痛み分けの犯罪

森本 晃次

第1話 エントランス

この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和5年2月時点のものです。いつものことですが、似たような事件があっても、それはあくまでも、フィクションでしかありません、ただ、フィクションに対しての意見は、国民の総意に近いと思っています。ただ、今回のお話はフィクションではありますが、作者の個人的な苛立ちが大いに入っていることをご了承ください。今回の小説は、日本の未来について、少し作者が憂いたところから始まっております。


 ある会社が入っている雑居ビルである。

 都心部に近いところにあり、その場所というのは、駅前から斜めに走っている片側2車線という大通りに面したところにあった。

 それでも、駅からは20分近く徒歩でかかるので、そこまで遠くはないとはいえ、通勤圏内としては、ギリギリというところであろうか。

 ただ、駅前から途中までは地下道が通っていて、ある意味、便利がいい。そこまでは、信号を使う必要がないからだった。

 さらに、地下道の下を、地下鉄が通っていて、地下道は、その地下鉄の、ちょうと一駅分ということで、かなり楽ができるのだった。

 地下道自体は、地下鉄よりも、少し後にできていて、元々、この駅の周辺には、コンピュータ関係の会社が乱立していたのだが、地下道ができてから、5年もしないうちに、郊外の埋め立て地に、以前、博覧会を行ったことのある跡地に移転することで、実際には、地下道を通る人が、相当減ったのだった。

