第三十三話 空島の正体

「……また分かれ道だな」

 左右に枝分かれする二つの横穴の前で、アカネはつぶやいた。

 あれから他の守護者に見つかる前に急いでその場を離れたものの、その途中で狭い横道に迷い込んだ。ここまでの道とは比べ物にならないくらい薄暗くて視界も狭い。早く広い道に出たいところだけど、こうも分かれ道が続けば一度迷ったら抜け出せなくなりそうだ。

「ここまでの道のりも相当入り組んでいたが、道は分かるのか?」

「お腹が空いた……そろそろ休みたいよ」

 内壁に体を預けてどことなく不安げに腕を組むアカネに、白い髪を弄って悪態を吐くジェシー。先頭のユリは目の前の無機質な内壁と見取り図を神妙な顔で見比べている。

 暗がりでみんな焦ってるのかと思ったけど、俺以外はみんな夜目が効くんだったか。ともかく、みんな消耗してるのは間違いない。

「この辺りで休んでいかないか? みんな疲れてるみたいだし」

 先頭で見取り図とにらめっこしているユリに声をかけると、ユリは気乗りしない様子でため息を吐いた。

「休むにしろ、安全な場所まで移動した方がいいでしょう。こんな狭い道で敵に見つかれば全滅は必至です」

 アカネは忌々しげに洞窟の石壁に手を触れた。

「安全な場所と言っても、ここがどこなのかわからない以上は進むに進めなかろう」

「ここは生き物の体内。太い道へ進むよう意識すれば自然と中枢にたどり着くはずです」

 ここまで来たら見取り図も意味がない。言外にそう言ってユリは肩をすくめた。話は順調にまとまっているのに、なんだかもどかしい。

「なら、左の道だな」

 左の道は全員並んで歩けるくらい広いのに対して、右の道はもはや人一人通るのが限界だ。仮に遠回りになるとしても、敢えて右の道に行く意味はなさそうだ。

 ユリに続いて左の道に進もうとすると、ジェシーだけはまるで吸い込まれるようにふらついた足取りで反対の方向に進んでいた。

「どうした?」

「なんか、甘い匂い」

「何の匂いもしないけど」

 いつもなら木の実でも見つけたかと思うところだけど、こんな洞窟の中に植物が生えているわけがない。

 横穴の先に目を向けると、奥に進むにつれて壁や床を木の枝みたいに太い蔓が覆っていた。この先に、何かいる。洞窟内に詳しくない俺でも、岩だらけの世界において異様なその光景にそう確信した。

「なにこれ、蔓?」

 ジェシーが蔓の伸びる地面に足を踏み入れた瞬間。何本かの蔓がまるで意思を持っているかのように、振袖の下から伸びる細くて白い腕に巻き付いた。嫌な予感が首筋に走る。少なくとも、この後の展開はろくなことにならないに決まってる。

「ジェシー! 早くこっちへ!」

 とっさにそう叫んだ次の瞬間。腕に巻き付いた蔓に引っ張られ、ジェシーは抵抗する暇もなく穴の中へと吸い込まれていった。

 それを追うようにアカネは「魔物に捕まった! 急ぐぞ!」と叫んで反対側の横穴へ走り出した。

「……ま、待ってください」

 アカネに続いて穴の奥に向かうと、ユリが不安そうな顔で服を掴んでいた。

「準備もなしに向かうのは危険です。もっと慎重に……」

「だけど、急がないと手遅れになる」

「それはそうですが……」

 アカネが先に行った時点で俺たちはすでにバラバラだ。まずは集合しないと。だけど、そんなことはユリもわかってるはずだ。

 よく見ると、長く歩いてきたせいかローブの下から覗くユリの足は小刻みに震えていた。呼吸も少し上がっていて、走るのは難しそうだ。

「掴まって走れるか?」

 ユリは三角帽の下で小さく頷くと、恐る恐る手を取った。

§

 ユリの手を引いて何も見えないくらい狭く薄暗い横穴を抜けると、その先には巨大な魔水晶が青白く照らす広場が広がっていた。壁や天井は渦を巻くような蔓に覆われ、その中心には真っ赤な口を開いたような毒々しいほどに鮮やかな花を天辺に咲かせた巨大な植物が鎮座している。

