第2話 ︎︎天と地

 夜の帳が降りる頃、テオは小さな洞窟に辿り着いていた。予定よりも早足で進んだため、オプタの体力を削ってしまっている。


 オプタに水と飼葉を与え、汗を拭う。荒野では昼と夜で気温差が大きい。汗を放置しては病を呼ぶだろう。それはテオも同じだ。


 洞窟内に焚き火を起こし、温まる。この洞窟は旅人の休憩地になっているのか、既に木組みができていた。その傍に少年を寝かし、少しずつ水を飲ませる。弱った身体に重いものを入れては逆効果だ。


 少年の息が落ち着いてきたら、布を湿らせ身体を拭いてやる。弱ってはいるが、想像よりしっかりとした体つきをしていた。これを見るに、そう長い事彷徨っていた訳ではないだろう。身体を拭くのと同時に怪我が無いかも確認したが、心配は無用だったらしい。


 ほっと息を吐き、自分の食事を用意する。乾パンとチーズだけだが贅沢は言えない。パサつく乾パンを水で流し込み、眠りについた。


 翌朝、すよすよと眠るテオの傍に影が落ちる。その影は思いっきりテオの脇腹を蹴り上げた。


「ぐほぉっ! ︎︎な、なんだ!?」


 飛び起きたテオの前には、昨夜まで死んだように眠っていた少年が立ち塞がり、睥睨している。テオは訳も分からず呆然とするしかない。そのザマを少年は鼻で笑った。


「ふん。間抜け面だな」


 その言葉に、ぽかんとしたテオの顔色が徐々に変わっていく。


「て、てめぇ!! ︎︎それが命の恩人に対する態度かよ!? ︎︎礼を言うのが先じゃね!?」


 喚くテオに少年は眉をひそめ、見るからに嫌そうな声で応えた。


「確かに。助けられたのは事実だな。礼を言おう」


 その後は無言が場を支配した。パチクリと目を瞬かせ、テオが間の抜けた声を出す。


「……は? ︎︎そんだけ?」


 脇腹を抑え呻くも、少年は態度を崩さない。細い顎をツンと上げ、腕を組み、見下みくだすという表現がピッタリだ。


「? ︎︎他に何を言えというのだ。礼は言っただろう」


 首を傾げる様は幼く、可愛いと言っていいが如何せん言動が酷い。声もまだ高く、幼さに拍車がかかっている。だが、その声音には可愛げの欠片も無かった。


 テオはわなわなと震えると、少年に指を突きつけ叫ぶ。


「あのなぁ! ︎︎礼っていうのは『ありがとうございます』って頭を下げるんだよ! ︎︎お前の上から目線はなんなんだ!?」


 しかし、少年は何処吹く風。シラケた表情でテオを睨む。


「頭を下げる? ︎︎この私が、貴様に? ︎︎阿呆なのか? ︎︎私は高貴なるエルデルヴェオ。たかがノムンドが、図に乗るな」


 エルデルヴェオ。


 その名を聞いた時、テオの頬が紅潮していった。徐々に興奮が高まっていき、目が輝く。


「エルデルヴェオ……古の天統べる者……あるのか? ︎︎天上の楽園、エデイシアは」


 テオの興奮冷めやら表情に、気を良くしたのか胸を張ってすらすらと答えた。


「何をほざく。エデイシアは絶えず天上に在る。神に与えられた地は、緑に溢れ、清き水が湧き、飢える事が無い。地を這い蹲るノムンドとは違う、選ばれし民だ」


 少年は大仰に腕を広げ、恍惚として黄金の瞳を細める。闇色の髪も、昨日とは全く違い濡れたように艶めいていた。


 たった一晩。


 水しか飲んでいないはずなのに、枯れ枝の様だった身体も瑞々しい。異常なまでの回復力に、テオは目を見張った。これを見せられては、信じるより無いだろう。


 エデイシアは古い伝説だ。


 天空に栄える、恵み萌える浮遊大陸エデイシア天統べる者エルデルヴェオが治める地だ。伝承によれば、エルデルヴェオは金の髪に白い肌、そして七色の瞳を持つとされる。科学と呼ばれる技術が発達し、まるで魔法の様だと言う。浮遊大陸エデイシアの中央には、絶えず湧き出る命の泉イム・オーナがあり、これを口にすれば飢えもせず、汗水を垂らし働く必要も無い。エルデルヴェオは神の祝福を受ける人々だ。


 対し、地に住まうものを地に這う者ノムンドと呼ぶ。世界は四つの大陸の別れ、無数の島々が散り、このウォーマイクの様に荒れた地も多かった。様々な天候は、時に命を奪う。農作物の病気、不治の伝染病、大地を覆う蝗害こうがい、それらは無慈悲だ。果てには少ない恵みを求め、いくさが起こる。人々の精神も荒廃し、天に想いを馳せた。


 この少年は、そのエルデルヴェオだと名乗ったのだ。だが、漆黒の髪と黄金の瞳は伝承とかけ離れている。確かに、人智を超えた回復力は説得力があるだろう。それでも、少年の言を鵜呑みにするほど、テオは純粋では無かった。一瞬、心が踊ったのは事実だが。


「……エルデルヴェオは金の髪と虹色の瞳だと聞いたが? ︎︎お前は真逆だ。それを信じろと?」


 その言葉で、少年の瞳が揺らぎ、テオは見逃す事なく目敏く突いた。


「あれ? ︎︎どうした? ︎︎お前はエルデルヴェオなんだろう? ︎︎その真実を、この哀れなノムンドに聞かせてくれよ。エデイシアの伝承は、古の時代から語り継がれてる。どっかでねじ曲がったとか?」


 肩を竦め、挑発的に笑うテオに、少年は俯き、拳を握りしめた。そして、ぶんと頭を振ると顔を上げ、テオを見つめる。テオは若干、気圧されながらも虚勢を張った。


「おいおい、エルデルヴェオ様にそんなに睨まれちゃ、ちびっちまうよ」


 それでも、少年の表情は引き締められたままだ。気まずい沈黙が場を支配し、どれほどの時間が経ったのだろうか。テオの掌は汗でじっとりと湿っていた。まんじりともしない空気を霧散させたのは少年だ。


「お前は……何故、私を助けた?」


 急な問いにテオは面食らった。何故、と聞かれても、自分でも分かっていなかったのだ。しばらく唸りながら考え込むとパッと顔を上げ、少年と目を合わせる。


「どう……って言われてもなぁ。もう死んでるならまだしも、生きてる奴を見たらほっとけないだろ。それに、この地域では協定で決まってる。人命救助は最優先だ。守らなきゃ、しっぺ返しに遭う。自分のためでもあるんだよ」


 その答えに、少年は自嘲気味に笑った。


「そうか……ここでは私も、ノムンドと変わらない」


 あまりの落ち込みように、テオは少しのからかいを込めて問いかける。


「お前をエルデルヴェオと仮定してだ、お前は何故ここにいる? ︎︎エルデルヴェオが地上に降りたなんて話は聞いた事がない。しかもその姿。伝承とは程遠いが?」


 意地悪く口を歪めるテオに、少年は小さいが、しっかりとした口調で応えた。


「私は、はかられたんだ」

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