 だが、さすがに一度掘った地下道を、再度埋めるなどというバカげたことをするはずもなく、今でも利用している。

 特に、地下道の半分は、自転車駐輪場になっていて、これは、コンピュータ会社が乱立し、賑やかだった頃から変わっていない。

「時代を読み間違えた」

 と言えるかも知れないが、いまだに使用している人は少なくない。

 何と言っても、コンピュータ会社が抜けた後に、新しくビルを建て替えて、違う会社も入ってきているのも、事実だ。

 しかし、バブルが弾けてからこっちは、都心部の家賃の高いところにわざわざ事務所を借りる会社も減ってきていて、

「埋まっても、半分くらいがいいところか?」

 ということになった。

 というのも、立て方としては、こじんまりとした事務所を想定していることで、部屋がいっぱいできてしまった。一つの部署で一つの事務所というくらいのところが多いので、

「事務所が埋まらない」

 というのも、無理もないということなのだろう。

 それを思うと、

「都心部は、どんどん事務所が減っていって、ドーナツ化現象になるんだろうか?」

 と考える。

 というのも、バブルが弾けてからこっち、

「経費節減」

 ということで、

「家賃の高い都心部に事務所を借りるなどもったいない」

 ということと、さらに、

「郊外に、物流センターを建設する」

 という計画を持っている企業は、そこに本部機能を移管する方法を取っているところがあるのだった。

 これは、経費以前の問題で、インフラの関係から、

「高速道路の近くに物流センターが多い」

 ということを考えても分かるように、それだけ、交通の便の良さが、そのまま流通による、

「時間の無駄」

 を省くことができるということが、一番の理由だった。

 そうでもないと、

「あんな不便な会社と取引するよりも、高速の近くの便利のいい企業と取引をする方が、便利でいい」

 ということで、便宜上を優先する会社だってたくさんあるからだった。

 郊外型の流通センターは、一時期流行った。

 今もたくさんあるわけだが、それは、昔からと比べて、流通の在り方というか、

「流通業の考え方が変わってきた」

 ということが大きいのかも知れない。

 特に、昭和の頃のスーパー関係などの展開が変わってきたからだ。

 詳しいことは分からないが、時期的に、

「コンビニがどんどん、全国で増え始めた」

 というところから始まってるのかも知れない。

 コンビニエンスストアというと、正直、

「読んで字のごとく」の、

「便利さ」

 というものなのだろうが、便利さとはあくまでも、

「24時間開いている」

 というだけで、それ以外は、

「品ぞろえは悪いし、あっても、数個しか置いていないので、すぐに売り切れる」

 というものだ。

 しかも、フランチャイズの関係なのか知らんが、

「同じ名前のコンビニでも、徒歩5分くらいの近くにある店であっても、品ぞろえがまったく違うのだ」

 つまりは、

「同じチェーンでも、置いてあるところと置いてないところがある」

 ということで、

「チェーン店で、ほしいものがあるか、あるいはないのか?」

 ということがまったく分からない。

「これで何がコンビニなのか?」

 と思う人は、結構いるのではないかとか思うのだ。

「時間以外は、行く気もしない」

 と言いたい。

 特に、レジ袋が有料になった時などひどかった。

 というのも、

「レジ袋の有料化」

 ということで、確かにそれまでは、サービスだったので、袋の大きさを、相手が決めるのは、

「百歩譲って」

 許されることかも知れないが、スーパーであれば、

「客の申す通り」

 もくれていたものだった。

 しかし、今度は逆に、レジ袋が商品になったのだ。

 普通であれば、

「一番大きなものをください」

 といえば、コンビニであろうが、どこであろうが、対価を支払うものに対して、

「こちらにしてください」

 とは言えないはずだ。

 コンビニの場合、それを明記してあるところがあった。

「レジ袋は、買い物の量に合わせてください」

 なる文句を見たことがあった。

 これが、無料のサービスであれば、客も文句は言えないのかも知れないが、それも、おかしな話だ。商品を買ってもらった相手に、それをいうのは違うと思う。

 それはさておき、お金を取っておきながら、このいい分は、通らないだろう。

 レジ袋だって、お金を取る以上、

「通常商品」

 と変わらない。

 つまり、同じ商品であるが、

「5円のものではなく、3円のものにしてください」

 と言っているようなものだ。

「5円のものをください」

 といって、

「いいえ、3円のものしか売れません」

 などというのはありであろうか?

 お米を買いに行って、

「10kgください」

 といっても、

「2kgにしてください」

 で許されるのか?

 さらに、このレジ袋であるが、コンビニによっては、有料化ということになったとたん、客が知らないとでも思っているのか、今まであった、一番多きな規格というものを、取りやめたのだ。

 そして一番大きいといっている袋ですら、スーパーで買う袋に比べて、2まわりくらい小さいのだ。

 しかもである。薄くてすぐに敗れそうな袋であり、

「質も落とした」

 ということであろう。

 さらに、まだ腹が立つことがある。

「スーパーの一番大きな袋は5円なのに、コンビニの、通称、一番大きいといっている、スーパーから見て2まわり小さくて、すぐに破れてしまいそうな袋は7円である」

「2円くらいの細かなことで」

 という人もいるかも知れないが、そういうことではないのだ。

 コンビニにおける、

「あからさま」

 というか、

「露骨な嫌がらせ」

 ともいうべきやり方に腹が立つのだ。

「これで、コンビニエンスなどというのは、お臍が茶を沸かすではないか」

 というほどの、トンチンカンな話なのだ。

 それを思うと、

「最近のコンビニの店員が、外人どもばかりなのが、分かるというものだ」

 という、コンビニ業界の破綻が見えてきたような気がするのだ。

 そんな、今では、悪名高き、

「コンビニ」

 が増えてきたわけであるが、

 そのせいで、昔とスーパーの在り方が変わってきた。

 昔であれば、バックヤードと言われるところも、結構広く、倉庫のようなところもあってか、発注を行う方でも、ある程度は楽であった。

 というのも、昔は、

「棚に入らなければ、バックヤードに積んでおけばいい」

 という考えもあった。

 そもそも、

「今ほど、いろいろな商品が開発され、アイテムが増えたということもない」

 と言えるだろう。

 特に、アイテムの中には、

「キャラクター商品というもの」

 あるいは、まったく同じ商品でも、

「増量版」

 などと言って、

「違う商品」

 として扱うので、棚が必要だというものもあることだろう。

 ということは、それだけ、

「一つの棚に入る商品の数が少ない」

 ということになる。

 だから、たくさん発注しても、置くところも売り場もなくなってくるので、発注する数が少なくなるというものだ。

 発注には、見る点が、いくつかあるが、まずは一番の問題は、

「売り場の商品のどれが、売れ筋であったり、死筋であるかということを把握しておいて、売れる商品の数が少なくなってくれば、発注する」

 というわけだが、

「どこまで減れば、どれだけ発注する」

 ということが、発注というものの考え方である。

「ここでいう、

「どこまで減れば」

 というラインのことを、

「発注店」

 といい、

「いくつ発注すればいいか」

 ということで、その基準となる目安が、

「発注単位」

 と言われるものであった。

 何が変わってきたかというと、発注単位の問題である。

「棚に入るかずが限られていたのだから、棚にそもそも、10個しか入らないものを、昔のように、広くない倉庫で、20発注するわけにはいかない。だから、発注単位というものが次第に見直されてきた」