 膨れ上がった根元からは幾百もの根とも蔓ともつかない触手を蠢かせ、大きく開いた花の中心部からは紫の瘴気が漏れ出している。

「やはり左の道が正解だったようだな」

 向かってくる触手を斬り落としながら、アカネは皮肉気に呟いた。

「とはいえ、ここまでくれば関係ない。どうする」

 アカネの問いかけに、ユリは片眼鏡を治して口を開く。

「見たところ触手で獲物の魔力を吸い取り、弱らせたところで捕食する類の魔物のようです。飛竜の魔力量ならすぐに飲み込まれることはないでしょうが……」

「早急に探し出す必要があるということか」

 とはいえ、広場の中心は触手や生き物の死骸で埋め尽くされていてあそこから小柄なジェシーを探し出すのは難しそうだ。

「あそこだ!」

 全身が縛り上げられた状態で吊り上げられた白い竜の姿があった。魔力が吸われて人の姿を保てなくなっているみたいだ。長い首や尻尾はだらりと垂れ下がり、見るからに元気がなくなってる。飲み込まれるのは時間の問題だ。ジェシーの方を指差した瞬間、アカネは地面を蹴って飛び上がる。

「任せろ!」

 アカネがジェシーに近づいて抜刀すると同時、周囲の蔓が根元から切断され、ジェシーは白い羽を周囲にまき散らしながら地面に落ちていく。

「私が時間を稼ぐから、君たちは早くあの雑草を焼き払ってくれ」

 無尽蔵に触手が伸びてくる以上、本体を倒さないとジェシーを助けるのは無理そうだ。

 植物を倒すなら、枝や葉じゃなく中心部。根元に向かって黒色火種を放つと、触手が伸びてきて身を守る。爆発の後に煙が晴れると、穴が開いた触手に対して、本体は傷一つついていない。

「クソ! 魔物ってのはどいつもこいつも頑丈だな!」

 大木も倒せるくらいの威力の弾丸が防がれたってことは、あの蔓の一本一本が少なくとも鉱石並みの硬さってことか。歯噛みしていると、アカネが奮い立てるように声を上げる。

「共に触手を叩くぞ! 斬っても切っても数が増える! 止めは頼んだぞ、ユリ!」

 相変わらず戦闘においては蚊帳の外だけど、悔しがってる暇はない。アカネの言う通り、戦いの場所では適材適所。できる範囲で、できることをやるだけだ。

 より一層激しさを増す触手の一つ一つに狙いを合わせて弾丸を放つ度、散り散りになって弾け飛ぶ。アカネが取りこぼした触手が集中しているユリに向かわないように、何発も、何十発も。

 気の遠くなるような作業を繰り返していると、ふと、空気が重くなる。振り返ると、背後でユリが真っ赤に開いた花弁に向けてどこからか取り出した杖を掲げていた。大木の枝をそのまま杖にしたような杖を地面につくと、周囲に青白い魔法陣が展開される。

「準備は整いました。詠唱に時間を要するので、もう少しばかり耐えてください」

「まったく、相変わらずうちの魔術師様は人使いが荒い……っ!」

 ユリは杖を掲げたまま謡うように詠唱し始める。

「闇夜に出でし火の粉は星に。星の灯りは黄昏を切り開き、遍くを飲み込む浄化の閃光に。闇を払い、雲を裂き、悪しきを滅する光と成って我らに永久の安寧を齎し給え」

 触手の散らばる広場の中心に火の粉が上がり、地面に落ちて円を描く。その軌跡を追うように拡大された魔法陣が描き出されていく。

「危ない!」

 蠢く触手たちも何かを感じ取ったのか、養分の死骸を手放してユリの方へと向かって行く。触手がユリへと届く直前。ユリは片眼鏡越しに眼を見開いた。

悪しきを滅す命の徒花ビッグバンフレア!」

 そうつぶやくと同時。洞窟が一瞬にして白い光に包まれる。

 次の瞬間、広場の中心に生まれた火柱に花の本体が吸い込まれていき、上がった炎は触手に燃え広がる。燃え尽きた蔓や花弁は塵となって天井へと昇っていき、灰となって解けるように消滅した。

