幕間 謎の人影

 瘴気の森から人の気配が消えてから数刻。砂の大地を苛烈に照らす陽光が地平線に消え、七色の草木が薄白い霜を纏い始めた頃。月明かりの下、黒塗りの外套を纏った三つの人影が瘴気の泉に足を踏み入れた。

 まるで宵闇に溶け込むように。他人から姿を隠したい理由があると言わんばかりの装いだが、肌を焼く日差しが照らすこの砂漠においては素肌を隠すことこそが正装ドレスコードだった。

 そんな月の明かりだけが照らす広場を見渡して、一際背の高い外套が呟いた。

「……ったく、当主の野郎も無茶言うぜ。傭兵の国からここまで飛空艇でも数日はかかる距離だ。任務おつかいとはいえ、こき使いすぎじゃねえか?」

 静まり返った泉に響いたのは、渋みのある男の声だった。年齢は三十代後半から四十代と言ったところだろうか。他の人影より明らかに長身の男は黒い長髪を後ろ手に結び、腰に提げられた大振りの刀を黒塗りの外套の下から覗かせている。飄々とした口調とは裏腹に白く血の気が引いた相貌には不機嫌そうな表情を浮かべ、切れ長の瞳には射貫くような光が籠っていた。

 一方で、その体格は外套越しからでもわかるほどに磨き上げられていて、一目で刀のように研ぎ澄まされた武人であるということが見て取れる。そんな危なげな雰囲気を纏う男は命の木の幹に体を預けて腕を組み、溜息を吐いた。

「生憎と俺ぁ暇じゃねえんだ。ガキのお守のためにこの俺を地上に送るたあ、下手だぜ。人の使い方がよ」

「……当主様の悪口言わないの。極秘任務を任せられたんだから光栄に思いなさいよ」

 ぼやきともとれる男の悪態に返ったのは、男の声とは対照的に幼げながらも棘のある少女の声だった。豪奢な金糸の装飾が施された白い法衣は小柄で華奢な少女には不釣り合いで、極秘任務などといういかにもそれらしい単語も相まって、まるで幼い子供が演劇の真似事をしているようなちぐはぐさを感じさせた。

「あと、あんたの仕事はお守じゃなくて護衛よ護衛。地上では何があるか分からないんだから」

 泉の畔でかがみこんでいた法衣の少女が長身の男の頭二つ分低い位置からにらみつけると、少女の感情を反映するかのように深緑の瞳と髪が暗がりの中で淡く明滅した。棘のある口調と声音には一抹の嫌悪と無遠慮が見て取れた。

「大体、命の木を守る守り神が倒されるなんて、一体何が起こったのか……」

「天才魔装工学者メカニックであるお嬢なら演算できんじゃねえか?」

「……ムチャ言わない」

 男が命の木を検めるもう一つの人影に問いかけると、薄暗がりから無機質な少女の声が返る。抑揚の薄く、感情の読めない声だった。

「世界の全てを観測し続けるなんてどこぞの悪魔じゃないとムリ。ワタシたちにできるのは、状況から推測することだけ」

 そう言って少女が角灯を点けると、淡い光に照らされてその素顔が浮かび上がる。左右で結んだ桃色の頭髪ツインテールの上から頭飾りとも耳飾りとも片眼鏡ともつかない機械仕掛けの装飾を装備し、外套の下からは手足の所々に纏った鈍色に光る武装が露出していた。腰には黒々と光る棒状の得物を装備し、大胆に露出した手足の上から纏った鎧のごとく武骨で飾り気のない鈍色の武装は華奢な少女の体躯にはこの上なく不釣り合い。まだあどけなさの残る顔には機械的で無機質な無表情を張り付けていて、重装を纏った本人の風貌も相まって機械仕掛けの少女ミスアンドロイドといった趣だった。

 そんな重装の少女は足元に無数に散らばる石片なきがらを拾い上げてため息を吐く。それに合わせて、派手な桃色の頭髪が機械仕掛けの飾りの上から揺れた。

「守り神は内側から弾け飛んでいる。おそらく、高度な魔術によって一撃で仕留められた」

「なるほど。魔術の事なら、宮廷魔術師様の出番だな」

「あんたもなんかしなさいよ」

 態度を変えた男に法衣の少女が抗議すると、男は皮肉気にため息を吐いた。

「適材適所だ。俺は斬るのが仕事だからな。現場の検証に刀が必要か?」

 男はそう言って懐から葉巻を取り出すと、指の腹をこすり合わせて火をつける。重装の少女は頭を押さえて男をにらみつけた。

「毒ガスをばら撒くのは控えて欲しい。警報カナリヤが煩い。刀以上にこの場にタバコは必要ない」

「煙草くらい好きに吸わせろ。そうじゃねえと俺は何をするか分からねえ」

 ただ、この砂漠においては煙草を吸っていてもいなくとも常に毒気を吸引しているようなものだ。男が暗にそう言うと、法衣の少女が忌々し気な表情で指を鳴らす。その直後、蝋燭の火を消したように天に上る煙が途絶えた。