 ということである。

 昔であれば、

「発注単位が、ケース単位だ」

 というもの、例えばカップラーメンが、コンビニなどの出現で、バラに入荷することになる。

 問屋の倉庫には、メーカーからケースで入ったものの、バラされた、残骸のようなものが、散乱していることになる。

 それでも、それが時代の流れなのだから、仕方がないというものだ。

 昔は発注も、手で数字を拾い、電話で、注文していたものだ。

 それが、

「発注書をファックスする」

 というものであったり、

「端末を用いて、ハンディターミナルで、バーコードをスキャンして発注する」

 というものに変わってきた。

 今では、レジもセルフレジのようになっているが、発注端末などは、昔から、ハンディターミナルであった。レジのポス化は進んでいるが、なかなかセルフというところまえは、かなりの年月がかかったようだ。

 そんなスパーを中心とした、

「流通業」

 というものが、いろいろな形での、流れを持つようになった。

 たとえば、

「流通を小売りが担うのではなく、メーカーと小売りの間にある問屋というものをうまく使う」

 という方法である。

 メーカーから、問屋がケース単位で、モノを仕入れて、それを今度は、小売りに対して、商品を、納入するという形で、その問屋から小売りに対して、

「各店舗ごとに、納入する」

 というやり方であったり、

 問屋から、各小売が所有している流通センターに対して、

「ケース単位で納入し、小売りの流通センターから、各店舗に納入する」

 というやり方である。

 最初は前者が多かったが、次第に後者へと変わっていく。

 ちなみに、メーカーから直接、小売りにいかないのは、

「メーカーへの発注単位が、数十ケースが一つの単位ということいなっている」

 ということから、とてもではないが、

「小売りの倉庫に、すべてのアイテムが入るわけがない」

 というわけであった。

 後者に変わっていった理由には、いくつか考えられる。

 まず一つは、

「スーパーが都心部などにあって、そこに各納入業者が押し寄せれば、場所的にトラックを止める場所がないのと、さらに、そのために、納入時間がバラバラになったりすることで、効率が悪い」

 ということである。

 しかし、一旦、物流センターに集めた上で、

「すべて、発注したものがいくつかのかごにすべて入っているとすれば、納入は一度で済む」

 というわけである。

 ということになると、問題は、

「どこが物流センターを持っているか?」

 ということである。

 小売りがもっていればいいのだが、小売りもすべての小売りが持てるわけはない。

 そこで考えられたものとして、デイリー商品やチルド、冷凍などのような、

「日持ちのしないもの」

 あるいは、

「毎日納入が必要なもの」

 という業者による。

「共配」

 というものである。

 略さずに言えば、

「共同配達」

 であり、配達する時に、どこか代表となる問屋に商品を集めて持ってくるというものだ。

 問屋のセンターで、商品を、

「店舗ごとに仕分ける」

 というパターンと、

「納入業者が、店舗ごとに分けて持ってくる」

 というパターンがあるが、基本的には前者ではないだろうか?

 下手をすれば、

「箱の中に、ほとんど入っておらず、箱だけがかさばる」

 ということになりかえないからであった。

 それを考えると、問屋の時点で、再度仕分け直すという手間ができるが、配送効率としては、詰め替える方がいいだろう。

 そうしないと、箱が足りなくなることもあるし、トラックにも、商品が載り切れなくて、「トラックの台数ばかりが、増えてしまう」

 ということになりかねないからだ。

 そして、この方法で、

「最終的に、一度の納入機会で、納めることができる

 という、物流センターを運営するやり方で、納入するというやり方もあるのだった。

 この場合の、

「共同配送」

 というシステムは、どうしても、納入時間に制限がある場合などに多いだろう。

 賞味期限が短いのだから、急いで納入しないといけないということもあり、それぞれの問屋がたくさん納入しに来るというのも、難しいことだ。

 しかも、小売りによっては、

「デイリー配送センターのようなものを持っているだろうが、それこそ、メーカーによって、バラバラに納入されて、仕分け作業を行うとすれば、時間的な制約などもあり難しい」

