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由多へ 神田 夏人
唯斗のこと、驚いたね。今彼は、都会の進学校に通ってる。
そして僕は今日で28歳になったよ。7月になるといつもあの日のことを考える。
僕はまだ例の航空機関連の製造会社の開発部署で働いている。下請けの下請けだけど、飛行機を作っているわけだ。
研究者の道に進みたかったけれど、それほど向いていたわけじゃなかったみたいだ。頭脳もそうだけど、研究の世界は競争が激しいしね。今は仕事に打ち込んでそれなりに満足の行く生活をしている。こちらに越してから出会った彼女とも結婚にこぎつけそうだ。
世の中はどんどんギスギスした方向に向かっている。僕たちの国と隣国の政治家はいつも罵り合っているし、それを諌めようとする野党は敵国のスパイみたいに糾弾されている。そしてついに僕たちの国は、大国に睨まれながらも核兵器を造ろうと言い始めた。本当にそんなことになったら僕たちの業界も無関係じゃない。
争いはゴメンだ。僕は今の生活と昔の思い出を大事に守っていきたい。
8月12日 宇田 由多
夏人からは三、四日に1回のペースで手紙が届いていた。唯斗からの手紙はまだ一度もない。送られてくる度に夏人は歳をとり、人生の段階を着実に進めていた。そして唯斗も。
こちらから返事を書いたのは今日でまだ2度目だ。前回、香も夏人からの手紙を受け取っていたようだ。ぼくはおじさんが女子小学生に手紙を送るのは気味が悪いと思ったし、手紙にもそう書いた。
それから彼が、小学生のぼくたちの生活を平和で美しいものだったみたいに書いているのも気に入らなかった。「おしつけはやめてくれ」とぼくは書いた。
8月13日 宇田 由多
昨日、朝の掃除をしていたら真子に呼び出された。
「やっとくよ」とヨシキが言ってそっちを見るので、ぼくは掃除をサボって中庭のベンチに来た。
風はぬるくて、上にある藤棚の格子のすき間からは相変わらず緑色の空がのぞいていた。真子はなかなか話し始めない。最近あまり突っかかってこないし、ぼくはひどく居心地が悪かった。
「これからどうするつもり?」
やっと口を開いた真子はそんなぼんやりとしたことを聞いてきた。
「は?これからって?」
「もしここからずっと出られなくて、十年、二十年暮らすことになったら」
「そうなったら物資がとだえて死ぬよ。それかずっと支援されて大人になるか。外の世界次第だ」
「そうじゃなくて。ここで大人になるなら、私と結婚する?」
思ってもみなかった言葉が出てきた。
「え、嫌だよ」
結婚なんて考えたこともなかったし、するとして真子が相手なんて…。
「やっぱりエリが好き?」
また、とっぴょうしもない名前が出た。エリは同じクラスの女子で、真子とは別の女子グループの中心的な子だ。いや、とっぴょうしなくないのかもしれない。わきの下がチクチクした。顔も赤くなっていたと思う。
ぼくの知らないところで、みんなそんな話をしているのだろうか。いつもなら女子と2人で仲良く話なんかしていたら他の男子に冷やかされるのに、今はぜんぜんその気配がない。当のエリも近ごろはサッカーが上手いという5年生の男子といっしょにいるのをよく見かける。
もうみんなここで心中することに決めてしまったのだろうか。優しくて生温かくて救いのない、嫌な空気だった。学校の中でさえぼくを置いて時間が進んでいくような気がした。
今日の昼、音楽室に行った。そこに田井中ナオという6年生がいるはずだった。女子の居室になった柑橘の匂いがただよう音楽室の前で廊下に座っていたジャージの女子に声をかけた。
「ナオー、あんたのファンの子が来てるよ!」
そう呼びかけられて出てきたのは長身でショートヘアの女子だった。目立つ人なので顔は見かけたことがあったし、少し離れた切れ長の目は他にもどこかで見たような覚えがあった。これだけの背が高くて水泳もしているなら、屋上まで登れても不思議ではない。
隣の音楽室準備室に入り、ぼくは窓際のソファに座った。
「香ちゃんの友達だよね」ナオさんはピアノの椅子に座って言った。「屋上のことなら言えないよ」
「どうして?」
「聞きたくなかった、て言うと思う」
「聞きたいよ。ひどいことでも」
ぼくは何も知らないままここで時間を過ごすのだけは嫌だった。ナオさんはしばらく沈黙したあとに言った。
「じゃあ、代わりにひとつ頼みがあるんだけど」
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