 白い光が晴れた後、辺りには一面の灰と途切れた蔓の残骸が散らばっているだけだった。

「ここ数日で何度かユリの魔術を見たが、相変わらず災害のようだな」

「かつては、災害を起こすのは神か魔術師かなんて言われていましたからね」

 ユリは杖に寄り掛かって呼吸を整えながら皮肉気にそう言った。

 確かに、火山が噴火したのかと錯覚するような光と熱と音。あれだけの魔力を扱えるようになるまでどれだけの修業をしたのか想像もつかなかった。

 だけど、ユリのすごいところはそれをひけらかさないところだ。これだけの力を手に入れるのにどれだけの修業を積んできたのか想像できないのと同時に、だからこそ村の人から恐れられていたのかもしれないな。

 跡形もなく消えた魔物の残骸を眺めていると、ユリはローブについた埃を払って咳払いを落とす

「とはいえ、今の術は一発限りです。再生させないために、一撃で仕留める必要がありました。その上、詠唱には極限の集中を要求します」

 あんなすごい術が使えるなら守護者がいても安心だと思ったけど、流石にそう簡単にはいかないらしい。ユリが「頼れる戦士様がいてこそですね」とアカネに視線を向けると、アカネは芝居掛かった仕草で肩をすくめた。

 さっきまでは微妙な空気だったけど、ユリやアカネも、心なしか表情が軽くなった気がする。

「戻る前に、少し休んでいきましょうか。魔力や集中力を回復したいですし」

「大丈夫か? この広場は入り口が一つしかないし、魔物なんかが入ってきたら」

「この辺りは花の縄張りなので、安全だと思います。おあつらえ向きに焚火の材料が転がっていますしね」

「賛成だ。ここで野営するか。レインは準備を手伝ってくれ」

「分かった」

「私は結界を張っておきます」

 打てば響くようなやり取りの後に、三人分かれて野営の準備を始めた。俺が残った葉や枝で火を焚き、アカネが太い幹を半分に割って腰かける場所を作り、ユリが広場の壁に魔法陣を刻みつける。数分後には焚火を囲むように簡易的なキャンプが出来上がる。その間もジェシーは広場の片隅で穏やかな寝息を立てていた。

 アカネが丸太を割っただけの長椅子に腰かけて串に刺した狼の燻製を焚火であぶると、焦げた煤の匂いだけが充満する冷たく静かな空間が薪の弾ける音と焚火の熱、肉の焼ける匂いで上書きされていき、戦場が野営地に姿を変える。

「それにしても、ジェシーは大丈夫か? 全然起き上がらないけど」

 ジェシーは爆発の近くにいたからか思い切り煤を被ってうずくまっていた。自慢の羽毛も大半が煤に埋もれて黒く染まっていて、元が綺麗好きなジェシーなだけになんだか痛々しい。ユリは何か確認するようにジェシーの背中に触れてため息を吐いた。

「眠っているだけでしょう。先ほどの魔物の花粉には催眠効果があるようでしたから」

「催眠……と言っても何も感じないな。魔力量の多い飛竜が眠ってしまうということは、少なくとも魔力の類ではなさそうだが」

 アカネはそう言って狼の肉を焼きながら首をかしげた。確かに、俺はともかく、気配に敏感なアカネや魔力を感じ取れるユリは何も変わらなかったのにジェシーだけが引き寄せられたのは違和感だった。