 と言えるだろう。

 こういう場合に、効率的な問題以外にメリットを考えると、もちろん、

「物流センターの管理をしないでいい」

 という問題から、人件費、家賃の問題などと、問屋にその機能を持たせて、問屋で仕分けをして持ってきてもらう方が、経費、効率ともにありがたいといってもいいだろう。

 ただ、センターを作った場合というと、納入業者に、

「センターフィー」

 という、使用料のようなものを、

「数パーセント、仕入金額の中から払う」

 ということが、当たり前のようになっているのだ。

 特に、郊外型のスーパーが増えてくるようになると、郊外にその機能を持つようになり、問屋であったり、小売りが、郊外に、

「物流センター」

 というものを持つようになる。

 そうなると、今まで都心部の雑居ビルの中に、本部機能を持った、

「地域の本社」

 とでもいえばいいのか、

「支店」

 であったり、

「支社」

 というものの機能も、センターと別々に持っているのが、もったいないということにもなるだろう。

 ただ、問題は、

「今まで都心部の交通の便のいいところに事務所を構えていた人たちにとってはありがたいところに通勤をしていたのだが、事務所が移転するとなると、通えないという人も出てくるではないか?」

 という問題がある。

 それとは別に、

「物流拠点と、本部機能が別の場所にあるということになると、今度は、何かと不便なことになりかねない」

 ということで、

「都心部のままがいいのか?」

 あるいは、

「物流センターとの一元化」

 というのがいいのか、難しいところである。

 それは、扱う商品いよっても、業態によっても変わってくるというもので、そのあたりは、それぞれの会社の事情ということがあるだろう。

 それでも、主流派、やはり

「物流センターを、郊外に作ったのだから、本部機能を移すということにしないと、せっかくの物流センターを作った意味がない」

 と考えているところが多いであろう。

 そういう意味で、都心部の、

「家賃の高い事務所」

 というのは、どんどん減っていって、営業所として、小さなオフィスを借りるというところ、つまりは、

「在庫などのない、流通センターを必要としないところが、都市部の事務所を借りるの」

 ということになるのだろう。

 そういう意味でも、都会のオフィスというところは、

「こじんまりとした、狭いオフィス」

 というところが主流となり、昼間など、営業が飛び回っている。たとえば、保険会社であったり、金融関係のところが多かったりするのではないだろうか?

 そんな都心部の事務所の中に、少し縦長の、実に狭い事務所を抱えるようなオフィスビルがあった。一階には、

「ほか弁屋」

 があり、その隣が小さな事務所に繋がるエントランスになっていた。奥の方にエレベータの入り口があり、そお手前と、月当たりには扉があったのだ。

 突き当りの扉から向こうは、ボイラーのようなものがあり、そこから、非常階段が続いていた。そして、手前の方の扉には、

「人が出入りします。荷物などは前に置かないで」

 という貼り紙があるので、

「倉庫か何かかな?」

 ということであった。

 さらに、今度はエレベーターの前にも何か扉のようなものがある。

 実に変な構造をした1階のエントランスであったが、これが、実はとんでもなく歪であることから、今度の事件が起こったといってもいいかも知れない。

 そんな歪なビルを、里見ビルと言った。

 入り口の扉には、カギがかかっているが、入ってすぐのところに、警備の機会があった。

 液晶のモニターには、階を五メス数字と、下には、

「警備」

「解除」

 などとう-いうボタンがある。

 階の数字を押して、帰る時に警備を掛けるのであれば、警備ボタンを押し、セキュリティカードをかざすことで、警備が掛かるという仕掛けになっていた。そして、すべての階の警備が完了してしまうと、エントランスから数十秒で出なければ、警報が警備会社に行くという仕掛けになっていた。

 しいていえば、

「ごく一派的な警備体制だ」

 ということになるのだった。

 そんな歪といってもいいかと思うマンションは、地上6階、地下一階という構造であった。

 地階には、歯科医が入っていて、話を聴くと、

「その場所には、6年くらいはいる」

 ということであった。

 ビルに入っている事務所の人たちの中には、その歯医者さんにお世話になっている人も数人はいるだろう。その歯医者の診察日と診察時間は、さすが、都心部のビルクリニックという感じのところであった。

「休診日は、水曜日と、祝日。土日は、午前中のみの診療」

 ということであった。

 土日も診療をしているということで、このビル以外の患者も当然多かっただろう。

 このビルが縦長になっているということもあり、ビルは、

「ワンフロア、ワンオフィス」

 というのが、基本だった。

 だから、各階の事務所の入り口は一つしかなく、エレベーターを降りてからというのは、左側にトイレ(男女専用)があり、右側には、非常階段に繋がる扉がある。そして、エレベータの正面には、事務所の入り口があるというのが、各々の階のエントランスになっていた。

