 大抵のヤツは、ズタボロの教会にやってきた変態神父に拐われる。


 脇から脇までの横一線、喉仏から臍までの縦一線、肉を抉られ十字架を刻まれる。

 信じる者は救われる、とありがたい教えを毎日洗脳され、赦しなど乞うつもりもないのにお祈りをさせられる。

 生まれてきたその事を懺悔させられ、食料の代わりに銃を渡される。


 ある日、手の平サイズの透明なビニール袋に詰められた麻薬を渡されて、運び人に任命された。

 この街の子供なら、当たり前の儀式だった。


 気が遠くなる程麻薬を受け渡し、その都度銃の引き金を引いて何人も撃ち殺して、少年はそれでもこの街に生き続けた。


 この街から逃げられるヤツなんていない。

 この街の仕組みに取り入れられた以上、外れたければ死ぬしかない。

 いや、死すら束縛され利用される。

 この街に生まれてきた事は、運に見放されたという意味だった。


 身体に刻まれた十字架は、神の不在を教えるだけのもの。


 そうした閉ざされただけの未来に何度目かの絶望をして溜め息をついた少年は、運びの商品である麻薬に手をつけた友人の頭を撃ち抜いた。

 こんな事になるのも、もう何度目だろうか?

 不遇な境遇を共有する友人は次々と自分の手にかかった。


 麻薬に逃げ道を求めた友人は、最期に言葉を残した。


 父親はほんの一瞬で母親の頭を撃ち抜いたが、少年は何度同じ場面になっても躊躇いが生じた。

 その一瞬で自身が撃たれる事があってもそれはそれで良かった。

 必死に生きているのに、生きようとする理由が無いのだ。

 今終わろうとも、いつ終わろうとも、悔いは変わらず残り、そしてその悔いを叶える術を少年は知らない。


 自分を置いていった両親の様に、また自分を置いて逝ってしまう友人の最期の言葉。


 悪魔を召喚しようとした、と。


 麻薬中毒者の発言だ、妄言に決まっている。

 普段ならそうだった、そう決めつけて引き金を引き終わった話だ。


 しかし、その友人の後ろに光る円は何だ?

 あの見たこともない文字は何だ?

 その中心から現れる、あのバケモノは何だ?


 少年に訪れたのは、恐怖と歓喜。

 恐怖は友人に向けた引き金を引かし、何故か現れた歓喜は銃口をバケモノに向けた。


「呼び出したのはお前か? 召喚の犧により、お前の魂を頂く代わりに望みを一つ叶えてやる」


 とんでもない契約をソレは口にする。

 しかし、少年はその契約に大きく頷いた。

 向けていた銃を地面に投げ棄て、着ていたシャツを破いた。

 身体に刻まれた十字架をバケモノに見せる。


「この街をぶっ壊してくれ」


 身体に刻まれた十字架。

 神の不在。


 懇願するのは、全ての破壊。

 ボヤけた思い出の消去。

 壊れた未来への暴挙。


 少年はその言葉を口にして、涙を流した。



 幼い頃に聞いた二発の炸裂音が、頭の隅で響いていた。

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