「乙女の前で吸うなって言ってるのよ。中毒者ジャンキーの匂いが移るじゃない。煙で魔力探知が鈍ったらどうしてくれるのかしら」

「ったく、ガキのお守は面倒なこって」

 男が肩をすくめてため息を吐くと、法衣の少女は心外だとばかりに深緑の瞳を見開いて抗議する。

「ガキって……あたしはこれでも十年以上前に成人してるんだから」

「それで、魔力の痕跡は?」

 男が強引に話題を逸らすと、少女は法衣の下から肩をすくめて首を横に振る。

「……そうね。見たところ、それらしい魔術の痕跡は確認できないわ。うんざりするほどね」

「なら、守り神を倒した方法も含めて調査する必要があるな」

 男の言葉に、その必要はないと法衣の少女。すでにその瞳には真剣な眼差しが宿っていた。

「当然、魔術を使ったに決まってるわ。宮廷魔術師であるあたしの眼はごまかせない」

「魔術の痕跡がないなら魔術を使ったとは限らねえだろ。それこそ、お嬢みてえに特大火力の砲弾ぶっ放したって線の方がまだ現実的だ」

 要領を得ない言葉に長身の男は否定的な反応を示すが、重装の少女だけは得心したとばかりに頷いた。

「つまり、魔術を使ったのにも関わらず魔術の痕跡が完全に隠蔽されている」

「ええ。おそらく闇人か、あるいは闇人の術を操る魔術師だと思うわ。奴らは魔力に対して潔癖だから」

 当然生まれる男の疑問を二人の少女が解消し、真実に近づいていくという一種の流れが形成されていた。

「観測器はどうした。確か、命の木の根元に仕掛けてあるはずだ」

「わざわざ魔力の痕跡を隠蔽したということは、警戒するに値する判断材料があったということ。こちらの仕掛けは見破られている可能性が高い」

 重装の少女は命の木の根元を検めて首を横に振る。その手には、命の木の幹から取り外した掌大の石板が握られていた。

「案の定、発信機が故障している。おそらく、魔装工学マギクラフトに精通している人間のシワザ」

「自然に故障した可能性は」

「あり得ない。ご丁寧にチップとバッテリーだけ抜き取られている。この端末を発信機だと判別し、記録を消去した上でバッテリー切れを装う程度には頭のキレる魔術師が関わっている」

 重装の少女の言葉に、男は火の消えた煙草を噛み潰して顔をしかめた。

「……ったく、地上に人間はいないはずなんだがな」

「それを確かめるために、命の木に観測器を仕掛けてるんじゃない。もし人間が生きているなら、命の木を転々としてここにたどり着くはずだから」

「すぐにクジラに向かう。命の花が狙われている可能性がある」

 重装の少女の言葉に、長身の男は目を見開いた。重装の少女の瞳には、月に重なる叢雲が映り込んでいた。

「それはちと早計じゃねえか? 地上と空の境界に広がる雲海を泳ぐクジラの高度は数千メートルを優に超える。並みの竜騎士じゃ到達できるわけがねえ。その上、碌に呼吸もできない絶対領域だ」

 そこまで言ったところで、男は「それは地上も似たようなもんだがな」と肩をすくめた。

「どのみち、地上の集落を探す方が早えだろ。敵なら斬る。利害が一致するなら協力させる。どのみち、武力では俺たちが優位だからな。生かすも殺すも俺たちの自由だ」

「並みじゃない竜騎士が関わっているとしたら?」

「……どういうことだ?」

「これを」

「こいつは……木の実の種子か?」

「周囲の土に黒色火種が散らばっている。これは、クジラの上にしか生えていないはず」

「空を泳ぐクジラの上には竜と心を通わせる竜騎士の民が暮らしている。彼らは確か、天空の竜騎士の末裔だったはずよ」

「魔装工学に精通した魔術師に、大型の魔物の群れを単独で討伐する戦士。そして、飛竜を操ると言われる天空の竜騎士の末裔。混ぜるなキケン。対処する必要がある」

 絡まった糸を紐解くように、真実の結び目に指をかけていく。

「仮に命の花を狙う魔術師がいたとして、それが天空の竜騎士と手を組んだとしたら……命の花が、危ない」

「なんにせよ、情報戦では今のところ引き分けってわけだ。なかなかキレるじゃねえか、その魔術師とやら」

「冗談。有利なのはこっち側よ」

 法衣の少女の言葉に、重装の少女は頷いた。

「向こうは情報を知られているということしか知らないのに対して、こちらはナマの情報を持っている。あとは、向こうがどれだけワタシたちの存在を重要視しているか。発信機一つで泉全体の痕跡を消す徹底ぶり。油断はできない」

 重装の少女は箱形の装甲の下部に設えられた噴出口(ブースター)から青い炎を噴出して浮き上がる。重力の枷から解き放たれた挙動は、人間

「クジラの体内(グランドアビス)の最奥で集合。二人は本土に報告を。ワタシは、一足先に飛ぶ」

 叢雲の合間の月明かりに導かれるように消えていった。

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