 各階は、エントランスというには、実に寂しいほどの広さで、ちょっとしたものを置いただけで、すぐに、いっぱいになるほどの狭さであった。

 特に、傘立てであったり、消毒液や、入室ノートなどを置いた机を設けるだけで、本当に狭くなるほどであった。一気に、半分の広さというくらいに思えるほどであった。

 ただ、

「ワンフロア、ワンオフィス」

 というのは、ある意味、

「都合がいい」

 といってもいいかも知れない。

 つまり、

「自分の階は、自分の事務所だけで、責任を持てばいい」

 ということだからである。

 他に事務所があれば、そこが警備を掛け忘れてしまうと、

「最後にそのフロアを出る会社が警備を掛けようとしても掛けられない」

 という事態に陥るからだ。

 そういう時は、しょうがないから、警備を掛けずに帰るしかないのだろうが、そうなると、警備の意味がまったくないということを示しているのだ。

 一つの階に一つの事務所であれば、問題は、

「ビルからの最終退出者」

 ということになり、

「最終警備を掛けられない」

 ということだ。

 そうなった時は警備を掛けずに、扉の鍵だけを掛けて帰るという、警備が中途半端な状態になるのだった。

 そんな、

「歪な里見ビル」

 において、これまた、不可思議ともいえる事件が発生したのは、ある日の金曜日のことだった。

 里見ビルの警備を請け負っている、

「MK警備会社」

 というところがあるのだが、その警備会社のアラーム、つまり不法侵入などを検知する刑法がなったのは、金曜日の、午後11時頃のことだった。

 警備員は、さっそく、現地に飛んでいき、玄関の扉を、スペアキーで解除して、中に入った。

 アラームが、エントランス内に、鳴り響いていたので、煩わしさからその音を消す。

「一体、どこの誰の悪戯だ?」

 とばかりに、最初から、

「何かの間違いか、悪戯以外にはないだろう」

 と決めつけて、

「ええい、面倒臭い」

 とばかりに、適当に形式的な警報の解除をするだけで、すぐに帰れると思っていた。

 まぁ、普通はそうだろう。

 警備の警報が鳴り響く中、解除をすれば、まだその余韻が耳に残ってしまっていた警備員は、

「これも、職業病のようなものだな」

 という諦めの境地の中で、とりあえずは、

「形式的な見回り」

 というものをするだけで、

「さっさと帰ろう」

 と、すでに気分はそのエントランスから消えているくらいだった。

 だが、エントランスから奥の方を見て、これも形式的に、奥の非常階段の扉を、何の気なしに開いた一人の警備員が、

「うっ」

 といって、鈍い声を上げた。

 こういう警報が鳴った時は、本当は一人でいいはずなのだが、何といっても、警報がなったことで、

「泥棒」

 というものの存在を考える必要があるので、必ず、

「ペアでの行動」

 というのが、義務付けられていたのだ。

 一人が、非常階段の扉を開けて、放心状態になっている相棒を見て、

「普通ではない」

 と思って見たもう一人の警備員も、まったく同じリアクションをしたのだ。

「本当に恐ろしい時のアクションには、個人差などというものは、ないのかも知れないよな」

 ということなのであった。

 さすがに最初に金縛りに遭った人間が、最初に我に返ったことで、もう一人も同じ穴縛りだと思った時、彼は放っておいて、目の前の状況を整理することを考えた。

 電気もついていなくて、実に真っ暗なところに、扉を開けたことで、差し込んでくる光が、その場所を照らしていた。

「真っ暗なのに、よく見えたものだ」

 と思った警備員であったが、

「ああ、なるほど、そういうことか」

 と感じたのだが、それは、非常階段というのは、ビル内にあるのではなく、青空の包帯の階段だった。

 ということで、表の明かりが少しだけでも、漏れてきたのだった。

 とはいえ、真夜中に差し込んでくる、いかにも、

「蛍雪」

 といってもいいくらいの、申し訳程度の明かりでは、目が慣れてくるまでは、まったく見えなかったといってもいい。

 だから、警備員がその場に固まってしまったのは、本当にすぐだったのか怪しいものだ。もし、すぐだったとすれば、そこには、

「あるはずのない違和感を感じさせる何かがあった」

