決して恋にはならない

谷地雪@悪役令嬢アンソロ発売中

第1話

「あ、ささくれ」


 少し剥けた指の皮をそのまま引っ張って剥がそうとすると、横から伸びてきた手に阻まれた。


「やめろ」


 私はむっとして、声の主である恭一きょういちを睨んだ。


「だって気になる」

「俺が処置するから。いいか、絶対触るなよ」


 恭一は立ち上がって救急箱を取りに行った。ここは私の家だというのに、勝手知ったる風に動くのがなんだか癪に障る。それだけ、彼が私の家に入り浸っているということだけど。

 恭一は別に恋人ではない。もちろん家族でもない。友人というのもしっくりこない。けれどただの知人というには、あまりにも近くにいた。


さくら、手出せ」


 大人しく私がささくれのある方の手を差し出すと、恭一は飛び出している皮膚を先の丸くなった小さなハサミで短く切り、ワセリンを塗って、絆創膏を貼った。


「これで良し。剥がすなよ」

「はぁい」


 私は絆創膏を巻かれた指を眺めた。こんな丁寧にしなくたって、放っておけばそのうち治るのに。


「ついでにこっちも塗っとくか」


 恭一の長い指が私の顎を固定する。そのまま、指に掬ったワセリンを唇に薄く塗った。


「お前これ、また剥いたろ」

「だって剥がれてくるんだもん」

「剥くから剥がれるんだろ。マメに保湿しろ」

「面倒くさい」

「やれ」


 厳しい声で言われて、ぶすっと頬を膨らませる。なんだってそんなことを言われなくてはいけないのか。お母さんか。


 無くて七癖、というくらい、人には誰にでも癖がある。

 私の癖は、これだ。皮膚を剝いてしまう癖がある。

 だって気になるじゃないか。パリパリと浮いてきてしまう唇の皮はしょっちゅう剝いてしまうので、リップクリームを塗ってはいるけれど、塗ったら塗ったで皮が浮いてくるから無意味な気がしている。

 指先の皮もしょっちゅう剥いてしまう。ささくれは勿論、爪の横のところが特に盛り上がっている気がして毟ってしまう。毟るとまたそこから皮がぺろぺろと段差になるので、更に剝いてしまう。

 なんなら爪も剥いてしまう。端のところを爪でカリカリとやるとそこから切れ目が入って、そのまま爪を毟り取ることができる。ただ毟る範囲の調節はできないので、よく深爪になりすぎて血が出ていた。

 硬くて剥けない場所は、歯を使ってしまうこともあった。さすがに口は不衛生だと思ってやめようとしたこともあったが、ほとんど無意識にやってしまっていた。癖とはそういうものだろう。次第に諦めた。

 そんな風にしているから、私の指先はいつもぼろぼろだった。子どもの頃からずっとそうだった。でも誰にも注意されたことはない。親にもだ。そもそも親は私のこの癖を把握していたのかどうかもわからない。

 手持無沙汰な状態だと、ペンを回したり、練り消しを作ったり、そういう手遊びをしだす子どもがいる。私のこれも、そういう類のものだと思っていた。だから特段、直そうともしていなかった。

 変化が訪れたのは、大学で恭一と出会ってからだ。

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