「おそらく、魔物だけに催眠効果があるのでしょう。感覚が鋭敏なジェシーさんだけが引き寄せられた」

「ジェシーは甘い物に目がないからな」

「……それに、人間なんて食べてもしょうがないですからね」

「まったく。相変わらず冗談が過ぎるぞ」

「冗談のつもりはないのですが」

 嫌そうに顔をしかめるアカネに対し、ユリは不満そうに眉を顰めた。

「まあ、俺たちまで催眠にかからなくてよかったな」

「それもそうだな。四人全員で魔物の腹の中なんて、それこそ笑えない冗談だ」

 そう言ってアカネは苦笑した。


「ユリは休まないのか?」

「ここで見たことを記録しておきたくて。滅多に小屋から出ない私にとって、この地は知識の山です。知らない鉱物に、知らない魔物。知らない場所、知らない世界。全てが研究対象です」

「どうしてそんなに知識を集めようとしてるんだ?」

「知識は点です。一見すると無関係な二つの知識は、何かの拍子で線となる。線と線がつながり、交差することを繰り返して世界は鮮明になっていきます。世界が広がるとは、そういうことだと思います」

「なるほどな」

「なんですかその目は。変人だとでも思っているんですか?」

「いや。ユリを俺の故郷に連れていきたいなって」

「急にどうしたのですか。言われなくとも、いつかクジラの上に行くつもりですが」

「初めてですよ、あなたみたいな人は」

「そうか?」

「ええ。村の人間は、私を村に縛り付けることを選びましたから」

「変人だと思ったか」

「ええ。初めて会った時から」

「無事にたどり着いたら、島の上を案内してください」

「ああ、約束だ。果てまで、気が遠くなるまで」

 こっちを向いて珍しく微笑んだ。

 ふと、ユリは一通り満足したのか手帳に書き込む手を止め、初めてこっちに興味を示す。

「何をしているのですか?」

「ああ、花粉を採ってるんだ」

 捕食する部分とは別に花粉を出す雄花があるみたいで、そこには花粉が詰まった花粉嚢があるはずだ。

 見たところ、さっき燃やした花の花粉には強力な催眠効果があるみたいだった。魔物や人間と戦うときのために麻酔みたいなものを作れたら無駄な戦いを避けられるはずだ。

「……危ないですよ?」

 そう一言で両断された。確かに危ないのはよくないな。

 ユリにそんなことを言われるとは思わなかったけど、俺は魔物の専門家でも何でもない。作業はユリ先生監修の下で行わないとな。

「多分、この花粉は俺に効かないから大丈夫だ。魔物に襲われたときに麻酔代わりになるんじゃないかって」

「確かに、魔物と遭遇すれば少なからず物音が出てしまいますからね。音を立てずに無力化できるならそれに越したことはありませんが……」



「それにしても、困ったな。どれだけぎっしり花粉を詰めても軽すぎてまっすぐ飛んでくれなさそうだ。

「中心部に少量の火薬を仕込めば広範囲に催眠効果を発揮できるようになるかもしれません。重しの代わりにもなるでしょう」

「火薬って言っても、そんな都合よく持ち歩いてないし」

「でも、黒色火種は少しの衝撃で爆発するから、加工は難しい。それに、あの威力で爆発したら本末転倒だ」

「火薬ならこの洞窟内の素材で作れますよ」

「そうなのか?」

「洞窟内には硫黄や硝石が存在するのを確認しました。おそらく、クジラの背中に生まれた豊富な有機物が洞窟内に染み出しているのでしょう。あとは、先ほどの植物からできた炭を混ぜれば粗悪な火薬が出来上がるはずです。適切な比率で作るなら多量の硝石が必要になりますが、少量の火薬を作るのには問題ないでしょう」

「そんな土壌の栄養を吸い上げて育ったからこそ、黒色火種などというまるで採掘用に作られたかのような植物が生まれたのかもしれませんね。そして、人間が採掘に黒色火種を使うことで自らが生息できる硝石や硫黄を含んだ土壌が露出する。一種の共生関係というわけです」

「あくまで仮説ですがね。点と点はつながりましたか?」

「その感覚が少しわかった気がするよ」

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