 ということで、

「何かがあった」

 というよりも、

「佇んでいた」

 という表現が一番ハッキリしているのではないかと、警備員が感じたのだった。

 確かに佇んでいる何かを感じたという思いはあるが、逃げ出したいという衝動に駆られるまでには、時間が掛かったことだろう。

「逃げ出したい」

 という感情がなければ、金縛りなどという状況に陥ることはなかったのだと感じるからだった。

 警備員がその黒い物体を、今度は我に返ってみると、そこに転がっているのが、肉体であり、大きさからいっても、

「人間である」

 ということは、

「疑いようのない事実だ」

 ということを感じるのだった。

 少し屈みこむようにして覗きこんでいたが、

「なぜ、懐中電灯をつけないのか?」

 と、賢明な読者であれば、そう思うのだろうが、隣には、まだ、金縛りに遭った同僚がいるのだ。

 本来なら、

「自然に金縛りから解けなければいけない」

 ということを、本人は分かっていることだろう。

 そして、当然、たった今金縛りから解放された警備員も同じことを感じているに違いない。

 だから、懐中電灯というのは、使えなかったのだ。

 次第に間が慣れてくると、そこに横たわっているのが人間であることは、疑いようもない事実だと感じると、今度は、

「死んでいるのか、生きているのかが気になってくる」

 こうなると、懐中電灯をつけないわけにはいかなくなり、その時には、同僚も金縛りから解けていくのが感じられたことで、いよいよ、その正体を垣間見ることにしたのであった。

 懐中電灯をつけて、その様子を見ると、顔は断末魔の表情で、カッと見開いた目は、明後日の方向を向いていた、

 手は、虚空を掴むかのようになっていて、瞬きもしていない。

 身体の方を見ると、胸から、真っ赤な液体が、流れ出るのが感じられた。

 警備員は、とっさに時計を見た。

「まだ、11時半にもなっていない」

 と感じたが、それも当たり前のことであった。

 というのを、とっさに感じられるのだから、かなり落ち着いてきているということであろう。

 もっとも、これくらいの判断ができるのは、この警備員が、こういう仕事には慣れていたからなのかも知れない。

 さて、胸元を見ると、そこからは、何か光る液体がこぼれていた。ぬるぬるするものに感じられ、光の光沢が、透明ではないということを感じさせたので、この状況から、

「被害者の血であることは間違いない」

 と言えるであろう。

「とりあえず、警察と救急に電話を」

 ということで、それぞれが、警察と、救急に電話を入れた。

 二人は、被害者の生死に関しては確認せず、救急を呼ぶことにした。

 本当は確認すべきなのかと迷ったが、とっさに、

「時間的には、まだ生きている可能性も十分にある」

 と思ったのだ。

 警備員が時間を確認したのは、そのことを無意識に考えてのことだったようで、

「犯行が行われて、ほとんど時間が経っていない」

 と感じたのも理由があった。

 というのも、

「警備の警報が鳴ったのが、午後11時少しして」

 のことだった。

 少なくとも、そこには、被害者の他に誰かがいたということだろうから、まさに刺される前後の瞬間だったということは、容易に想像がつく。

 そんな状態から考えても、

「犯行時刻から、数十分、それも、20分以内だった」

 ということになるだろう。

 それを感じた警備員が、被害者に触らずに連絡を優先した理由も分かるというものだ。

 ただ、警備員の感覚として、被害者が、微動だにしないことで、

「すでに絶命している」

 ということに、ほぼ間違いないと考えられた。

 そこで、勝手にいろいろ触ることはできないが、足元などに、何か証拠品がないかということを探していたのだったが、どうやら目立ったところに、何も証拠になるようなものは落ちていなかった。

 これが、

「計画的な犯罪」

 ということであれば、何かが見つかるということはほぼないだろう。

 今の段階として、考えられることは、

「計画的な犯罪だという可能性も大きい」

 ということであった。

 警備員としては、

「果たして計画的な犯罪と、無意識な犯罪のどちらがいい?」

 ということは、難しいといえるのではないだろうか?

 というのも、

「無計画であれば、通り魔殺人」

 ということも考えられ、それは実に恐ろしいことだ」

 と言えるのではないだろうか。

 そんなことを考え、警備員は、何もないというのを、肉眼で見える範囲で探してみたが、そもそも見つかるわけはないと思っていただけに、すぐに諦めたのだった。

 そうこうしているうちに、警察が到着した。

 痴漢的にちょうど、15分くらいであろうか。警察が到着し、警備員から事情を聴こうと思ったその時、救急車がやってきたのだ。

 きっと、救急車は、救急の用意があったことから、警察よりも少し時間が掛かったということと、警察署の方が、消防署よりも、かなり近いという立地条件も重なって、警察が早かったのも当たり前だと、警備員も感じた。

 特に、最初に死体を発見した警備員は、昔救急の仕事を少しだけしていたことがあったので、そのあたりの事情はよく分かるのだった。

 まずは、救急隊の人に、診てもらったが、少し悲しそうな表情で、首を振った。

「絶命しています」

 と静かにいうと、

「じゃあ、後はお任せします」

 ということで、救急隊は帰っていった。

 これは、実に当たり前のことであり、

「救急車に、死人を載せることはない」

 というころだからであった。

「死人を載せて、運んでいる間に、本当に救急の患者に間に合わなかったなどというと、誰が責任を取るか?」

 ということになるのであろう。

 それを思うと、救急車が、死人を載せないというのも分かるのだが、それ以上の理由としては、

「管轄が違う」

 ということである。

 言い方はきついが、絶命し、死体となってしまうと、それはもはや、

「人間ではなく、モノなのだ」

 ということになるのだ。

 警察も、万が一ということもあるとは思ったが、生死が曖昧だったことで、初動としては、刑事二人だけで、やってきていたのだ。

 そして、救急隊から、

「絶命されています」

 と聞かされた時、やっと電話で、鑑識を呼び寄せるということになったのだ。

 鑑識がやってくる前に、

「なぜ、死体発見ということになったのか?」

 といういきさつについて、聞いてみることになった。

 刑事としても、発見者が警備員であるということに、一瞬違和感があったが、すぐに、その違和感は消えていた。

 というのは、時間が時間、深夜の時間帯だということを分かっていたからだった。

 このあたりのオフィス街で、すでに、終電というものが、なくなりかけて、11時半ともなると、終電に間に合うことは不可能だという状態だったので、警備員が第一発見者でも、不思議ではなかったのだ。

 あれは、数年前にあった、

「世界的なパンデミック」

 というものに端を発していた。

 今はすでに、

「解決済み」

 と政府が勝手に言っているだけで、実際には、患者はいまだにかなりいるのだが、政府は、自分たちが私利私欲に塗れるために、金を出したくないということで、その犠牲を国民にしいて、

「自分の命は自分で守れ」

 と国民に自分たちの犠牲になれとばかりにいったという、

「実に政治は、世紀末」

 という様相を呈してきたのだった。

 しかも、腐っているのは、政府だけではなく、鉄道会社もひどいものだ。

 今までは、

「午前一時くらいまで、終電があったのに、今では、午後11時をすぎたあたりで、すでに終電はなくなっている」

 という、

「便乗ともいえるサービス停止活動」

 というものを、あからさまに、そして露骨に行っていたのだった。

 そんな状態において、当然ともいえるこの時間に、

「ビルの中で倒れている人を発見した」

 というのだから、警備員であるということは想像がついた。

 だが、まさか。

「警報が鳴ってから、飛んできた警備員」

 だとは思わなかった。

「そこに何らかの犯人による意図が働いていたということなのか?」

 ということを考えたは、警備員の話で、警報が鳴って、急いでやってきたということが、理屈としては、成り立っているかのようだった。

 だが、すべてが納得のいくものではなかったが、あとになって、管理会社に聴いた理湯を考えれば、無理もないことだったに違いない。

 犯人にとって、

「警備員が来るということは、織り込み済みだったのだろうか?」

 という疑問が警備員にあった。

 自動的に、第一発見者が自分たちえあることの必然性が、そこにあるということは明白だったのだ。

 そんなことを警備員が考えているということは、まだ、刑事には、分かるはずもなかったのだ。

「とにかく、鑑識が到着するまで、状況をお伺いしましょうか?」

 ということで、一連の流れを話したのだ。

 警察の方も、このビルの縦長さというものに、違和感があった。

 その違和感がどこから来るのかということは、すぐに分かるものではなかったが、警察と警備員が、事情聴取の中心だというのも、実におかしな話だといえるのではないだろうか?

 そんなことを考えていると、警備員は、一通りのことを刑事二人に話した。

 刑事は半分分かったような分からないようなというところであるが、その理由というのが、

「このビルは警備員が考えているよりも、もっと不可思議なことの多い構造になっている」

 ということだったのだ。

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